歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

米沢藩士大熊左登美と軍政府について

2007年08月26日 20時47分13秒 | 戊辰戦争・幕末維新史
 米沢藩士大熊左登美については、北越戦争に参加した米沢藩兵の30匁大筒隊隊長の一人としか今まで認識がありませんでした。しかし先日国会図書館でコピーした記事を読んでいたら、この大熊左登美は万延元年から高島流砲術を習っており、元治元年の天狗党筑波山挙兵の際には米沢藩兵の鉄砲総支配の任務にも就いた、言わば西洋銃砲術のテクノクラートだと言う事が判りました。米沢藩と言うと軍制改革が遅れていた軍事後進国という認識を私も持っていたのですけど、そのような米沢藩にこの大熊のような銃砲術の専門家が居たというのは驚いた反面、そのような銃砲術の専門家をただの大筒頭にしか任命出来なかったことは、米沢藩の人事面の保守性が現れていると感じました。
 米沢藩が戊辰戦争を迎えて、言わば近代の参謀本部の様な、政治から軍事を独立させた軍政府を設けた事は先見の明があったように思われます。しかしその様な軍政府のスタッフに大熊のような軍事テクノクラートを抜擢出来ず、一方で非戦派にも関わらず色部長門や若林作兵衛等の藩首脳部を軍政府に招き入れた事は、結局米沢藩の軍政府は形式だけの存在に過ぎなかったのではないかと疑問を抱いています。ですので、この米沢藩軍政府については、これからも調べていきたいと思います。

安丸良夫著 「神々の明治維新~神仏分離と廃仏毀釈~」

2007年08月23日 22時06分37秒 | 読書

 先日の飲み会の際にふと国学の話になりました、しかし私は国学について全くの無知なので、国学者達が何を目指したのかを知りたかったのと、明治新政府が行なった諸政策の中で「爵位制度」並んで愚策と思っている「宗教などという非合理的な物を国が司ろうとした神祇官が何故成立したのか」を知りたくて購読しました。
 この明治新政府の宗教政策が一向宗や、キリスト教が普及するのを防ぐ為の宗教政策というのは聞いていましたけど、実効面ではむしろ民俗信仰の弾圧に重きが置かれていたのは知りませんでした。あちこち旅行していると山や林の中に神社があったりしますけど、これが元々民俗信仰の施設だった物が、この政策により無理やり神社にされた名残というのは驚きでした。
 また神祇官の成立は、イデオロギーによる統治を目論んだ明治新政府が、天皇を頂点とする神社信仰を広める事により民衆を精神面から支配する為の政策で、これに権力を求めた神官と国学者達が群がった為の設立とは知りませんでした。神祇官の成立は国民統治の方便の一つに過ぎず、決して大久保利通などの優秀な維新閣僚達が、本気でこの愚かしい宗教政策を信仰心から推進していた訳ではないと知ってホッとしました。
 そのような意味ではこの「神仏分離と廃仏毀釈」は、単に政策面から価値があると判断した大久保達維新官僚と、本気でこの愚かしいイデオロギーを完遂しようとした神官達と国学者達の協力によって行なわれた政策というのが判りました。しかしこの宗教政策が西洋諸国と僧侶達の反発によって挫折すると、この宗教政策を単なる方便として見ていなかった大久保達が、もう用が済んだと言わんばかりに神祇官を短期間で解体したのも当然だったのでしょう。

 しかしこの「神仏分離と廃仏毀釈」の政策自体は挫折しましたけど、天皇の存在を宗教の頂点に位置付けて、その宗教上の頂点に政策の全責任を持たせることによって、政府への批判を封じるという政治体制の構築には成功したんですよね。そう言う意味では現代も続く、この日本の歪んだ体制は、この短期間のみ存在した神祇官によって作られてたのだと読み終わった後に実感しました。


