歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

「図説幕末戊辰西南戦争」の感想その3

2006年07月30日 20時32分30秒 | 読書
 購入後興味深く読み続けた「図説幕末戊辰西南戦争」もこの週末に読み終わりました、さてこの本で最も期待していた戊辰戦争については、北越戦争の記事にもう少しボリュームが欲しかった気がしますが、他はこれだけの誌面によく鳥羽伏見の戦いから箱館戦争までを過不足無く纏めたものだと、ほとほと感心しました。特に他の著書では記述される事の少ない野州戦争を取り上げてくれたのは流石は大山先生が監修してくれている本だと思いました。
 また購入後はそれほど期待していなかった維新以後の士族動乱も、大山先生と中西先生の名コンビが、この時代の知識があまり無い私でも理解出来る程判りやすくかつ軍事的にもしっかり書かれているので楽しく読ませて頂きました。
 しかし中西先生も書かれていますが、何故大久保利通はあそこまで江藤新平を憎んだのですかね?、ある意味似たもの同士というか自分に匹敵する政治手腕を持つ政的と見て忌み嫌ったのでしょうか?
 この大久保と江藤の確執は明治時代初期の重要な要素だと思っているので、研究が進むのを望んでいます。

「図説幕末戊辰西南戦争」の感想その2

2006年07月27日 23時12分57秒 | 読書
 昨日に引き続き「図説幕末戊辰西南戦争」の感想を書かせて頂きます、昨日詳細に描かれた戊辰戦争で使用された小銃・大砲の説明を興奮しながら読み終えた後、いよいよ本編の通史編を読み始めました。
 執筆の大山先生が苦労したというだけあって、よくあの少ないページ数で幕末維新史を纏めれたと感嘆しています。ただ幕長戦争について詳細に書いているのが小倉口の戦いだけだったのは仕方ないと思いますが、『第二次長州戦争要図』で大島口の戦いの参加兵力が商農兵としか書かれていなかったのは悲しかったです。
 まあ幕長戦争の華は革命児高杉晋作最後の戦いとなった小倉口の戦い、次が軍略の天才大村益次郎がその鬼謀を発揮した石州口の戦い、そしてその次が本来ならこの幕長戦争の「主戦線」の筈の芸州口で、大島口の戦いは幕長戦争の中で一番地味と言うか大局に影響しなかったと言うのは私もそう思いますが、せめて「後に第二奇兵隊・浩武隊が参戦した」と書いてほしかったです。
 う~ん一般的には「大島口は高杉晋作の軍監殴り込みで勝利した」という俗説が信じられているので、この本には是非とも世良修蔵の活躍により大島は奪回されたと書いてほしかったです。他は本当に素晴らしい内容だっただけに、この大島口の記述の少なさは残念かな。

「図説幕末戊辰西南戦争」の感想その1

2006年07月26日 22時00分06秒 | 読書
 大山格先生や中西豪先生が執筆しているとの事で、知人間でも絶賛だったので購入してきました。まだ読み始めなので全体の感想はまだ書けませんが、いきなり冒頭に戊辰戦争に使用された小銃・大砲の説明がされているのですが、その中でミニエー・スナイドル・シャスポー・スペンサー等の戊辰戦争での主要小銃や、大砲の構造がイラストで説明されているのを興奮しながら読ませて頂きました。ミニエー・スナイドル・シャスポー・スペンサーについては私も仕様と性能については知っていましたが、あくまでイメージとして把握しているだけで、機械的にどのような構造かは知らなかったので、今回この本でミニエー等の機械的構造を知る事が出来、兵士達がどのような操作動作をしていたかをイメージする事が出来るようになったので本当に興奮しています。
 また大砲については、私は大砲については基本構造も操作方も知らなかったので、今回基本構造と基本操作方を学ぶ事が出来たので喜んでいます。

 このようにまだ読み始めながら興奮しているこの本ですが、この本を読んで自分のサイトをどのようにしていけば良いのかのヒントを得た気がします。そんなまだ読み始めですが、記事の内容に興奮したりサイトの制作意欲を刺激されたりと本当に素晴らしい本なのでお勧めです(^^)

