歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

「松代藩戊辰戦争記」を読んで

2007年07月30日 21時39分55秒 | 戊辰戦争・幕末維新史

 当サイトの北越戦争の記事を書くのに活用させて頂いた資料です、しかし部分部分的には読んだものの、一冊通して読んだ事はなかったので、今回通しで一冊読んでみました。
 この本は一応幕末の政治動向についても語られているものの、これについては松代藩の立場から仕方ないとはいえ、完全に「王政復古史観」で書かれており、こちらは見るべき記述はありません。また初期の松代藩兵を率いた岩村高俊を知勇兼備の名将として描いているのも特徴でした、岩村が人間的にどうだったかについては私には判りません、しかし軍事指揮官としての手腕があったと思えるような史料は見た事がない以上、この岩村に対する評価も王政復古史観によるものだと言わざるを得ません。他にも「尾張藩の隊長にはろくなものは居なかったが、一方薩長の隊長は素晴らしい人物が多かった」と書いているものの、その人間的にも素晴らしい長州藩の隊長の名前が「防長維新関係者要覧」に載っていないなど、正直松代藩以外の記述に関しては、信用出来る資料ではないと言わざるを得ません。

 この様に松代藩以外の記述に関しては信頼度が低いものの、松代藩兵自身の動きについては有益な資料だと思います。松代藩兵の働きを過大評価する嫌いはあるものの、松代藩兵の編成の特徴、狙撃隊と小銃隊(小隊)の違い、各部隊の士官名などについてはこの資料以上に有益なのは見た事がありません。実際これを読んで初めて、北越戦争に参加した松代藩兵12個小隊の編成が判るなど(五~八番狙撃隊・一~六番小隊・一~二番遊軍)、非常に重宝しました。
 しかし松代藩兵の動きをこれと復古記の記述だけに頼るのは危険かもしれませんので、盆休みにでも長野市史でもコピーしてきたいと思います。

 ところでふと思ったのですけど、松代藩主の真田家というのは日本人が大好きな存在ですし、戊辰戦争でも松代藩兵は活躍したのですから、幕末の松代藩の記事というのは意外と需要があるのでは思っているのですけど、商業・非商業問わずこの幕末の松代藩を取り上げた記事は、雑誌歴史群像での大山格先生が書いた記事しか見た事が無いのが不思議だったりします。


芝原拓自著 「世界史のなかの明治維新」

2007年07月26日 21時23分49秒 | 読書

 「世界史のなかの明治維新」と言うタイトルだけあって、序盤は開国より始まった交易によって、どれだけ国内の経済が混乱したのかと言うのを事細かく説明してくれています。主な日本の交易先だった当時の英国の輸出・輸入の実態を詳しく説明してくれ、これにより国内の物価や産業がどのように変化したのかを判りやすく説明してくれます。この開国により始まった交易による国内の経済混乱が、明治維新の要因の一つになったというのは承知していましたが、これに関してここまで詳しくかつ判り易く説明してくれた本は初めてだったので、本当に勉強になりました。
 その後もこの諸外国との交易を重視した幕末維新史の通説を書いてくれて、一般に警察権を掌握する旨ばかり強調される内務省を、諸外国との交易から国内産業を守る為の省庁という点を重視して書かれているのが印象的でした。そのような意味では「世界史のなかの明治維新」というより「世界経済と明治維新」といった印象が強かったです。
 もっとも単に経済だけではなく、明治七年の台湾出兵の際に何故清国が弱腰だったのかについての説明も判り易かったのですが、明治政府にとって経済的な重要問題である地租改正や秩禄処分に対して詳しく説明してくれるなど、経済を重視した幕末維新の通史という印象が強い内容でした。
 最後に気になったのが経済重視という視点から、井上馨等の大蔵省の官僚の手腕を高く評価しているのですが、この為大蔵省と対立した司法卿の江藤新平の行動を「大蔵省いじめ」と解釈しているのには違和感を感じました。


