歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

うたわれるものらじお 第21回

2006年11月28日 23時00分21秒 | 声優ラジオ関連
 今回はクーヤ役の富永さんがゲストでした、いつもの力也さんと柚木さんの夫婦漫才トークも楽しいですが、今回は冨永さんの存在のおかげでより楽しい放送になりましたね。冨永さんがお気に入りなのか、力也さんは放送中終始「可愛いね」を連発して、これに嫉妬する柚木さんの動向が聞いていて本当に楽しかったです。しかし今放送中力也さんはどんな顔をしていたのでしょう?、柚木さんの「鼻の下が伸びるってこういう事なんだね」「こんなデレデレした力ちゃん初めて見たよ」の発言を聞くと、どんな顔をしていたのか是非とも見てみたいのですが(^^;)

 ところで前々回の感想で、某強力勢力剤を飲んだ柚木さんがあの後どうなったか気になって仕方ないと書きましたが、今回柚木さん自らがそれについて語ろうとしたものの、物の見事に剣戟音に遮られましたね。柚木さん何を言ったんだ(汗)

周防大島紀行終了

2006年11月26日 21時31分35秒 | 登城記・史跡訪問
 大島紀行から帰ってきました、今回は事前準備を入念に行なった甲斐あって充実感のある旅行でした。文殊山や帯石観音峠など行けなかった場所はありましたが、世良修蔵関連の史跡訪問は網羅出来ましたし、地元の図書館を回って幾つかの史料をコピー出来ましたし得るものの大きかった旅行だったと思います。
 ただ大島関連の史跡は大体回れましたが、遠崎や阿月の史跡は周れない場所が多かったので、来年でもまた行ければ良いなと思っています。特に阿月はいざ行ってみたら史跡の宝庫だったので、是非訪れたいです。
 そんな訳で大島紀行は終わりましたが、今回の旅行で実際に戦地を訪れて印象が変わったり、新たに判った事が出来ましたり、また書き足したい部分が出来たりしたので、また気合をいれて幕長戦争大島口の記事を書いていきたいと思っています。これから年末にかけて色々忙しくはなりますが、何とか年内には書き上げたいです。

周防大島紀行記 三日目

2006年11月25日 20時15分46秒 | 登城記・史跡訪問
 三日間続いた周防大島紀行も今日が最終日、今日は朝早く世良修蔵の生まれ故郷である椋野村に建つ世良の招魂碑を訪れたのを最後にして、大島を後にしました。

 そんな訳で大島を後にてまず向かったのが、大島対岸の集落である遠崎です。ここは世良の師である月性の妙円寺(ちなみに大島解放作戦初期の本陣が置かれたのもこの寺です)があるので、まずはここを訪れました。
 この妙円寺には若き日の世良や赤根武人が学んだ清狂草堂が復元されており、中に入る事も許されていました。復元とはいえ若き日の世良や赤根が学んだ場所に訪れる事が出来たのは嬉しかったです。

 遠崎を訪れた次は阿月に向かいました、ここは浦家の領地であり世良や赤根が阿月の若者達を教育した克己堂が在る地なのですが、私もこの克己堂を始め世良や赤根の屋敷跡等を訪れました。ところで驚いたのが旅行前はさほど注目してなかったこの阿月が、いざ訪れてみると非常にたくさんの史跡が有り、限られた時間のこの日でととても全部を周る事は出来ませんでした。特に赤根の墓所と白井小助の屋敷跡を訪れる事が出来なかったのは心残りだったので、機会を作ってまた阿月を訪れたいと思って帰りの道につき今回の旅行は終了しました。 

周防大島紀行記 二日目

2006年11月24日 19時40分27秒 | 登城記・史跡訪問
 さて二日目ですが、この日の目標は今回の旅行の最大の目標である、幕長戦争戦争大島口の激戦地であり、四境戦争の戦跡の碑が建つ源明山山頂を目指しました。前日はあれだけの大雨だったので、心配してましたが夜が明けたら一転、本当に気持ちの良い快晴の中で源明山を目指しました。ただ天気自体は良かったのですが、風は前日同様凄かったです。結局三日間とも風は強かったので、海からの風が吹き込む為か大島は一年中風が強いっぽいですね。