井上勲著「王政復古~慶応3年12月9日の政変~」

2006年07月23日 20時13分14秒 | 読書
 タイトルからして12月9日の小御所会議がメインかと思っていたのですが、いざ読んでみたらペリー来航から12月9日の王政復古の大号令が発せられるまでの政治の動きが描かれ、私がメインと思っていた小御所会議や、それ以降の政治の動向などには触れられずに終わってしまうので、ある意味読者を選ぶ本だと思いました。
 このように通史として読むと少々不親切な気がしますが、大まかな幕末史の流れを知っている人が読めば、薩長の倒幕派と越土芸の公武合体派の駆け引き、また薩摩内の倒幕派と和平派の駆け引き、そして徳川慶喜の同行など幕末史で重要な働きをする勢力の動向を細かく描いてくれています。
 特に個人的には芸州藩の同行を描いてくれているので勉強になりました、どうも芸州藩の幕末の動きはイマイチ判らなかったのですが、土佐と組んで公武合体派として薩長と対抗したとは知りませんでした。
 しかし幕末の芸州藩の動きは判りましたが、薩長芸出兵同盟を結びながら鳥羽伏見の戦いに中々参戦せず土佐や鳥取に先を越され、その後の戊辰戦争でも土佐や鳥取の働きに比べると芸州の動きはパッとしないのでは、維新後芸州勢が明治新政府であまり優遇されなかったのも仕方ないのかなと思ってしまいました。

映画「日本沈没」

2006年07月22日 22時28分26秒 | 雑記
*今日の雑記はネタバレがあるのでご注意。


 オリジナルの「日本沈没」が面白いので観に行ってきました、特撮も迫力があり豊川悦司氏と及川光博氏の演技も良い観応えのある映画でしたが、無理やりハッピーエンドにしなくてもと良かったのではというのが正直な感想です。
 オリジナルは日本が沈没するという悲壮感が、ある意味特徴だったと思うのですが、主人公が犠牲となって世界を救うというのは確かに感動的なハッピーエンドかもしれませんが、正直このパターンは最近多すぎて陳腐化している気がするので、どうせリメイクするならオリジナルに従ったエンディングにしてほしかったです。
 あと若い人の人気を得るためには必要なのかもしれませんが、主人公とヒロインのラブシーンが多すぎて、テンポが悪く感じました。

サイト移転しました

2006年07月16日 23時26分53秒 | 雑記
 今更ですが、今月13日にサイトを移転しました。事前に何も告知せずの突然の移転でしたが、別に深い意味は無く単に節約の為に安いサーバーに移転しただけです。
 まあディレクトリの整理をしたかったというのもあったんですけどね、メインコンテンツの戊辰戦争の記事が「travelogue(紀行記)」にあるのは違和感があるとずっと思っていたので、これもサイト移転するのに併せて変更した次第です。実は当サイトを始めた当初は戊辰戦争に今ほどハマッていた訳ではなかったので、戦国時代も含めあちこちの古戦場巡りをして、その紀行記を書くのをメインコンテンツにしようと思っていたので「travelogue」のディレクトリを作ったのですが、その後戊辰戦争を本気で勉強するようになって、紀行記ではなく各戦いの記事を書くようになったのですが、それも「travelogue」に置いてしまい、気がついたら直すに直せない状態になっていたので、今回ようやく「boshinwar」のディレクトリに戊辰戦争の記事を置く事が出来て満足しています(^^;)
 もっとも「boshinwar」のディレクトリを作ったのは良いですが、幕長戦争と西南戦争の記事も「boshinwar」の下に置いてしまいました。これは一つか二つしか記事を書かない戦いのディレクトリを作るのも何だかなと思い、あえて「boshinwar」のディレクトリの下に置きました。そんな訳で後日「幕長戦争が何故戊辰戦争なんだ」というツッコミが入っても良いように、今ここで明記させて頂きます。幕長戦争や西南戦争の記事が「boshinwar」のディレクトリにあるのはわざとです!(^^;)
 以上普通に当サイトを読んで頂いている方にはどうでも良い話ですが、当サイトを移転するにあたっての個人的な感想を書かせて頂きました。
 そんな訳で今更ですが、これからも当サイト「総督府資料館」を宜しくお願いします。

