歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

野口悠紀男著 「『超』文章法」

2007年09月27日 22時29分08秒 | 読書
 「綺麗な文章を書けるようになりたい」と思い、「論文の書き方」「文章の書き方」に引き続いて購入した本です。あまりにも俗っぽいタイトルだったので、読む前は正直期待していなかったものの、いざ読んでみると実用的な指摘が書かれている本でした。

 まず文章構成のアドバイスから始まり、比喩や引用の上手な使い方の説明など、実用的な事次々と説明してくれます。またこのような指摘だけではなく、句読点の打ち方、ひらがな・カナ・漢字の使用比率など文章を書くに当たっての基本的な知識も説明してくれます。このような説明は、文系の学校を出た方には当たり前の事かもしれません。しかし文系の学校を出ていない私にとっては、このような基本的な知識こそ知りたかったので本当にありがたかったです。
 また筆者は言葉遣いにも拘りがあるらしく、「小生」「浅学非才」「貴兄」などの表現は、却って嫌味っぽく感じるので辞めた方が良いと語っています。これについては私自身その傾向があったので、今後は改めようと思いました。
 他では先日を感想を書いた清水幾太郎著の「論文の書き方」でも書かれていた、「曖昧接続の『が』を使うな」というのを、本書でも書かれていたのが印象的でした。一応私も「論文の書き方」を読んで以来、「が」はなるべく使わないように努力しているつもりです。そのように気を使ってる最中に、本書でも同じ注意がされていたので、この「が」については今後も注意していこうと改めて思いました。

 このように本書は全編で、上記のような文章を書くに当たっての実践的な技術が書かれています。おかけで読んでいるこちらも引き込まれてしまい、一気に最期まで読みきってしまいました。
 しかし一方で、本文中に自分の著書の宣伝を何度も行なう筆者の品性には、最期まで馴染む事は出来ませんでした。

辰濃和男著 「文章の書き方」

2007年09月20日 21時36分03秒 | 読書

 文章の書き方を学びたくて、「論文の書き方」に引き続いて購読しました。しかしいざ読んでみると、純粋に読み物としても面白い本でした。

 本書はまず文章を書く心構えから説いてくれて、良い文章を書くにはたくさんの本を読むなど人生経験を積まないといけないと述べています。実際本書では筆者の豊富な知識が活かされ、先人達が残した著書から色々な文章を紹介しつつ、様々な文章の書き方を紹介してくれています。
 またこの筆者の書く文章が綺麗である事も、本書の特徴として挙げられると思います。「そう言うものだ」と言われればそれまでですけど、どうも新書の文体は上目線で書かれている本が多い気がします。しかし本書では筆者が丁寧な言葉遣いで文章が書かれているので、気持ち良く読み進める事が出来ました。そしてこの丁寧な文体だからこそ、筆者が色々な知識を披露しても嫌味に感じる事がなく、むしろ筆者の知識量の豊富さに感服しながら読み進める事が出来ました。
 そして本書に書かれて最も印象に残ったのは、「文章は判りやすく書かないといけない」との主張で、これには私も同じ気持ちです。日本だけなのかは知りませんけど、どうも一部では難解な文章が持て囃される傾向があるような気がします。何の予備知識が無い人が読んで判らないような文章の、どこが素晴らしいのか理解出来ない私からすれば、筆者が福沢諭吉の言葉を交えて述べる、「文章は判りやすく書かないといけない」との言葉には喝采を贈りたい気分になりました。余談になるものの、私が「意味もなく難解な文章が持て囃される」と思う三大ジャンルは「思想哲学」と「役所官庁の文章」、そして「ライトノベル」の三つです。

 このように本書は文章を書く心構えについて、丁寧に説いてくれています。しかし一方でいざ文章を書くに当たっての、言い方は悪いですが「小手先のテクニック」については殆ど触れてくれませんので、あまり実用的な本とは言えないと思います。
 文章を書くに当たっての心構えを持つことには重宝するものの、いざ文章を書くに当たっての参考書とはならない、これが本書に対する私の感想です。


戊辰戦争時の徴兵隊について

2007年09月16日 21時14分46秒 | 戊辰戦争・幕末維新史
 戊辰戦争時に朝廷が独自の戦力を欲して、諸藩から兵員を供出させた「徴兵隊」なる軍勢を編成していたのは知っていたものの、その実態がどの様な軍隊だったかというのは、勉強不足のため今まで知りませんでした。北越戦争に五番隊と十二番隊が出兵した手前、弊サイトで記事を書くに当たって両隊の編成は調べたものの、他の隊については全く無知でした。しかし先日国会図書館に別件を調べに行った際、徴兵隊について書かれた書物を若干読んだので、それについて書かせて頂きます。

