歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

松岡英夫著「安政の大獄」

2006年04月25日 22時56分03秒 | 読書
 今まで何度も書いてますが、私は戊辰戦争以外の幕末の知識が殆ど無いので、史上有名な安政の大獄に関しても一般的な知識しかないため、今回この本を購読してみました。
 正直私は今まで安政の大獄は、井伊直弼率いる幕府が橋本佐内や吉田松蔭などの尊王の志士を弾圧して、これに反発した志士の生き残り達が逆に幕府を滅ぼしたと言う認識しか持っていませんでした。ところがこの本は安政の大獄を一般的な「幕府VS志士」と言う図式だけではなく、「井伊直弼VS開明派幕臣」と言う説を書いてくれたので、興味深く読ませて頂きました。
 特に岩瀬忠震・川路聖謨等が直弼により失脚させられたと言うのは驚きでした、彼等が第一線で活躍していたら歴史は変わっていたのではと思っていたので、この本を読んで安政の大獄に対する認識が代わりました。
 そんな訳で、ある程度安政の大獄に対する知識がある人には必要ないかもしれませんが、私のような初心者にはお勧め出来る内容でした。少なくとも星亮一氏の「幕臣たちの誤算」を読むくらいなら、この「安政の大獄」を読んだ方が、何故幕府主導の維新が出来なかったのかが余程判ると思います(^^)
 

星亮一著「幕臣たちの誤算」

2006年04月24日 22時51分50秒 | 読書

 最近迷走気味の星氏ですが、会津が絡まない内容なら感情的にならないだろうと思ったのと、副題の「彼らはなぜ維新を実現できなかったか」に惹かれたので購入したのですが、いざ読んでみたらやはり星氏は星氏でした(涙)
 「幕臣たちの誤算」と言うタイトルなのですから、私は岩瀬忠震や川路聖謨と言った一般の知名度は低いですが、有能な幕臣の姿を描いてくれると思っていたんですよ。しかしいざ読んでみると出てくるのは小栗忠順・勝海舟・榎本武揚・土方歳三と言った誰でも知ってるような有名人ばかり、しかもその内容も私でさえ知ってるような事ばかりな薄い内容でした。正直これなら先日読んだ野口武彦氏の「長州戦争」の方が幕臣達の姿を余程詳しく描いてくれましたね、「幕臣たちの誤算」と大層なタイトルをつけてるわりには、中身は誰でも知ってるような話ばかりと言うのが正直な感想です。
 まあ、つまらないだけなら別に良かったのですが、うんざりしたのがこのタイトルなら感情的にならないだろうと思っていましたが、結局随所随所に、いつもながらの会津の恨み節が出てくるんですよ(汗)
 特にしつこいと思ったのが勝と徳川慶喜に対して度重なる批判です、「奥羽越列藩同盟を支持する立場に立つ身としては、極めて物足りない人間だった」と言う件を読んだ際は、もはやこの人は会津藩を通しての恨みの視点でしか歴史を見れないのだなと哀れに思ってしまいました。また新政府軍を「官軍」とは何が何でも認めたくないらしく、「薩長臨時革命政府」と訳の判らない造語を生み出していました(汗)
 う~んかつての「奥羽越列藩同盟」を書いていた頃の星氏は本当に素晴らしい作家だと思っていたのですが、今の星氏は自分が認めたくない事からひたすら目を逸らして自分の殻に篭ってしまったように見えてしまいます。


岡義武著「山県有朋」

2006年04月23日 22時41分13秒 | 読書
 山県については幕末から西南戦争までの動向は多少は知っているのですが、その後の山県については殆ど知らないので購読してみました。
 この手の個人を扱った本は対象者を絶賛するか、若しくは極端に誹謗する場合が多いですが、この本は山県を擁護する訳でも無ければ必要以上に批判する内容でもなかったので読んでいて不快は感じませんでしたね。
 それで肝心の内容についてですが、個人的には日清・日露両戦争での「軍人」としての山県の手腕を読みたかったのですが、内容の大半が「政治家」としての山県の姿だったので、その辺はちょっと残念だったかな。日清であまりの戦下手ぶりから司令官を解任され国内に更迭された山県の姿を読んでみたかったです(^^;)
 まあ政治家としての山県の手腕を知れたのは良かったですけどね、ただ山県の政治家としての実績を知れば知るほど何故ここまで山県が嫌われるのか余計判らなくなりました。小悪党の政治家は確かに国家にとって害悪ですが、大悪党の政治家は時には国家にとって必要だと私は思っていますもので・・・。
 余談ですが、この本にも同時代の政治家として大隈重信は国民に好かれたと書かれていますが、山県が嫌われて大隈が好かれる理由が私には判りません。だって大隈と言えば明治2年の信州大一揆の際「3千人くらいなら農民を殺してしまえ」と言った人間ですよ、選挙に関する法律を作って国民を弾圧した山県は嫌われて、「3千人くらい殺してしまえ」と言った大隈は好かれる、う~ん私にはどうも理解が出来ません(汗)