仲村研著「山国隊」

2006年07月15日 22時48分59秒 | 読書
 鳥取藩の付属部隊として戊辰戦争で活躍した、丹波山国村の有志によって構成された農民による志願部隊である山国隊について書かれた力作です。
 単に山国隊の結成についての説明と、山国隊の各戦いの記述に留まらず、山国隊を指揮下に入れた鳥取藩内参謀の河田左久馬についての記述と、幕末の鳥取藩についても書かれているので、幕末の鳥取藩につての入門書としても最適だと思います。実際幕末に河田が失脚して、戊辰戦争前に復権する情勢などは鳥取県史や鳥取市史よりもこの本の方が判り易いです(^^;)
 また実際の戊辰戦争での山国隊の活躍についても、筆者が隊員の日記等を丹念に読んだ事による記述は読み応えがあります。特に甲州勝沼から野州安塚、そして上野戦争と勇戦した山国隊が何故その後はぱっとしなっかたのかという私の疑問に対する答えが詳しく書かれていたので、本当に満足出来る内容でした。
 一次史料ではありませんが、山国隊そして戊辰戦争での鳥取藩について調べている方にはお勧めの本です。絶版ですが古本街を探せば見つかるかと思います、私も普段お世話になっている方に古本屋で見つけて頂けました(^^;)

M・V・クレファント著「補給戦~何が勝敗を決するのか~」

2006年07月10日 23時15分07秒 | 読書
 雑誌「歴史群像」で紹介されているのを読んで、読みたいと思っていたのですが絶版という事で読めなかったのですが、この度再販されたので購入しました。
 内容は多小毒舌が過ぎる気もしますが、「ナポレオン軍は現地徴発を行ったので機動力が高かった」「普仏戦争でプロイセン軍が勝利したのは鉄道を活用した為」という戦史上の常識を多数の史料を挙げ否定して、一般で思われてるほど近代軍隊での補給体制が整ったのは遅かったというのを史上有名な戦いを例に説明してくれるので本当に面白かったです。
 まあこの著者の書く事を全て信じて、今までの通説を全て否定するのも危うい気がしますが、単に通説を否定するのではなくナポレオン軍も補給部隊を率いていた。鉄道の補給上の有効性は認めつつも、主な補給ラインとして鉄道と用い、そこから前線部隊への補給部隊を整え、かつ道路の整備及び交通整理して初めて鉄道を用いた補給が出来るという論調には非常に説得力を感じました。
 他に第二次世界大戦での北アフリカのロンメル軍団に対し、ロンメルの戦術手腕は認めつつも、通説によるロンメルが十分な補給を得れなかったのではなく、十分な補給を受けてたのに補給手段を無視して突進したロンメルに、北アフリカ戦線の敗戦の責任があるというのには、ドイツ贔屓気味の私としては驚きをもって読みました。
 そんな訳で最初に書いた通り多小毒舌気味な書き方ですが、ここまで補給(兵站)を重視した本は初めて読んだので、補給(兵站)に興味がある方には是非読んで頂きたいです。