夏コミ三日目

2007年08月20日 23時53分39秒 | 雑記

 昨日は帰宅後力尽きたので、一日遅れになりますけど夏コミ三日目の感想を書かせて頂きます。
 今回の夏コミ三日目の思い出は、やはり十年程買い続けてきたサークル日本史探偵団に書き手側として参加させて頂いた事ですね。その新刊(新CDロム?)を昨日受け取り、帰宅後早速読んでみたのですけど、他の皆さんの記事は興味深く読ませて頂いたのに対し、自分の記事は読めば読むほど「ここはこう書いた方がよかったかな」等思うことしきりでした(汗) もしタイムマシンがあるなら、二ヶ月前の自分に色々指摘したい気分です。

 さて日本史探偵団の話はこれくらいにしまして、三日目全体の感想としては文字通り東奔西走した一日だった気がします。最初に普通に同人誌エリア(東館)に入場したものの、しばらくしたら一日目に入手出来なかった「なのは」グッズを求めて西館の企業ブースに移動、以降も東館と西館を行ったり来たり文字通り東奔西走していました。
 そんな東奔西走の末に入手した同人誌の総数は、(歴史関係除く)十冊とわりと少なかったですね。もっともこれは友人や、どこぞの「伝説の少女A」と比べたら少ないということで、実際には平均購入数ではないかと思っていますけど、そう言えば一般参加者の平均購入数ってどれくらいなんでしょうね? 
 また購入した本の傾向を見てみると、パロディかイラスト集が大半でしたね。何と言うか最近は自分の好きな作品を変に描かれた本よりも、好きな作品のパロディやイラスト集を読んでいた方が楽しいと心境が変化しています。ちなみに何だかんだ当ブログで「なのは」にケチをつけていますけど、購入した大半の方は「なのは」関連でした(笑)
 尚、企業ブースで販売されたはやてのアレですけど、すったもんだの末に何とか手に入れる事が出来ました(笑)


夏コミ一日目

2007年08月17日 22時53分02秒 | 雑記

 夏コミ初日の今日は企業ブース目標で行ってきました、前回の冬コミの情況から、今回の狙いは「オーガスト」と「ういんどみる」、そして余裕があれば「なのは」と計画していたのですけど、終わってみれば余りにも浅はかな計画でした(涙)
 「オーガスト」と「ういんどみる」なら、そんなに早く行かなくても大丈夫と勝手に納得して、今日は比較的ゆっくりと出発しました。しかしこれが誤りの第一歩で、入場まで炎天下で二時間近く並んでいたので、この時点でフラフラとなりがらの入場となりました。
 それでも最初に並んだオーガストは非常に手際良く、ものの十分程度で購入出来たので、ここで気を良くして続いての目標のういんどみるに並んだところ、こちらが全然動きません(汗) 結局一時間経っても殆ど動かず、更にういんどみるに並んだ当たりからまた日が差す様になり、コミケに参加するようになり17年程になりますけど、初めて立ちくらみというのを経験しました(汗) と言うかそもそも今まで生きてきて初めて立ちくらみを体験しました(汗)
 この立ちくらみが起きた時点で、あと一時間も並んでいればういんどみるで購入出来る情況だったので、一瞬我慢してこのまま並ぼうかと考えました。しかし今回ばかりは煩悩よりも自己防衛本能が優先し、遂にういんどみるをリタイヤしました(涙) それでもオーガストの無料配布は貰おうと、友人の介抱を受けて体調を整えて、何とかこちらは貰う事が出来ました。
 そんな訳で第二目標であるういんどみるを入手出来なかったのですから、「余裕があれば」と思っていたなのはが入手出来る訳がなく、結局今日は一日掛けてオーガストのみという惨憺たる結果となりました(涙)
 ところで今日の結果を受けて、身勝手なのは重々承知していますけど、オーガストに対する高感度は上がって、ういんどみるに対する高感度は下がった気がします。

 さてそんな唯一の戦果であるオーガスト関連ですけど、嬉しかったのは新作「F・A」のプロモーションCDと、「夜明けな」のドラマCDですかね。「F・A」のプロモCDの方はムービーも良い感じでしたし、システムボイス等が収録されていて中々お得でした。
 また「夜明けな」のドラマCDは、主要キャスト総出演と言うセットの一つとは思えないほどボリュームがあったので嬉しかったです。ただ「夜明けな」のメディア展開は恐らくこれが最後なんでしょうね・・・。
 何はともあれプロモCDを見る限り期待出来そうですし、企業ブースの対応も良かったので(笑)、新作の「F・A」は購入したいと思っています。