米沢藩散兵隊の謎

2006年04月22日 23時01分11秒 | 戊辰戦争・幕末維新史
 先日都立図書館にてコピーした「米沢藩 慶応元年分限帳」ですが、あれから手持ちの米沢藩の史料と、この「慶応元年分限帳」と読み比べて、戊辰戦争に参加した米沢軍士官全体の7~8割の身分・年齢・禄高が判ってきたのですが、一方でこの「慶応元年分限帳」を読んでも詳細が一向に判らないのが、米沢軍の最強部隊である米沢藩散兵隊です。
 この散兵隊、弱兵と呼ばれた米沢軍の中にあって、全兵がスペンサー銃を装備する精鋭部隊で、あの河井継之助からも「散兵隊を援軍に借して欲しい」と言わせた程の、恐らく米沢軍の中で(越後戦線の)新政府軍主力の薩摩軍・長州軍・松代軍と唯一まともに戦えた部隊だと思えます。
 そんな米沢藩の戊辰戦争を語るのに中心となるべき散兵隊なのですが、その散兵隊を率いた4人の小隊長の名が「慶応元年分限帳」で見つからないんですよね。米沢藩に興味の無い方には幾ら精鋭部隊と言っても、ただの小隊長の身分・年齢・禄高に拘る気持ちが理解出来ないかもしれませんが、小隊長の身分(どの組に所属か」)が判れば米沢藩の最精鋭部隊の小隊長が単に身分から選ばれたのか、それとも身分に関係なく能力で抜擢されたのかが知りたいと思っている訳です。幾ら全兵がスペンサー銃を持っていたとしても、小隊長が身分で選ばれたのなら、それは単に全兵がスペンサー銃を装備している小隊に過ぎないので、散兵隊の実力を計るのに重要な要素だと思っている訳です。
 そんな訳で「慶応元年分限帳」を読んで散兵隊隊長の名を探しているのですが、一人も見つからないんですよね。まあ戊辰戦争が起きたのは慶応4年ですから、慶応元年の時は家督を継いでなくてもおかしくはないですが、4人も揃って家督を継いでないと言うのは有り得ないと思うんですよ。
 まあ「慶応元年分限帳」を探したと言っても、真剣に探したのは侍組・三手組(馬廻・五十騎・与板)・三扶持方(猪苗代・組外・組付)の上級~中級家臣だけで、扶持方並・足軽の下級家臣の項はあまり真剣には探していないので、下級家臣からの登用かもしれないのですが、他に下級家臣からの登用は見られないので真剣には探していなかったんですよね。
 そんな訳で「慶応元年分限帳」をコピーして3週間余が経ったのに、未だ散兵隊隊長の名が見つからない次第です。う~んこうなったら確立は低いけど、下級家臣の項を読み返さないと駄目かな。

野口武彦著「長州戦争」

2006年04月15日 22時54分14秒 | 読書
 まりも様の所で好評だったので購入して来ました、著者の野口氏については以前読んだ「幕府歩兵隊」が非常に素晴らしい内容だったので、この「長州戦争」にも期待していたのですが、期待を裏切らない興味深い内容だったので満足しています。幕長戦争(四境戦争・第二次長州征伐)に関しては、今まで多数の著書が出ていますが、どうしても勝者である長州藩の立場から書いた著書が大半だったのですが、この「長州戦争」は幕府側からの視点で描かれているので読んでいて新鮮で興味深かったです。
 ただ「長州戦争」と言うタイトルの割には、内容の大半が幕長戦争に至るまでの幕府内の動向で、実際の幕長戦争についての記述が少なかったのは残念だったかな。まあ野口氏としては幕長戦争の戦況については「幕府歩兵隊」でも書いているので、同じ事を書きたくなかったのかもしれませんね。
 何はともあれ安価な割には良書なので、興味のある方にはお勧めです。