 何はともあれ晴れましたので、観光バスに乗って源明山の麓まで移動、ここで幕長戦争大島口の際長州軍の本陣となり、世良修蔵が指揮を取った西蓮寺を訪れました。残念ながら当時の本堂は後年の火災で焼けてしまっていましたが、世良が指揮を取った地に訪れれた事に満足していよいよ源明山山頂を目指しました。
 この源明山はたくさんの登山愛好家さんのサイトに紹介されるくらい、登山愛好家に人気の高い山らしいので、「素人に登れるかな」と心配していましたが、私が山頂を目指したルートは山頂間近まではひたすら緩やかな坂道を登っていくという、本来登山愛好家の方が登るルートではなかったので、さほど苦労せず山頂に到着しました。 
 山頂には話に聞いていた以上に立派な石碑が建っていまして、「緩やかとはいえこんな細い道でよく運べたものだね」と感心しましたが、それ以上に感動したのが山頂からの眺めの良さです。北方こそ源明山と同規模の文殊山・嵩山がそびえるため見渡せませんが、それ以外の東西及び南の方向は大島全土はもちろん海まで見渡せる絶景でした。確かにこれだけ高い山の山頂に大砲を持ち上げれば、麓から攻めかかる松山藩兵が手も足も出なかったのも納得出来ました。

 そんな源明山を下山して、源明峠を歩いて安下庄村を目指しました。途中の山腹からは安下庄村を見下ろして、松山藩兵上陸時に戦闘が行なわれた甲山や、松山藩兵が上陸した三ツ松の位置を確認しながら約一時間半歩いたて安下庄に到着しました。
 安下庄到着後まずは地元の図書館を訪れて、地元の四境戦争について書かれた郷土史を色々コピーしました。これらの地元の郷土史を読んで驚いたのが、どうも大島の初期の防御体制は思っていたより整っていたみたいですね。この辺の史料は後の大島口の戦いの記事を書くのに活かしたいと思います。
 こうして図書館を訪れた後いよいよ安下庄の町に入ったのですが、残念ながら安下庄には幕長戦争関連の史跡はありませんでしたね。松山藩兵が本陣とした快念寺にもとりたて碑が残っていた訳ではありませんでした。

 結局安下庄探索が早く済んだので、昨日周った大島北岸の久賀町にバスに移動し、昨日訪れた史跡を再び訪れました。昨日から一転して晴れたこの日は画像の写りも良く、結局油宇村の浄西寺を除けば、昨日撮影した画像は全て削除しました。そう言う意味でも昨日レンタカーを借りたありがたみは無くなってしまいましたね。

周防大島紀行記 一日目

2006年11月23日 22時59分19秒 | 登城記・史跡訪問
 周防大島紀行、別名世良修蔵を偲ぶ旅の初日について書かせて頂きます。
 今まで山口県に訪れた際は新幹線を使用していましたが、今回はマイルが溜まったので飛行機で広島まで移動しました。広島到着後電車で大島対岸の大畠駅まで移動しましたが、途中幕長戦争芸州口の戦線となった小瀬川を通ったのですが、いつかは芸州口の戦いの古戦場を訪れたいと思いました。
 そんな小瀬川を越え岩国を通過して遂に大畠駅に到着、ところでこの大畠駅までは多小ポツポツ降ってはいましたが、雨も小ぶりだったのに、日頃の行いが悪いのか大畠駅に到着すると途端に大雨となりました(涙) 大雨となるとバスと徒歩の移動は辛いので、予定変更で急遽レンタカーを借りて周る事にしました。しかしいざ車で周ってみるとこの周防大島とにかく信号が少ないです。大島西端付近のホテルから東端の油宇村まで信号機が三箇所しかありませんでしたよ(^^;)
 何はともあれ油宇村に到着後、同村の浄西寺の幕府海軍軍艦(恐らく富士山丸)の砲撃跡を訪ねたのですが、思ったより弾痕は小さかったかな? ただあんなに厚い石垣を砕いたのですから、破壊力はかなりのものだったのだと感じました。
 浄西寺を後にしたあと、長州軍と幕府軍が戦った八幡山に建つ八田八幡宮の長州軍の墓地を訪れ(そう言えば長州藩藩士の墓って皆神式ですね)、その後今回の旅行の主目的地の一つにしてい帯石観音普門寺を目指したのですが、道に迷った末結局辿り着けませんでした(涙) 後日調べてみるとかなり細い道らしいので、レンタカーで行くのは無理だったのかもしれません。
 結局帯石観音普門寺探索に時間をかけたせいで、その後向かった世良修蔵の招魂碑訪問は駆け足になってしまい、結局世良の招魂碑は最終日に再度訪れる事になったので、正直この日レンタカーを借りたうまみはありませんでしたね。

 その後レンタカーを返してホテルへチャックイン、この日は雨でしたが、明日はこの旅行の最大の目的の源明山に登るつもりだったので、明日は晴れれば良いなと思いつつこの日は終わりました。

