歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

新選組について

2006年05月27日 23時01分58秒 | 戊辰戦争・幕末維新史
 実は私も昔は新選組ファンでした、何せ鳥羽伏見の戦いから箱館戦争まで戦い続けた歴戦の部隊ですからね、若い頃はかなり新選組に思い入れていました。
 ただいつ頃か、新選組と言うより多くの新選組研究家や作家が、あまりにも史実を無視した捏造を繰り返すのに嫌気が刺し、いつしか新選組に関する文章は胡散臭いと思うようになってきたんですよね。
 その為当サイトで新選組がメインとなった戦いの甲州勝沼の戦いの記事では、新選組側の史料は大半が新選組の英雄的活躍ばかり書いてるので、「信用出来ない」と判断して殆ど取り上げず、もっぱら土佐藩と鳥取藩の史料を元に記事を書きました。
 しかし先日新選組を真面目に調べてる方と会って、新選組に関する史料は皆でたらめだと言う考えを改めようと思うようになったので、視野を広げて史料を読み直し近々甲州勝沼の戦いの記事を書き直したいと思います。
 

ヴォー・グエン・ザップ著「人民の戦争・人民の軍隊」

2006年05月21日 20時54分53秒 | 読書
 日本人を除けば、有色人種で初めて白人の軍隊を近代戦で破った北ベトナム軍の司令官ザップ将軍の自伝です。通販で購入したので、内容を知らずに購入したのですが、てっきりザップ将軍のベトナム戦争の回想録かと思っていたら、全体の3/4はいかに共産主義が素晴らしいかをひたすらイデオロギーを書き綴り、残り1/4がデイェンビェンフーの戦いについての記述と言う期待していたのとは違う内容だったのでがっかりしました。
 読む前は拠点攻撃と拠点防御のドクトリンの米軍を、ザップ将軍率いる南ベトナム開放軍がいかに翻弄したかと言う、ザップ将軍のドクトリンが読めると思っていたんですけどね。実際には大半が上記の通り共産主義のプロパガンダでしかなかったので、読んでいて滅入ってしまいました。
 それでも、せめてデイェンビェンフーの戦いについての記述が読みごたえのあるものだったら良かったのですが、正直雑誌「歴史群像」での記述の方がイラストや写真を多用して説明してくれる分、この本の記述よりも判り易いと思いました。
 そんな訳で期待外れだったこの本ですが、元々著者としてはイデオロギーを書きたくてこの本を書いたように思われますので、悪いのは内容を確認せずにタイトルだけを見て注文した私なんですけどね。

 余談ですが、ザップ将軍著と書かれていますが、文章の洗練さから見て絶対ゴーストライターが書いたとしか思えません(汗) 更に余談ですが、実際に米軍と仏軍相手の戦争に勝利したザップ将軍ですが、士官としての正規教育は受けていないので、正規軍同士を率いての戦いだったら、あれほどの手腕を発揮できたか疑問と言われています。

長岡城城下町古地図

2006年05月14日 20時27分18秒 | 雑記
 昨日はお世話になっている方達と古書店巡りをさせて頂いたのですが、長岡城城下町の古地図と言う思わぬ発見をして喜んでいます。ご存知の通り今の長岡市街は戊辰戦争の二回の長岡城攻防戦と、太平洋戦争での米軍による戦略爆撃により二回も灰燼と化したので、現在の長岡市街と戊辰当時の長岡の城下町は全く異なっています。
 でもこの古地図があれば当時の町並みが判るので、今度の夏にまた長岡に行くつもりですので、この古地図を活用して長岡城攻防戦の詳細をもう一度調べてみたいと思います(^^)

 ところで昨日は同行して頂いた皆さんと色々会話させて頂き、改めて自分の歴史観の狭さを実感しました。皆さん歴史を学ぶだけでは無く、歴史観を養う為に哲学書等を読んでいるので、戊辰戦争の軍事面しか学んでいない私とではその知識量と読書量には比較にならないと実感しました。ただしそれに開き直るのでもなく卑屈になるのでもなく、これからも自分が出来る事をコツコツ続けていこうと思います。

