さて今週末は、きへい様も挙げて頂いた「西南戦争之記録 第三号」に収録されている、竹内力雄氏の「日本でのシャスポー銃」と、「日本歴史」に収録されている有馬成甫氏の「幕末における西洋火器の輸入」の二つの先行研究をコピーしてきました。両方とも『兵器沿革史』を根拠としており、まだちゃんと読み込んでいないものの、同書に書かれている所で重要な部分としては、「新政府が徳川家から接収したシャスポー銃の総数は三千挺、内の二千挺(二個連隊分?)にはナンバリングされており、欠番が無い状態だった」が挙げられると思います。
また栗原隆一氏の「幕末日本の軍制」に、旧幕臣の田島応親が「慶応三年の伝習隊の訓練ではエンピール銃(ミニエー銃の一種)を使用していた」との証言が書かれていました。この田島の証言は「史談会速記録」に記述されているそうなので、来週末に図書館に確認とコピーをしてきたいと思います。
この田島の証言と、今週末にコピーした論文二つを読み込みまして、来週末にまたこの件について書かせて頂きたいと思います。本当はあさくら様が書いてくれたように、小山や宇都宮等の現地に行って、調べる作業も必要なのですが、まずは先行研究の読み込みから始めたいと思いますので、ご理解の程をお願いします。
この件については、色々な方を巻き込んでご迷惑をお掛けしてしまいましたが、私なりに調べてこれからも途中経過を説明させて頂きたいと思いますので、ご容赦頂きますようお願いします。