周防大島出発前夜

2006年11月22日 22時00分26秒 | 登城記・史跡訪問
 いよいよ明日大島出発となりました、出発前夜の今日ギリギリまで色々な史料を読んだり記事を書いていたりしたので、今月に入ってこのブログの更新頻度が落ちてしまいましたが、おかげでどうにか大島口の戦いの概要は掴めた気がします。ただ史料を読んでいると色々な地名が出てくるのですが、地図やネットで調べても判らない地名が幾つかあり、この為詳細な各部隊の動きが掴めない部分があるので、明日実際に大島に行った際は史跡を訪れるだけではなく、この地名を調べるのも今回の旅行の課題にしたいと思います。
 ・・・ただ天気予報で見ると明日から山口県は雨らしいんですよね(汗)、この秋に長岡に行った際は天気予報は雨と言っていたのにも関わらず、いざ当日になったら晴れてくれると言う幸運が訪れましたが、はたして今回も幸運が訪れてくれるでしょうか。

うたわれるものらじお 第20回

2006年11月21日 22時20分11秒 | 声優ラジオ関連
 どんなに忙しくても「うたらじ」の感想だけは死守します(^^;)

 今回はSuaraさんのライブの話が多かったですが、聞けば聞く程ライブに行っておけば良かったな~と後悔しています。力也さんの舞台も観劇に行っておけば良かったと後悔していますし、次に何か「うたらじ」関係のイベントがあったら絶対行きたいと思います。
 ところで今回の放送を聴いていますと、小山剛志氏作詞作曲の「夢想歌ゼロ」もしくは「真うたわれるもの」のCD化が現実味を帯びてきていますが、ディレクターの日高氏のブログによると何だか冬コミで販売するっぽいですよね。もし発売されたら是非購入したいと思います(^^;)
 また今回は前回話題に出なかった浪川氏の話題でも盛り上がっていましたね、ここまで盛り上がるとやはり浪川氏の出演は最終回かしら? でもリスナーとしてはやはり最終回は力也さんと柚木さんの結婚式でフィナーレを迎えてほしいのですが(^^;)
 ところでレギュラー陣で浪川氏の他に出演していない(予定が無い)のは、あとは釘宮理恵さんだけですが、ファンとしては釘宮さんにも「うたらじ」に出演して頂きたいです。

うたわれるものらじお 第19回

2006年11月14日 21時45分06秒 | 声優ラジオ関連
 ここのところ旅行の諸準備の為、ブログを全然更新出来ないでいましたが「うたらじ」の感想だけは書かせて頂きます(^^)

 さて今回は「背の高い彼」こと下山さんがゲストだったのですが、同じ事務所の誼なのか、いつもはゲストを排除しようとする柚木さん(考えてみるととんでもないパーソナリティーですが)も親しく接し、今回も穏やかな流れだったので楽しかったです。
 むしろ今回は力也さんの方が弾けていた気もしますね。冒頭の「今日も頑張ってスルーしたいと思います」の発言から始まり、今回もまた大原さんの事を話題に出して、柚木さんから「どうして自分で地雷を踏むんですか!」と怒られるなど、今回も力也さんが自爆しまくりの満足な放送でした(^^)
 しかし何と言っても今回聞き終わって一番気になったのは、某強力精力剤を飲んだ柚木さんはあの後どうなってしまったんでしょう? 何やらラジオ本編では放送禁止直前の所で急遽「キミガタメ」を流して強制終了させてしまいましたが、あの後柚木さんがどうなったのかを考えると夜も眠れません(^^;)

うたわれるものらじお 第18回

2006年11月06日 23時04分56秒 | 声優ラジオ関連
今週も穏やかなまったりとした放送で良かったです、地上波が始まった頃はやや荒れ気味の放送が続いていましたが、ここ最近は以前のまったりモードに戻ってくれたので本当に嬉しいです。
 おかげで今回も柚木さんが暴走して、力也さんがオロオロしながらもそれを交わすという黄金パターンが連発して楽しかったです。特に今回は柚木さんの暴走が楽しかったですね。
 冒頭の「あっちゃんって言うなー!!」から始まって、今回も「無視すんな、無視すんな」「私と離れたくないでしょ」「私たちも子供が出来たら遊んでくださいね、もちろんです、ね、力ちゃん」「にゃにゃにゃ」と迷言が続出しましたね。特に終盤の力也さんが来週番組中に精力剤を飲むと聞いて「どうしよう私」とあらぬ妄想をするなど今回も柚木さんは絶好調でした(^^;)
 また力也さんの方も「大原さんとも乾杯した事ですし」と自分から地雷を踏みに行ったり、柚木さんに迫られて窒息しそうな程咳き込んだりなど、こちらも絶好調(?)でしたね(^^)