猪飼隆明著 「西郷隆盛~西南戦争への道~」

2007年08月16日 20時45分18秒 | 読書
 現在も評価が難しい西郷隆盛について、色々な史料や先行研究を元に、独自の視点で説明してくれています。しかし、その独創的な見解は興味深く読ませてくれる半面、主観が強すぎて強引な見解が目立ちました。
 例えば上野戦争以降、新政府軍の指揮権が西郷から大村益次郎に委譲された件に対し、「西郷にとっては全軍の指揮官となるほうが不本意だったのであり、(大村と)指揮権を争う気は毫もなかったろう」という見解は、その様に西郷が直接述べた史料が無い以上強引過ぎる見解だと思います。
 また表題の西南戦争や明治六年の政変での西郷の真意について、「西郷は天皇親政を目指していた」との見解を示すのも、こちらもまた強引な見解と感じました。征韓論での西郷の真意については、井上清氏が「士族独裁国家を目指した」、毛利敏彦氏が「征韓論争は長州閣と江藤新平の対立であり、大久保と西郷はこれに巻き込まれたに過ぎない」と、それぞれ見解を示しています。これに対し筆者は両者の説を批判した上で、「自分が謀殺される事で国内のナショナリズムが高揚し、これが天皇親政につながる」と西郷は考えたと述べています。しかし具体的にこの説を裏付ける史料を提示していない以上、筆者の説には首を傾げざるを得ませんでした。正直筆者が批判する井上氏と毛利氏の説の方が余程説得力があると思います。
 とにかく全編的に「西郷は天皇の権威を利用しようとした有司専制の官僚と戦った」という筆者の主観が伝わってくる内容で、岩波の本とは思えない保守思想の強い内容だと感じました。

 しかし一方で、西郷を取り上げる以上は「大久保について語らなくてはいけない」と言う事で、大久保の有司専制体制について、実に本書の半分近くも割いて述べてくれるのですが、こちらは筆者の主観が入っていない分、多くの史料を駆使した説明は判りやすい内容でしたので、非常に勉強になりました。

国会図書館でコピーした記事を読んで

2007年08月15日 21時31分46秒 | 雑記
 先日の雑記で書いた通り、まだ読めてない米沢藩の戊辰戦争関連の論文を求めて、昨日は国会図書館に行ってきました。「奥羽越列藩同盟の再検討-新潟開港問題の関連から」と「奥羽越列藩同盟と北越<防衛>の展開」など、流石の国会図書館にも収録雑誌が置いていなかったものもありましたけど、目当ての論文は大体コピーする事が出来ました。
 そんな中で一番衝撃を受けたのは、「幕末維新期における米沢藩の軍備の近代化と軍制改革」という記事でした、正直この記事を見つけた時は嬉しさ半分、残念が半分という気分でした。この手の戊辰戦争時の米沢藩の軍制面の著書や論文は読んだ事がないので、初めて自分が欲していた先行研究を見つけれた嬉しさはありました。しかし生意気を承知で書かせて頂ければ、この米沢藩兵の軍事分野の研究はあまり進んでいないと思っていたので、とっくに優れた先行研究があったことに、生意気ながら少なからずショックを受けた次第です。
 しかし、いざ読み進めてみると米沢藩の西洋軍事の取り組みについては本当に詳細に書いてくれていますけど、この取り入れた西洋軍事を用いて米沢藩が実際にどのような組織や編成を行なったかについては、後進の研究に任せるという内容だったので、読む前とは気分は一転、読み終わって勇気百倍になっています。そんな訳でこの記事を読み勇気を得ましたので、この盆休み中は都立中央図書館と国会図書館でコピーした各論文や記事を読み込みたいと思います。

