今日、2月11日は建国記念日。
この日が制定されたのは、1967(昭和42)年だそう。
記紀において初代天皇とされる神武天皇。
その神武天皇が即位した日が、『日本書紀』に紀元前660年1月1日(旧暦)とあり、その即位日を明治に入って新暦に換算した日付が2月11日だという。
中国では「辛酉革命」といって、60年に1回めぐってくる十干十二支の組み合わせが辛酉(しんゆう)の年には天命が改まり、特に21回—すなわち、1260年ごとに大きな変革が起こるとされていた。
そこで『日本書紀』の編纂者は、まず聖徳太子が国家基盤をつくった601年の辛酉の年を革命の年とみなし、そこから1260年遡った辛酉の年にも大革命があったというコトで、神武天皇即位の年にしたのではないか?・・と考えられている。
その年が紀元前660年・・というワケなのである。
1873(明治6)年に「紀元節」として定められ祭日となり、翌年から適用されたが、戦後、GHQの意向で廃止された。
その後、復活の動きが高まり、「建国記念の日」として1966(昭和41)年に国民の祝日となり、翌年から適用された。
ちなみに紀元節でいうと、今年は皇紀2676年となる。
これは単純に西暦に660を足すだけ・・。
神武天皇は『古事記』では137歳、『日本書紀』では127歳まで生きたとされている。
その神話的なエピソード等、実在の人物かも含めて、そのまま記紀の記述どうりが史実であったとは、当然ながら、アカデミズムの現場でも考えられていない。
通説では、第2代・綏靖天皇~第9代・開化天皇の8代は、「欠史八代」と言われ、詳しい記述などないコトから、後世の創作とされる。
実在したのは、第10代・崇神天皇から・・と考えられているのである。
では、初代の神武天皇は・・?
『古事記』の中で崇神天皇以前の歴代天皇に「崩年干支」が記されていないため、神武天皇を含む9代の天皇は実在せず、第10代・崇神天皇が実質的な初代天皇・・という考えは、ほぼ定説化している。
ヤマト建国を3世紀半ばから後半、あるいは4世紀初頭とすると、崇神天皇の在世時が、ほぼこの時代に合致して来る。
さらに『日本書紀』は崇神天皇を「ハツクニシラススメラミコト」=”はじめてこの国を治めた天皇”と呼んでいるが、実はこの「ハツクニシラススメラミコト」という称号、神武天皇と同じなのである
初代・神武天皇と崇神天皇は、同一人物だったものを、天皇家の歴史を古く見せかけるために二つに分けた・・という説もあり、『日本書記』の神武天皇の治世の記述は中間が抜け落ちていて、崇神天皇の記事が、ちょうどすっぽりハマるような関係にあるのだ。
神武天皇=崇神天皇・・というワケである。
神武も崇神も名前に「神」がある。
名前に「神」がある天皇はもう1人、第15代・応神天皇がいて、「神武東征」のルートをなぞるように、応神天皇も東征している。
歴史作家の関裕二は、この3人に分けて初代天皇の話が語られている・・としている。
すなわち、神武天皇=崇神天皇=応神天皇・・。
ヤマト建国は、中国の史書などに記述のない、4世紀のほぼ百年の間の出来事で、その期間は考古学上、「謎の4世紀」と呼ばれている。
そして、その百年間に邪馬台国から大和朝廷へと日本は大きく様変わりした。
邪馬台国が大きくは畿内説、九州説といまだに論争が続いているのにもこうした背景があるからである。
ちなみに天皇ではないが、記紀にはもう一人、名前に「神」のつく人物が登場する。
第15代・応神天皇の母親である神功皇后である。
彼女は卑弥呼ではないか?・・という思わせぶりな記述も記紀にはある。
天皇家の歴史、いろいろな話があって非常に興味深いのであるが、さて・・?