E・H・カー著「歴史とは何か」

2006年07月08日 22時22分08秒 | 読書
 先日お世話になっている方から、私は「歴史哲学を持たず歴史を学んでいるので危うい」とご指摘を受け、勧めて頂いたのがこの本です。実際私自身歴史の中でも軍事史という狭い面でしか歴史に興味がなく、哲学についても自分とは違う人間が学ぶ学問で、「哲学の本を読む暇があったら、その時間で軍事史の本を読むか、古戦場を訪れた方が自分の為になる」と思っていたので、その考えを改めなくてはいけないとご指摘されて読みました。
 そんな訳で少しでも歴史哲学を持てるように読んでみたこの本ですが、正直「一割でも内容を理解出来たかな」というのが正直な感想です。前半の「歴史を研究する前にその歴史を語る歴史家を研究せよ」「歴史家は裁判官ではない」などは何とか理解出来たような気がしますし、「心理学というのは相手の反応をもって診断が下せるのだから、相手の反応が得れない歴史上の人物を心理学で語ってはいけない」というのは印象に残りました。よく心理学をもって歴史上の人物を書く本を見ますが、今までそれを読んで「心理学を学んでいるとこんなアプローチの仕方があるのか」と思っていましたが、そのようなアプローチが危ういというのがこの本を読んで理解しました。
 そんな訳で前半までは何とか理解出来た気もするのですが、後半は完全に哲学的な内容になるのですっかりチンプンカンプンでした。
 まあこれまで哲学に否定的な考えを持った人間が一冊本を読んだくらいで、理解出来るようなものだと哲学を簡単な物だとは思っていませんので、ご指摘頂いた方達の期待に答えれるように、これからも歴史哲学を持てるように本を読んでいきたいと思います。

上垣外憲一著「文禄・慶長の役」

2006年07月03日 22時09分49秒 | 読書
 文禄・慶長の役に関しては大分昔の学研の赤本を読んだ事があっただけで、そう考えると十数年ぶりに文禄・慶長の役の本を読んだ気がします。
 どうも近年のこの戦役に対しての認識が「道義的」に走りがちで、「政治」「軍事」の概念から当戦役を考えてるのは少ないと思っていたので、そう言う意味ではこの本の政治・外交・軍事の点から当戦役について書いてくれていたので読み応えがありました。
 特に「日本の無知と朝鮮の無関心が当戦役を生んだ」の言葉は印象的でしたね、当戦役に先立って日本側の動きはそれなりに知っていたつもりでしたが、これに対し朝鮮が余りにも無策だったと言うのは知らなかったので、読んでいて唖然としました。
 また当戦役の緒戦の快進撃については、私も通説通りの日本軍の小銃(火縄銃)による火力に朝鮮軍が歯が立たなかったと認識していたのですが、この本を読むと小銃と同じくらい日本刀の切れ味が朝鮮軍にとって脅威だったと、朝鮮側の史料に書かれていると言うのに驚きました。私は武器としての日本刀をそれほど評価していなかったので、敵側から兵器としての日本刀を高く評価する記述があったのには驚きでした。

 他にもそれぞれの戦いの日本軍の動きもきちんと描かれ、軍事的な記述が疎かになりがちな他の歴史系の本と比べると、久々に読み応えのある本でした。
 しかしこの本を読めば読むほど、国内統一戦では抜群の補給手腕を発揮した秀吉が、国内線と対外戦(特に海上輸送)は違うと言っても、最後の当戦役で補給に対してあそこまで無策だったのかには理解出来ませんね。やはり病んでたんですかね、晩年の秀吉は・・・。

戊辰戦争の部隊編成(部隊単位)について

2006年07月02日 20時49分04秒 | 戊辰戦争・幕末維新史
 昨日日頃お世話になっている方から、「普通の歴史ファンの人は小隊・中隊・大隊と言われても、どの位の規模か判らないのでは?」と言われたのですが、正直今までその事には気付きませんでした。
 これまで私は自分なりに戊辰戦争の各戦いで、どこの藩が何小隊を動員し、その小隊を率いていた小隊長は誰々だったと言うのには力を入れて調べてきたつもりですが、では当時の小隊は何十人位で構成され、中隊や大隊は何小隊で構成されていたと言う説明は、今まで一切せずにサイトを運営していました。
 これは「戊辰戦争を軍事史の視点から見たサイト」と謳っているくせに、では軍事史で読むのに必要な基礎知識を書かずに今までサイトを運営してきたのは我ながら怠慢だなと反省した次第です。
 そんな訳で遅ればせながら、まずは本日「戊辰戦争の部隊編成(部隊単位)についてのご説明」を作成しました。これに留まらず今後も「展開」「斥候」「胸壁」など当サイトに頻繁に登場する軍事用語の解説コーナー等も設けて、軍事ファンだけでなく一般の歴史ファンの方にも読んで頂けるようなサイト運営を目指していきたいと思います。