鈴木眞哉著「戦国鉄砲・傭兵隊~天下人に逆らった紀州雑賀衆~」

2006年05月13日 23時24分32秒 | 読書
 先日に引き続いて今日も戦国時代の本の感想を書かせて頂きます、「紀州雑賀衆」や「雑賀孫一」と言った名称は私も知っていますが、それ以上の詳しい詳細は知らないので購入してみました。
 内容は紀州雑賀衆の発祥と躍進、根来衆や三好党との関係、雑賀衆と信長・秀吉との戦い等を丹念に描いてくれてるので、私のような雑賀衆についての基礎知識しか無いような者には為になる本だと思います。
 ただ雑賀衆の歴史的活躍については丹念に描いてくれているこの本ですが、何故雑賀衆があれだけ戦上手だったのかと言う描写については、殆ど説明がされていないので、軍事的な面からの雑賀衆の評価を期待していた私には肩透かしでした。
 ところで雑賀孫一って信長の家臣になっていたのですね、漠然と秀吉の紀州征伐の際に戦死していたと思っていたので驚きました。

斎藤慎一著「戦国時代の終焉~北条の夢と秀吉の天下統一~」

2006年05月11日 22時59分23秒 | 読書
 久しぶりに戦国時代の本を2冊購入しましたので、まずは奇しくも「歴史群像」の今月号で紹介された、後北条氏末期の政略と戦略を描いた、この本の感想から書かせて頂きます。
 内容は北条家が信長の死後から秀吉の討伐を受けるまでの政略と戦略を丹念に描き、北条家が関東制覇の「北条家の夢」にあと一歩まで迫っていたのを丹念に説明してくれています。
 見所は秀吉と家康が激突した小牧・長久手の戦いと、北条家と佐竹・宇都宮連合軍が戦った沼尻の合戦をリンクさせて、あくまで関東制覇しか念願に無く小牧・長久手の戦いにもさほど注意を払ってなかった北条家と、家康と戦いつつもその背後の北条家を見ていた秀吉と言う対比が印象的でした。
 多くの本で描かれている実際の秀吉の北条征伐は一切描かれず、そこに至るまでの北条家の政略・戦略を丹念に描いた重厚な内容だったのでお勧めです。

 ちなみに個人的には、秀吉の関東への惣無事令の取次ぎ役に対して、従来の上杉景勝公から徳川家康に交代になったと言う説に対して、北関東の諸将に対しての取次ぎ役は景勝公が行い、北条家に対する取次ぎ役を家康が行なったと言う斎藤氏の説は斬新で、景勝公贔屓の私としては心から共感出来ました(^^;)

米沢に行ってきました。

2006年05月05日 21時18分34秒 | 登城記・史跡訪問
 一昨日の夜に米沢に向け出発しまして、今朝米沢より帰宅しました。去年米沢を訪れたのはまだ雪がたくさん残っていた次期だったのに対し、今回は桜が満開の時期に米沢に訪れたので、図らずも雪に閉ざされた米沢と、桜の舞い散る米沢と言う米沢の二面性を実感出来たので良かったです。
 この米沢訪問は新潟の長岡訪問とは違い、古戦場巡りはせずにもっぱら市内観光をしていたので、桜の舞い散る米沢市内を散策出来ました。そんな気楽な米沢散策でしたが、今回の目標の常安寺訪問では、当サイトの北越戦争の記事の中心人物である斉藤篤信・甘粕継成の墓参は出来ましたし、寺の方から色々教えて頂きくなど今回は実りある旅行でした。まあ宮古坂記念館の館長さんが不在だったのは残念でしたが、概ね今回の旅行は充実したものでした。

 そんな楽しい旅行だった今回の米沢訪問ですが、今日一日は日がな一日米沢で撮影した画像の整理をして過ごすし、先ほど早速画像をアップしました。