 まず驚いたのは、この徴兵隊が三十二番隊まで存在する(ただし通しで三十二番隊まで全て存在したかは不明)総兵力二千名にも及ぶ大兵力だった事ですね。しかし大兵力と言っても一部隊が少ない部隊は二十数名、多い部隊は三百名余という部隊毎の定数がばらばらな組織としては運用に難のある軍勢だったと思います。そのせいかどうかは判らないものの、結局実戦には前述の五番隊と十二番隊しか参加しなかった模様で、殆どが警護任務に従事していたみたいです。
 また興味を惹かれた事として、旧赤報隊が七番隊として徴兵隊に再編成されていたのには驚きました。赤報隊についても勉強不足の為、この徴兵七番隊に赤報何番隊が編入されたかは判りません。しかしこの赤報隊を徴兵隊に編入した事からも、「新政府が草莽隊を悉く弾圧した」というのは俗説に過ぎず、理由はともかく相良達幹部の行動が粛清に繋がったと考える方が自然ではないのでしょうか。

 以上、つれづれと徴兵隊について書かせて頂きました、しかし徴兵隊についてはまだまだ知らない事が多く、また興味深い対象だと思いますので、今後も少しづつ調べていきたいと思っています。

今村仁司著 「マルクス入門」

2007年09月14日 22時28分57秒 | 読書
 歴史を勉強するに当たって、「マルクス史観」を学んでおかなくてはとは常々思っていました。しかし無学の身にはマルクスは難しいので、どうしたものかと思っていた時に、この本を見かけたので購入しました。しかしいざ読んでみると、「マルクス入門」という題に反して全然入門書ではない難解な文章だったので、読むのに苦労しました。
 まず上記の通り初心者向けの記述は序章しかなく、以降はいわば筆者のマルクス解釈が延々と綴られる内容でした。その筆者のマルクス解釈も現実的な解釈なら、まだ良いのですけど、完全に観念的な解釈なので読んでいても意味がさっぱり判りませんでした。実際本書の後半で経済観や歴史観についても触れてはくれていますけど、こちらについても観念的な解釈が述べられているだけなので、「マルクス史観」とはどのようなものなのかというのを学びたかった身としては、全く役に立ちませんでした。
 本書の文章がどれだけ難解かといいますと、第四章の「歴史的時間の概念」から一文を引用させて頂きます。

 「上級は下級をアウフベーンするというのと同じである。それが具体的現実の運動の叙術であり、この運動のなかには人間の精神行為としての言説が不可避のモーメントして含まれている。だからこそ、ヘーゲルは具体的現実をガイストと呼ぶ事が出来たのである。ガイストの多義性のために、ある種の誤解もありえたのだが、ガイストの真実の定義は自然界と人間界を構成要素とする全体である」

 正直この文章を読んだ瞬間、「どこのライトノベルだ」と思ってしまったくらいです。このように終始観念的、抽象的な表現が続く、非常に読みにくい本でした。
 もしかすると哲学的にはこのような文章は当たり前なのかもしれません、しかし哲学に馴染みの無い身としては全く意味不明でした。もしこのような文章を理解出来ない者には哲学を学ぶ資格はないと言われるのなら、私にはその資格はないでしょうし、このような言葉遊びを弄する学問など学ぶ必要はないとも思いました。

 以上のように「マルクス入門」と銘打ってながら、その実情は筆者のマルクス解釈であり、その解釈も観念的な、哲学を学んでいない者には意味不明な物でした。おかげで、最近哲学についての認識を改めつつあったのに、この本を読んでまた「哲学は暇人が学ぶ学問」という思いが強くなってきました。ただマルクス史観については学ばなくてはいけないとは思っていますので、この本のような羊頭狗肉ではなく、本当の意味でのマルクス入門になるような本を探したいと思っています。
 最後になりますが、「難しい文章を使いたがるのは、文章が下手な証拠だ、下手だからことさら難しい字を使って飾ろうとしているのだ」、福沢諭吉が残したこの言葉を本書に捧げたいと思います。

