『21グラム』という映画があった。
その内容はともかく、タイトルの「21グラム」とは、20世紀初期のアメリカの医師・ダンカン・マクドゥーガルが行った、魂の重量を計測しようとした実験に由来するのだそう。
死後、人間から減った重量が魂の重さ―それが約21g・・とゆーワケである。
同様な実験は日本でも行われていて、東京大学物性研究所などに在籍した川田薫理学博士は
「命(魂)のエネルギーが測れるのでは?」
・・と、ラットの実験で、死後、約1万分の1、体重が減るという結果を得た。
それが命の質量であると。
川田博士がユニークなのは、これをモノでも試したというコト。
モノの重さを量り、そのモノを、すべて部品に分解して各部分の重さを量り、それを合計した重さと比較する・・という実験である。
たとえば、目覚まし時計の重量と、その目覚し時計を分解した全部品の重量の合計とを比べる・・という具合である。
普通に考えたら、分解する前と分解した後の重量は全く同じになるはずであるが、実際には、その結果、どうだったか・・?
―やはり、ラットの実験と同様、約1万分の1、分解する前より、分解した後の質量が減るのだそうだ
これは一体どーゆーコトなのか・・?
人間の21gとゆーのは個人差はあれ、1万分の1ドコロではない質量。
これは別格であろう。
しかし、生物であるラット同様、モノにも命(魂)があるというのだろうか・・?
モノ―たとえば目覚まし時計であれば、時間を見る為、人を起こす為・・という目的、思いをもってつくられている。
しかし、分解された目覚まし時計は、既にその役割を果たすコトが出来ない。
―すなわち、モノは、つくられた目的、その役割が死ぬコトで、1万分の1の質量が減る・・。
時間を見る為、人を起こす為・・という目的をもってつくられた、その思いは役割となり、そこに命(魂)が宿る・・。
その思いのエネルギーこそ、モノの命(魂)=1万分の1の質量の正体・・。
役割をもった時に、魂が宿る!
信じるか信じないかは、あなた次第・・。