宇都宮泰長著「維新の礎~小倉藩と戊辰戦争~」

2006年04月11日 23時03分12秒 | 読書
 ネットで見つけて、小倉藩の戊辰戦争の本とは珍しいと思い購入してみました。タイトルから判る通り郷土史なのですが、郷土史は大局観に欠ける所はありますが、主題とするべき題材には本当に詳細に描かれているので重宝するのですが、この「維新の礎」は良くも悪くも典型的な郷土史でした。
 「小倉藩と戊辰戦争」と言う副題はあっても、実際には戊辰戦争の記述は僅かで、大半は幕末の小倉藩の動向と幕長戦争小倉口の戦いで占められていました。その内容は郷土史らしく小倉藩の記述に関しては詳細に描かれているのですが、郷土史の欠点である作者の郷土(この場合は小倉)に対する思い入れが強すぎて、贔屓の引き倒しの嫌いが強かったですね。
 特に幕長戦争小倉口の戦いについてその傾向が顕著でした、緒戦から小倉城炎上までの長州軍の前に惨敗する小倉藩兵については枚数を裂かずに、その後の小倉藩兵のゲリラ戦については詳細に描くのは公平では無いなと感じました。しかもこの小倉藩兵のゲリラ戦については、危うく長州軍が小倉藩兵の前に壊滅させられたと言わんばかりの記述でした。確かに長州軍は苦戦しましたが、幾ら何でもこの本の記述は誇張し過ぎです。
 他にも戊辰戦争での対庄内藩戦争は小倉藩兵のおかげで勝てたと読めるような書き方をして、本来対庄内藩戦争勝利の殊勲者である佐賀軍を小倉藩兵の付属部隊のように書くなど、目に余る記述が目立ちましたね。 
 それでも米沢藩降伏後に米沢城下に進駐した小倉藩兵の総括隊長が判るなど、得た部分もありましたが、感想としては良くも悪くも典型的な郷土史でした。

米沢藩慶応元年分限帳

2006年04月05日 22時41分27秒 | 戊辰戦争・幕末維新史
 存在を知ってからずっと読みたかった史料だったのですが、ようやくこの前の週末に都立図書館でコピーする事が出来ました。この史料名前の通り慶応元年の米沢藩の全藩士の禄高と身分が掲載されているのですが、慶応元年と言うのは戊辰戦争の僅か3年前ですので、ほぼ戊辰戦争時の米沢藩全藩士の禄高と身分が掌握出来る貴重な史料です。
 千坂高雅や甘粕継成や斉藤篤信と言った米沢藩を代表する人物は、色々な史料に禄高やどの組に所属していたかと言うのが記述されていますが、実際に兵を率いて新政府軍と戦った小隊長達については名前しか判りませんでしたが、この慶応元年分限帳を読むと各小隊長の禄高がどれだけでどの身分だったのかが判るので本当に重宝しています。
 これを読んで判った事は色々あるのですが、今まで多くの史料で戊辰戦争での米沢藩の小隊長は、多くは侍組・三手組(馬廻・五十騎・与板)・扶持方(猪苗代・組外・組付)から選抜されたと書かれていましたが、この慶応元年分限帳をざっと読む限りでは侍組と三手組で小隊長の7~8割が占められているようなのが驚きました。ただこれは今判るだけで、照らし合わせを続ければ比率が更に代わりそうなので、照らし合わせをこれからも続けて、最終的には戊辰戦争に参加した全ての小隊長の禄高と身分の一覧表を作りたいと言う野望に燃えています(^^;)