 ところで今回色々な記事を読みまして、北越戦争中に長岡藩領で曾根一揆という一揆が起こったというのを、勉強不足ながら今回初めて知りました。しかも読んでみるとこの一揆かなり大規模な一揆だった模様で、長岡藩の敗北はこの一揆も要因の一つだったのではと思いました(農民が人足を拒否した為、長岡藩の輸送が滞った模様)。前述した通り勉強不足の為この曾根・巻一揆を今回初めて知りましたけど、もう少し調べて、この曾根・巻一揆についても当サイトの北越戦争の記事内に追記したいと思います。

都立中央図書館に行ってきました

2007年08月12日 22時53分08秒 | 雑記

 盆休みとなりましたので、今日は都立中央図書館に米沢藩関連の先行研究論文をコピーしに行ってきました。とりあえず都立中央図書館に有った色々な米沢藩関連の論文をコピーしてきましたけど、この都立図書館に無かった先行研究論文の中にも読みたい米沢藩関連の論文が幾つかあるので、この盆休み中にでも国会図書館にコピーしに行こうと思っています。
 そう言えば国会図書館のサイトCiNiiのサイトで調べていて思ったのですけど、資料が豊富な為か米沢藩関連の論文はたくさんありますけど、戊辰戦争に関連する米沢藩の論文ってあまり無いんですよね。特に戊辰戦争時の装備や編成等の軍制に関する先行研究は、どうやら皆無らしいので、自分でもこの米沢藩兵の装備や編成は非常に興味があるので、今後も調べていきたいと思っています。 

 また今日はこの米沢藩関連の論文だけではなく、会津藩兵が新潟(港)で行なった略奪行為に関しての資料も探してきました。どうも戊辰戦争での会津藩は被害者とイメージされがちですけど、越後戦線では民衆から略奪の限りを尽くして、米沢藩参謀の甘粕継成などは現地の農民から「会津藩兵と行動を共にするのなら、もう米沢様には協力出来ません」と直訴されるほど、実は越後の民衆からは会津藩兵は蛇蠍の如く嫌われていたんですよね。しかし会津贔屓の小説家達が被害者面ばかりするので、「会津藩=被害者」というイメージが強くなっていますけど、そんな現状に一石を投じたくて今日も色々資料を探してきました。こちらも盆休み中に読み込んで、当サイトの記事を更新したいと思います。


清水幾太郎著「論文の書き方」

2007年08月09日 22時52分01秒 | 読書
 私は正規の文章の書き方を学んだ事がないので、正式な文章の書き方を学びたくて購入しました。実は購入後にこの筆者が社会学者の大御所だと知って驚いたのですけど、流石は戦中・戦後に活躍した大御所の著書だけあって、言葉遣いが難しく無学の身としては読むのに苦労したものの、その苦労に見合う読み応えのある内容でした。
 単に小手先の技術を教えるだけの様な軽い内容ではなく、論文の書き方だけではなく、文章そのものの書き方や文章を書く事に対する心構えから説いてくれる重厚な内容でした。しかし反面あまりにも真剣に文章の書き方を説いてくれる余り、「経験と抽象との間の往復しよう」の章の部分などは、難解すぎて無学の身には理解出来ませんでした。
 しかし「書物を読むのは、これを理解するためであるけれども、これを本当に理解するには、それを自分で書かねばならない。自分で書いて初めて書物は身に付く」と「『が』に頼っていては(正しい)文章は書けない」という二つのフレーズは非常に印象に残りました。特に「『が』に頼っていては(正しい)文章は書けない」については、今まで自分が書いた文章を読み返してみると、「が」を余りにも多用している事に我ながら驚きました。確かに「が」を使うと文章を楽に書けますけど、「が」を多用し過ぎると読み手の心に届く文章は書けないので、苦労してでも「が」ではない接続詞を使うべきという筆者の言葉は無学の身でも理解出来、かつ今すぐからでも実行出来る事ですので、早速この感想から「が」を極力使わないように書いてみたつもりです。
 何はともあれ今回読んだだけでは理解出来ない部分もありました、しかしその理解出来なかった部分にも学ぶべき事がたくさん含まれていると思いますので、日を置いてまた読み返したいと思っています。