大山格著 「慶喜謀反!!」

2007年07月19日 23時25分02秒 | 読書

 「史実では鳥羽伏見の戦いで大阪城から逃走した徳川慶喜が、もし旧幕府軍に反旗を翻したら」という斬新な視点で描かれた所謂シミュレーション小説ですが、普通のシミュレーション小説なら「慶喜が旧幕府軍に反旗を翻す」描写が重視されるのに対し、この作品は慶喜が反乱した後の歴史が重視されているのが特徴です。しかもその慶喜反乱後の歴史を、史実でも実在した「昔夢会筆記」で当事者達が語り合い、その「昔夢会筆記」を用いて後世の人間が慶喜の反乱の真意を調べるという一風変わった構成になっています。
 また「昔夢会筆記」では単に慶喜反乱について語り合うだけではなく、慶喜が反乱する以前の歴史についても語り合う場面があるのですが、慶喜が反乱するまでは史実通りですので、言わば「昔夢会筆記」の場を借りて筆者の幕末史に対する見解が読めるなど面白い試みがされています。
 この様に一般のシミュレーション小説が「架空の歴史での合戦・戦争」が主眼が置かれた構成になっているのに対し、この作品は「架空の歴史を当事者・後世の人間が調べる」のに主眼が置かれている構成になっているのが特徴です。この構成は私みたいな歴史好きには面白いでしょうが、一般的なシミュレーション小説ファンにはウケが悪いだろうなというのが正直な感想です。
 筆者は後書きで、多くのシミュレーション小説が「その後の歴史にまで責任を持つ作家はごく少ないのではないか」と語り、その思いによりこの独特な構成の物語を書いたと述べていますが、正直シミュレーション小説を好んで読む人は「その後の歴史がどうなった」などは求めてないと思うんですよ。彼等が好むのは臨場感のある戦闘シーンであり、手に汗握る展開であり、「一つの事件や戦いがあって、その後の歴史がどうなったか」を気にするような人間はそもそもシミュレーション小説を読まないと思うんですよね。そう言う意味では作品の完成度は高いですが、売れ筋の作品ではないというのが正直な感想です。
 ちなみに個人的な感想としては、この作品は上記の通り慶喜編・昔夢会筆記編・後世編の三つに分かれていますが(便宜上こう読みますが、作品中この三世界の舞台は目まぐるしく入れ替わります)、後世編に比べると慶喜編と昔夢会筆記編のボリュームが少なかった気がするので、もう少し慶喜編と昔夢会筆記編が読みたかったです。中西先生と梅原学生の活躍は読んでいて楽しかったですが、少し悪ノリ過ぎる気が(笑)
 何はともあれ、普段はシミュレーション小説を読まない歴史好き人にこそ読んでもらいたいシミュレーション小説というのが私の感想です。


八十里峠

2007年07月17日 23時12分14秒 | 雑記

 お世話になっている越の山路様にて、八十里峠の記事がアップされました。八十里峠につきましては、私も北越戦争を調べている事から興味のある場所だったのですが、こうして実際に葎谷や吉ヶ平等の聞き覚えのある地名の現在の姿を、興味深く拝見させて頂きました。
 実は今年の秋にでもまた新潟を訪れて、栃尾や八十里峠のさわりだけでも訪れてみようかと計画していたのですが、昨日の地震を受けて能天気に観光をするなどは不謹慎と思い取り止める事にしました。当サイトでは北越戦争の記事をメインにさせて頂いてるなど新潟県の恩恵を受けていますし、また新潟県内の史跡に訪問させて頂きたいと思っていますので、新潟県の一日も早い復旧を祈らせて頂きたいと思います。


夏コミ向け宣伝&没ネタ再利用

2007年07月16日 19時32分05秒 | 雑記

 今回日本探偵団様の夏コミ新作で鳥羽伏見の戦いの記事を書かせて頂きましたが、その中で没になったネタをこのままお蔵入りするのは勿体無いので、自分のサイトの記事に流用させて頂きました。また先日読んだ原口清先生の「戊辰戦争」を参考にさせて頂き、当サイトの鳥羽伏見の戦いの記事を加筆修正させて頂きました。