 ところで放送中にPS2版とDVD版の連動特典のゲストが桐井さんと中原さんと発表されたのですが、これを聞いてこれまで買うつもりがなかったDVD版一巻を買ってしまおうかと心が揺れています。う~んこのままだと買ってしまいそうなのですが、とことんこの番組にとって私は良い鴨だなと我ながら思ってしまいます(汗)

松浦玲著「徳川慶喜」

2006年11月05日 20時03分45秒 | 読書
 以前お世話になっている方から、この松浦玲氏の著書の「新選組」を勧めて頂き購入したのですが、この人の考え方というか歴史観に好感が持てたので、「この人なら」と思って徳川慶喜について知りたくて購入しました。
 徳川慶喜という人間は幕末維新史で非常に重要な役割を果たしたのに、それこそ倒幕派寄りの人からも佐幕派寄りの人からも否定的に書かれる人間なので、公平な視点で書かれた本を読みたかったんですよね。何せ慶喜に関しては星亮一氏のような会津史観でしか歴史を見れない人間だけではなく、野口武彦のような良識人でさえも「単なる権力欲の塊」と否定的に書いている程ですから。

 前置きが長くなってしまいましたが、そんな期待を込めて読んでみた松浦氏の著書ですが、期待通り慶喜の事を持ち上げすぎる事もなく、また蔑む事もなく淡々と慶喜について書かれていたので好感が持てました。特に禁裏御守衛総督時代の慶喜についてはよく知らなかったので、松浦氏の説明は非常に参考になりました。実際先日更新させて頂いた「幕長戦争に至るまで」でも、この本を参考にさせて頂きました(^^;)
 そんな非常に好感が持てた松浦氏の著書ですが、鳥羽伏見以降の慶喜の態度に関してだけは違うんじゃないかなと思いました。松浦氏は鳥羽伏見で負けた時点で慶喜は新政府軍に恭順を決めたのではないかと書いてますが、私は江戸城帰還の時点では慶喜はまだ新政府軍の戦いを諦めていなかったと思っています。
 ただこの事以外は松浦氏の説明はどれも納得出来ましたので、今まで読んだ慶喜関連の本の中では一番公平な視点で書かれていると思いますのでお勧めです。

 余談ですが最後に私の慶喜観を書かせて頂くと、「聡明だが胆力が無い」ですね。聡明だからこそ勝てると思った時は、どんなに不利な情況でも諦めませんが、頭の回転が速い反面一旦自分で勝てないと判断すると、他から見ればまだ諦める必要はないのに諦めてしまうと言うのが私の慶喜観です。

幕長戦争に至るまで~徳川幕府の終りの始まり~

2006年11月04日 20時10分32秒 | 戊辰戦争・幕末維新史
 大島紀行に出発する前に完成させたいと思っていた「幕長戦争に至るまで~徳川幕府の終りの始まり~」を本日更新しました。本当は先週に更新させる予定だったのですが、意思の弱い私は先週発売されたPS2版「うたわれるもの」にハマってしまい今週の更新になってしまいました(汗) ちなみに結局「うたわれるもの」をクリアーしてからの更新になってしまいました(大汗)

 そんな訳でようやく今日の更新となったこの記事ですが、今回初めて軍事史以外の記事を書いたのですが、こうやって自分で記事を書くと今まで知ってるつもりで知らなかった事をたくさん知る事が出来て本当に勉強になりました。また専門的なサイトとは比べ様もありませんが、私なりに基本的な箇所は押さえた記事のつもりですが如何でしょうか?
 ただ書いた文章を読み直すと一橋慶喜・大久保利通・大村益次郎・高杉晋作といった特定の人物を中心に書いてしまったので、いささか英雄史観の強い文章になってしまいましたが、未熟故とお許し頂ければ幸いです。

 そんな訳で幕長戦争に至るまでの経緯を書きましたので、続いてはいよいよ我ながら楽しみにしている幕長戦争大島口の戦いの戦況について書きたいと思います(^^) 大島紀行を堪能するためにも、この戦いの記事は大島に出発する前に書き終わりたいと思っています。まあ「うたわれるもの」もクリアーした事ですし、大島口の戦いの文章を書く事に専念出来るので大丈夫だと思うのですが・・・(^^;)