日本史探偵団創刊号発売開始しました

2007年09月12日 22時11分09秒 | 雑記
   

 私も参加させて頂いた、サークル日本史探偵団の電子版創刊号「鳥羽伏見の戦い(前編)」のダウンロード発売を開始しました。同人といっても、プロの作家さんが二人も参加する本格的な内容になっており、単に鳥羽伏見の戦いの軍事面だけではなく、政治・経済・外交も網羅した重厚な内容になっています。また電子書籍の利点を活かして、画像や図面を活用した構成になっており、商業誌に決して引けを取らない内容になったと思いますので、是非ともご一読下さい。幕末史に興味がある方はもちろんの事、これから幕末史を調べてみたいと思っている方にもお勧めします。

 弊ブログには「なのは」や「らき☆すた」の感想を見に訪れてくれている方が多いと思います、しかし私としてはこちらが「本職」と思っていますので(^^;)、「なのは」や「らき☆すた」の感想を気に入って頂けた方がいましたら、こちらもご一読して頂けたら幸いです。
 尚、後編は冬コミ後の発売になると思います。

江藤新平逃走の是非

2007年09月09日 22時20分35秒 | 戊辰戦争・幕末維新史

 先日知人の方々と話をしている際、ふと江藤新平の話になり、その中で佐賀の乱における江藤の逃亡に話が及ぶと、「男らしくない」と否定的な意見が多かったのに驚きました。何故かと言いますと、佐賀の乱で敗北した際に、自決せずに捲土重来を謀り逃亡した事こそ、私が江藤を支持する最大の理由だからです。

 今夏コミの幕末ヤ撃団様の新刊で、薩摩藩の気質について「寡黙で、何か道を誤ったら黙って腹を切る」のが美徳とされていたと説明がありました。このような薩摩藩の気質を好んでいる方からすれば、議論好きで腹を切る時(佐賀の乱の敗北が決まった時)に逃亡した江藤の事を、卑怯者と好ましく思わないのは当然かもしれません。
 しかし納得出来ない事があったら議論すべきと思う私にとっては、「寡黙で、責任を取る時は黙って腹を切る」という薩摩の気質は、正直信じられないものです。そして自己主張はすべきという考えの私としては、議論好きといわれる長州に輪を掛けて議論好きの佐賀、その中でもずば抜けて理屈っぽいと言われる江藤の気質が好ましく写るのです。
 何より冒頭に書いた通り、江藤が佐賀の乱で敗北した際に捲土重来を謀って逃亡した事こそが、私にとって江藤を支持する最大の理由です。反乱を起こしたからには、勝利を得るまで最後まで戦い抜くのが反乱指導者の責任と私は思っています。そしてその考えからすれば、再起を計って各地を転々とした江藤は反乱首謀者(江藤が本当の意味で佐賀の乱の首謀者だったかというのは別の話として)としての責任を全うしたと思うのです。
 どうも日本では敗れたら自決する事が美徳という考えがあるかと思います、しかし暴言かもしれませんが、私としては自決するくらいなら降伏して生き長らえた方がマシだとすら思っています。死んでしまったら得られるのは名誉だけで、実利的な物は何も得られません。日本的な美意識には反しますが、死んで名誉を得るよりも、生きて実利的な物を得る方が大事だと私は考えています。そしてどんな名誉のある立派な死よりも、どんなに惨めで情けないとしても生の方が私は価値があると考えるのです。
 このような考えから、佐賀の乱で敗北した際に江藤が逃亡したのは、確かに卑怯な行為だったのかもしれません。しかし江藤は名誉と言う観念的なものよりも、実利的なもの(再起して次こそ新政府を倒す)を選んで、それを得る為に逃亡したのではないかと私は解釈しています。

 以上のように今回は江藤新平逃走の是非について書かせて頂きました。今回面白いと感じたのは江藤に批判的な方も江藤支持の私も、江藤が行なった行為に関しての認識は同じで、それに対しその人が持つ価値観によって好意的に感じたり、批判的に感じたりするというのを改めて実感しました。注意はしているつもりなものの、どうしても一人で歴史を学んでいると視野が狭くなってしまいますので、このように自分と価値観の違う人の意見を聞くのは勉強になり、そして楽しい事だというのを今回の件を通じて改めて実感した次第です。


 今回の雑記は試験的に短文形式で、本文を序論・本論・結論の三部構成で書いてみました。目下試行錯誤中なので、読みづらい面があるかと思います。しかし読みやすい文を書けるようになるため努力していますので、これからも弊ブログにお付き合い頂ければ幸いに思います。