 そんな訳で多小は鳥羽伏見の戦いの政治史の部分を書きましたが、当サイトの鳥羽伏見の戦いの記事は相変わらず軍事偏重の内容になっていますので、もっと広い視点で鳥羽伏見の戦いについて知りたい方は、日本史探偵団様の夏コミの新刊「国史読本CD-ROM版 鳥羽伏見の戦い特集」をご期待下さい。
 ちなみに私は新政府軍と旧幕府軍それぞれの装備と編成、また心ならずも鳥羽伏見の戦いで決断を強いられた淀藩・津藩・鳥取藩等について記事を書かせて頂いています。
 ・・・と、以上夏コミの宣伝をさせて頂きましたが、ところで日本史探偵団様ってサークル受かったんですかね?、幕末ヤ撃団様の方は受かったそうなので、とりあえずヤ撃団の方では販売出来るので今回宣伝させて頂きましたが、本家は果たして受かったのか気になる今日この頃です。


田中彰著 「幕末の長州~維新志士出現の背景~」

2007年07月11日 20時32分30秒 | 読書
 日本近代史の大御所が幕末の長州藩について物心両面について書いてくれた力作ですが、約四十年前のマルクス史観全盛期に書かれた事もあり、経済の発展及び民衆の同行重視というマルクス史観の強い内容になっています。
 一般的に現在も長州藩の内訌を正義派と俗論派の争いと語られる事が多い中、四十年近くも前に両者に本質的な違いはないと語るなど、その見識の鋭さには敬意を払わざるを得ません。また当時の馬関海峡(下関)の経済的な重要性に注目し、下関の経済的利潤が幕末維新に与えた影響についての記述は、流石は経済を重視するマルクス史観だと感心する内容でした。
 上記の経済重視の説明はマルクス史観の良い部分が出た内容でしたが、元治元年十二月に始まった長州藩の内戦について、高杉晋作のクーデターが成功した理由を、流通の発展によりブルジョワ化した山陽地方の豪農・豪商達の支援だけに求めるのには民衆の動向を重視するマルクス史観の悪い部分が出ていると感じました。確かに山陽地方の豪農・豪商達が支援したのは、高杉一派勝因の一つだとは思いますが、それだけに答えを求めて高杉一派の軍事的優性を無視するのはマルクス史観の悪い部分だと思いました。その後の幕長戦争の勝利についてもその原因を民衆の動向に求めるなど、王政復古史観に対するため民衆の動向を重視するのは良いのですが、却ってその民衆の同行を過大評価している嫌いがありました。
 この様に本書は良い意味でも悪い意味でも、マルクス史観の特徴が顕著に表れている内容だと思いました。

絲屋寿雄著 「大村益次郎~幕末維新の兵制改革~」

2007年07月04日 23時58分03秒 | 読書

 新書サイズながらも押さえる所は押さえていて、大村益次郎についての入門書としては最適だと思いますが、本格的に大村について知りたい人には少々物足りないかもしれません。
 ただし入門書と言っても副題に「幕末維新の兵制改革」と書かれているだけあって、幕長戦争に備えて大村が行なった長州藩の軍制改革については力を入れて書かれており、特に大村が自ら訳したクノープの「活版兵家須知戦闘術門」については詳しく描かれ読み応えがありました。この様に幕末長州藩の軍制改革については詳しく描かれているのですが、反面維新後の新政府の軍制改革については描写が薄かったのが残念です。
 以上の様に物足りない面もありますが、必要最低限の事は押さえているので大村について調べたい人の入門書としては最適だと思います。大村と言えば司馬遼太郎の「花神」が有名ですが、「花神」は確かに名作ですが、あれはあくまで司馬氏の創作による物語なので、史実の大村益次郎を知りたい方には是非こちらを読んで頂きたいと思います。


世良修蔵暗殺事件について

2007年07月01日 14時29分23秒 | 戊辰戦争・幕末維新史

 先日ようやく墓所を訪れる事が出来た世良修蔵ですが、この世良が暗殺された理由については『世良が奥羽諸藩の憎しみを買ったから』というのが一般的に言われています。私もこれについて「世良は会津藩を討伐するという大総督府の命を忠実に守っただけだが、この妥協の無い態度が事なかれ主義の奥羽諸藩の憎しみを買った」「世良の故郷の周防大島は、会津藩が主戦派だった幕長戦争によって戦災に見舞われ、世良の同士・知人が数多く命を失った為、世良は会津藩に強硬な態度を取った為に事なかれ主義の奥羽諸藩の憎しみを買った」の二つと解釈していたのですが、先日読んだ原口清氏著の「戊辰戦争」に興味深い内容が書かれていたので引用させて頂きます。