都立図書館にて

2006年04月03日 22時30分03秒 | 雑記
 ここの所色々忙しくて中々都立図書館に行けなかったのですが、一昨日予定が開いたので久しぶりに都立図書館に行ってきました。この時コピーした「米沢藩慶応元年分限帳」については後日書かせて頂きますが、今日はその前に図書館に行って気になった事を書かせて頂きます。
 前述した通り今回都立図書館に行ったのは二ヶ月ぶりくらいだったのですが、久々に行って気付いたのが、職員の一部が派遣と言うか、とにかく民間の企業から出向して職員として働いてる人がたくさん居たんですよ。この処置が東京都の人員削減策なのかどうかは判りませんが、別に民間業者が都立図書館の業務を委託するのは一向に構わないのですが、問題はこの民間業者の人が仕事をしているせいで、都立図書館の使い勝手がすっかり悪くなっているんですよね(汗) 都立図書館が国会図書館より使い勝手が良いのは夕方にならない限り一回のコピー枚数に制限が無い所(国会図書館は1度に80枚)なのですが、一昨日行った際は昼前だと言うのに一度のコピー枚数が50枚に制限されていました。これまでも夕方のコピーを希望する人が殺到する時間帯ではコピー枚数が50枚に制限されましたが、一昨日は昼前で明らかにコピーを待ってる人が殆ど居ない状況で枚数が50枚に制限されていたのですから、これは明らかに民間の業者の人の不慣れのせいだと思うんですよね。
 う~ん一昨日がたまたま民間業者の人が来てる日だったのなら良いのですが、これからも民間の業者が都立図書館の業務を代行するのなら、民間業者が慣れるまではしばらくは都立図書館の利用を控えて国会図書館を利用した方が良いかな?
 しかし都が人員削減政策をするのは構いませんが、その為にサービスを受けるべき市民が迷惑を蒙ると言うのは本末転倒な気がするのですが(汗)

驕り

2006年04月02日 23時19分16秒 | 雑記
 ここの所このブログで声優さんの事ばかり書いて、戊辰戦争関連の記事を全く更新していませんが、別に戊辰戦争史を調べるのを辞めた訳ではなく、今は復古記や米沢藩関連の史料を読み直して、今は北越戦争史の記事をコツコツ書き直すのに専念しています。
 そんな自分の書いた北越戦争の記事を読んでいて気付いたのですが、6月14日の八丁沖西部戦線での戦いに際し、私は新政府軍の陣地である大黒村を「大黒村は新政府軍の戦線では突出部なのですから、そこを重点的に攻めなかった千坂高雅も、守りを堅固にしなかった山県有朋も戦術眼が無かった」と書いてあったんですよね。しかしよく考えたら突出部を攻撃側は重点的に攻め、防御側は精鋭部隊を配置して守りを固めると言うのは、軍事理論が発達した現代では常識ですが、当時はそこまで軍事理論は発達していなかったと気付いた訳です。確かに現代に生きる者なら、私のような一般人でも「戦争論」「戦略論」「戦争既論」など優れた軍事理論の著書を読めて、突出部の重要性を理解出来ますが、それをもって軍事理論が発達していない時代の戦いを批判するのは傲慢であり、驕りだと言うのに気付いて修正した次第です。
 そんな訳で6月14日の戦いでの突出部の件は削除して、他に全般的に文章を修正しました(ただ他の千坂の失策に関しての文は残しています)。
 しかしこの現代の軍事理論で、当時の戦術を批判すると言うのは他の記事でも書いていそうなので、他の記事も見直したいと思います。

 最後に余談ですが、「現代の軍事理論で当時の戦術を批判するのは傲慢」と書きましたが、「戦争論」に限っては大村益次郎は読んでいたんですよね。しかも原文で(^^;)
 当時ようやく刀を捨て小銃隊を編成し始めた日本の状況に対して、1人「戦争論」を読み自分の軍事ドクトリンを構成する参考にしてた所からも大村の偉大さが伝わって来ると思います。

はにはにラジオ 最終回

2006年04月01日 22時30分56秒 | 声優ラジオ関連
 今週の水曜に最終回を迎えた『どらデン』に続いて、遂に『はにはにラジオ』も最終回を迎えてしまいましたね。『どらデン』の最終回が比較的普段の放送と代わらない明るい最終回だったのに対し、『はにラジ』の最終回は今までの放送を振り返って、そのサブパーソナリティーが全員登場して、メインパーソナリティーの有佳ちゃん岩居由希子さんに「お疲れ様」と花束を渡し、最後に1人づつ挨拶して少ししんみりしながら終わりと言う最終回らしい最終回でしたが、私としてはこの最終回らしい最終回の方が好きですね。実際放送を聴き終わった後、感動したとまでは言いませんが少し感傷的な気分になりました。
 そんな寂しい気分になった『はにラジ』の最終回でしたが、後日発売される最後となるCDの総集編第6巻には、正真正銘最後の課外授業が収録されるでしょうから、それが『はにラジ』の本当の最終回と思いその発売日を待ちたいと思います。また『はにラジ』は終わってしまいましたが、その内今度は『明け瑠璃ラジオ』が始まると思うので、その『明け瑠璃ラジオ』で現『はにラジ』メンバーがゲストで呼ばれるのを期待したいと思います(^^;)