丸山真男著 「日本の思想」

2007年09月06日 21時18分45秒 | 読書

 『歴史とは何か』『歴史学ってなんだ?』に続いて、歴史を学ぶのに当たって哲学や思想を学ばなくてはと言う訳で購読しました。ただ前回購読した『歴史学ってなんだ?』があまりにも大ハズレだったので、今回は敢えて思想界の重鎮の著書を購入しました。しかしこれが裏目に出て、思想界の重鎮の書くあまりにも深い内容は、無学の私の頭では中々理解出来ず、読み終えるのに非常に時間が掛かりました。
 特に第二章の「近代日本の思想と文学」に関しては、最初から最後までチンプンカンプンで全く理解出来ませんでした。思想だけでも理解するのに大変なのに、自分と最も縁遠いと思う文学等と話を絡められては、読むだけで精一杯で内容を理解する事は出来ませんでした。ただ一つ読んでいて驚いたのは、戦前及び戦後直後の文学界というのは政界と真剣に相対していたんですね、可否は別として昔の文学界というのは、今と違って骨が有ったのだなと感心しました。
 前述の難解な二章に比べると多小は楽だったものの、一章もかなり難解な文章でしたね。しかし一方で読み応えのある内容だとも感じました。「日本の思想」と言う本書のタイトルと同じ表題をつけられている一章が一番筆者のメッセージが込められていると感じ、内容も鋭い所を突いていると感じました。日本の無責任体質の要因を、支配権の根拠を天皇制に置き、その国体を神聖不可侵な存在としたため、物事の責任を誰も取らない体質となり、この体質を上層部だけでなく、村社会という一般層まで倣ってしまった為、結果的に日本全体が無責任の社会になったという筆者の説は、左派思想の重鎮でなければ主張出来ない勇気ある主張だと喝采を送りたい気分になりました。
 この様に一章と二章がイデオロギー要素の強い内容だったのに対し、三章と四章は一般向けの判りやすい内容でした。『ササラ型とタコツボ型』と『「である」ことと『する』こと」という言葉は無学の私でも知っていましたけど、実際にその文章を読んでみると考えさせられる物ばかりでした。特に興味深いなと思ったのは、『ササラ型とタコツボ型』の説明で、日本はどの学問も専門化して、個々の学問同士の繋がりが無いタコツボ型なのに対して、欧州は各学問が根底では一つになっているササラ型で、その根底となり各学問を繋げているのが哲学だという説明は、哲学など暇人がやる事と少し前まで思っていた私にとっては衝撃的なものでした。この文を読んで、普段お世話になっている方達が何故、「歴史を学ぶなら哲学を学ばないといけない」とアドバイスしてくれたのか判った気がします。

 ところで本書の感想ではありませんが、本書を読んでいて筆者が自分達の事を知識層と呼称しているのが気になりました。確かに筆者の功績を考えれば、この呼称は決して不自然ではないと思います。しかしそれが全ての原因ではないにしろ、筆者を代表とする左派知識層に対する嫉妬と反発が、現在の若年層の右傾化が進んでいる一因になっているのではないでしょうか。


八十里峠 第二回

2007年09月03日 22時14分01秒 | 雑記
 お世話になっている越の山路様にて八十里峠の記事の第二回がアップされました、この八十里峠は弊サイトでも記事を書かせて頂いてる北越戦争の際、新政府軍に敗れた同盟軍(主に長岡藩)が逃走路に使った街道です。前回の第一回では八十里峠の入り口である吉ヶ平の紹介で終わりましたので、今回の二回はそれ以降の会津へと向かう八十里峠の現在の姿を紹介して下さっています。北越戦争当時とは若干道が変わっているみたいですけど、難解な山道というのは伝わってきましたので、興味深く読ませて頂きました。中でも藩主家族の動向などは、北越戦争の動向とは直接関係ないので知らなかったので興味深く読ませて頂きました。
 また越の山路様の記事を読んで意外だったのは、八十里峠を新政府軍が侵攻してくるのを阻止する為に山本帯刀が残存部隊を率いて、鞍掛峠に布陣したのは知っていましたけど、未だに鞍掛峠では当時の戦闘で使われた弾丸が見つかるほどの激戦が行なわれたというのは知りませんでした。正直この鞍掛峠の戦いは、新政府軍の栃尾方面軍の斥候隊と、山本隊との間で行なわれた小規模な戦闘だったと思い込んでいましたので、未だに当時の戦いで使われた弾丸が見つかるような激戦だったというのは本当に驚きました。
 それにしても越の山路様の八十里峠の記事を読んで、この八十里峠の戦いを調べてみたいなとも思いました。ただ北越戦争でまだ記事を書いていない戦いと言えば、福田侠平が率いた村上・庄内方面軍の戦いを書いてみたい気もするんですよね。