 「これ(世良修蔵の態度)は東北諸藩贔屓の戊辰戦争史家がしばしば言うような、「無理解」や「非道」「傲頑」といったものではなく、維新政府の取っていた基本方針の確認である。(中略)彼(世良)は総督が嘆願書を受け取った以上、その回答は出さなければならないが、その場合も名義を失わないよう「朝敵不可入天地ノ罪人ニ付、不被為及御沙汰、早々討入可奏成功」とう断固たる回答を与え、彼等が不満として反論する場合は、適当にごまかしてその場を切り抜け総督は早く白河城に転陣すること、世良自身は「奥羽皆敵ト見テ逆襲ノ大策」をたてるため、急遽江戸の大総督府の西郷参謀と相談し、更に大阪にもゆき、「大挙奥羽ヘ皇威ノ赫然到候様」にしたい。「(会津を)此歎願通ニテ被相免候時ハ、奥羽ハニ三年ノ内ニハ朝廷ノ為ニアラヌ様可相成、何共仙米俗論朝廷ヲ軽スルノ心低、片時モ難図奴に御座候。右大挙ニ相成候時ハ、払底ノ軍艦ニテモ酒田沖ヘ一ニ艘廻シ、人数モ相増、前後挟撃ノ手段ニ到候他到方無」と。ここには奥羽列藩と真っ向から対立する態度がしめされている。

 以上、少々長い引用になってしまいましたが、原口氏は本書の中で諸藩から新政府に出仕した藩士達が、戊辰戦争が進む中で絶対主義官僚化した(これには当然世良も含まれますが)と説明し、絶対主義政権を成立させる為には全ての封建諸侯を屈服させなくてはならず、最大の封建諸侯である徳川氏を屈服させた以上、残る敵対勢力は会津藩であり、新政府に対する全面恭順を拒む会津藩と妥協する事は、身分差別により成立する封建主義を存続させる事になり、絶対主義政権により国内を統一するという使命感を持つ世良としては、会津藩・仙台藩を代表する封建主義勢力と妥協は出来なかったと説明しています。これは革新派の絶対主義官僚である世良と、保守派の封建主義権力である奥羽諸藩との対立で、身分差別により成り立つ封建主義を守ろうとする奥羽諸藩としては、封建主義を否定しようとする世良を許す事は出来なかったのでしょう。
 これまで「奥羽諸藩贔屓の人は世良を矮小化している」と常々思っていた私ですが、この原口氏の説明を読んで、世良が奥羽諸藩に憎まれていた理由を冒頭に書いた通りにしか解釈していなかった私も世良の事を矮小化して解釈していたと猛省しました。この「革新派の絶対主義官僚である世良と、保守派の封建主義権力である奥羽諸藩との対立」という図式で考えれば、世良が暗殺されたのは国内を絶対主義政権で統一する為に封建主義勢力と妥協しなかった為に、保守派の反動勢力である仙台藩の凶刃の犠牲になったのだと実感しました。
 また身分差別による封建主義を守りたかった保守派の奥羽諸藩としては、封建主義を脅かす絶対主義官僚の世良は、よく言われるように確かに悪魔の使いだったのかもしれません。

 この様に原口氏の唱えた「革新派の絶対主義官僚である世良と、保守派の封建主義権力である奥羽諸藩との対立」との説は、斬新であり読み終えた本当に感銘を覚えました。本当にこれまで世良の事を調べているつもりだった私としては、本当に目から鱗が落ちる衝撃的な意見でした。今後も世良については調べていくつもりですが、今後はこの原口氏の唱えた「世良は革新派の絶対主義官僚だったため保守派の奥羽諸藩に暗殺された」という世良の暗殺を「革新派絶対主義権力と保守派封建主義権力との対立の犠牲になった」の説を支持して世良の事を調べていきたいと思います。その様な意味では世良を調べるに当っても、原口氏の「戊辰戦争」は読んで良かったと実感しています。