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歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

毛利敏彦著 「幕末維新と佐賀藩~日本西洋化の原点~」

2008年09月09日 22時15分00秒 | 読書

 この筆者の本が好きなので、幕末の佐賀藩にも興味があるので購入しました。実績のある方だけあって、新書ながらも内容の濃い内容だったものの、少し佐賀藩、及び江藤新平を過大評価の嫌いがある内容でした。

 内容は前半と後半の二分制になっており、前半が幕末の佐賀藩と、その佐賀藩を率いた藩主鍋島閑叟の活躍を描き、後編では江藤新平の活躍と、明治新政府内での江藤の業績を描く構成になっています。
 明治維新における佐賀藩の業績は承知しているものの、知っているのはあくまで戊辰戦争での佐賀藩兵の活躍で、実際に幕末に佐賀藩がどのような動向をしたのか知らない私にとって、前半での閑叟の業績と佐賀藩の活躍は知らない事ばかりで、興味深く読ませて頂きました。特に工業国としての佐賀藩の先進性は承知していたものの、その具体的内容については知らなかったので、大変勉強になりました。特に下関戦争後に長州藩が、佐賀藩から大砲を供与されていたとは初めて知りました。と言う事は幕長戦争時に長州藩兵が用いた砲の中には、佐賀藩製の砲も有ったと言う事でしょうか。幕長戦争時に長州藩が薩摩藩から武器供与を受けていたのは有名ですけれども、佐賀藩からも供与を受けていたのですね。
 他にも閑叟個人については殆ど知らなかったので、本書の記述にて初めて閑叟の業績を理解しました。また閑叟の工業先進国の指導者としての才能を評価しながらも、政治家としての手腕不足を指摘するなど、閑叟については公平な視点で描かれていたと思います。

 このように閑叟については公平な視点で描かれているものの、話が後編の江藤新平になると、正直贔屓のし過ぎではないかと眉をひそめる部分が多かったです。著者の毛利氏は過去にも「明治六年政変」「江藤新平」と江藤に関連する著書を二冊書いており、本書では過去の二冊と重複しないように注意した模様ですけれども、おかげで今回は少し強引過ぎると感じた箇所が数箇所見られました。特に脱藩後に江藤が蟄居させられたのは知られていますけれども、この蟄居時に江藤が閑叟の密名を受けて工作員として活躍したと言うのは、あまりにも飛躍し過ぎた説だと思うのですが・・・。
 また、確かに江藤が発足当時の明治新政府の中でも優れた官僚であり、文部省や司法省の発足当時に江藤の果たした業績は大きいと思いますし、私自身も江藤の事を評価しています。しかし、その私からしても江藤を日本の民権主義の父と褒め称えるのは幾らなんでも贔屓のし過ぎだろうと眉をひそめてしまいました。
 また佐賀の乱についても、江藤は政敵である大久保利通の謀略に乗せられたと言う説については私も賛同ですけれども、大久保が江藤を敵視した理由について、大久保が江藤の才覚に嫉妬したと言うのは、これだけの実績を持つ歴史家とは思えない低俗な言動に飽きれてしまいました。

 この様に幕末維新史における佐賀藩の動向と、その佐賀藩を率いた鍋島閑叟と、維新後佐賀藩を代表する江藤新平についての入門書としては最適な本と言えましょう。しかし江藤新平の描き方については、明らかに筆者のベクトルが掛かっているので、注意が必要です。


盛本昌広著 「軍需物資から見た戦国合戦」

2008年09月02日 22時23分03秒 | 読書

 転職後しばらく読書感想が書けなかったのですけれども、盆明け辺りから下請けも正式稼動し、読書が出来る時間が出来たので、久々に読書感想を書かせて頂きます。

 タイトルに惹かれて購入したものの、この本で描かれている軍需物資はあくまで材木資源のみで、「森林資源から見た戦国合戦」と言った方が相応しい内容だったので、正直期待していた内容とは違う物でした。

 この材木資源については非常に詳しく書かれており、当時の城や陣地や作るのに必要な材木から始まり、戦国武将の林業行政についてや、当時の森林生態までの広範囲について資料を駆使して描いてくれています。実際戦国合戦では多数の材木資源を必要としていたのは知っていたものの、その森林資源の運用については感心を持った事が無かったので、本書での説明は非常に勉強になりました。
 特に船橋の説明については非常に興味深かったですね。当時の技術力では大きな河川に橋を掛ける事が出来なかったので、戦国時代の軍勢は橋橋を掛けて渡河していたと言うのは多くの書物に書かれているものの、この橋橋の運営について詳しく書かれた書物は初めて読んだので、本書の橋橋についての説明は非常に興味深かったです。
 他にも当時の植林行政や、当時の戦国武将がいかに森林資源を保有している為に努力していたかなどの記述は、他の本では知る事の出来ない戦国時代の一面を知る事が出来ました。

 以上のように森林資源から見た戦国史の本としては優れているものの、冒頭に書いた通り「軍需物資から見た戦国時代」のタイトルからすると偏った内容だと思います。確かに材木物資(森林資源)も大切だと思うものの、当時の軍需物資で最も大切なのは鉄と火薬だと思いますので、その鉄や火薬などの軍需物資についての記述は皆無なので、その辺では肩透かしをくらった気分です。
 しかし本書を読む限り、筆者は元々戦国時代における環境変化(環境破壊)を書きたかった模様なので、筆者の試み自体は見事成功したかと思います。そのような意味では非常に優れた内容とは思うものの、ただタイトルと内容が合っていないと言うのが本書の問題点と言うべきべきでしょうか。
 余談になりますが、戦後の杉の植林行政が、今の花粉症問題に繋がっているのは、恥ずかしながら初めて知りました。


内山弘著 「戊辰戦争とガトリング砲」

2008年02月26日 20時25分50秒 | 読書

 戊辰北越戦争で半ば伝説のように語られるものの、その実情は謎に包まれているガトリング砲について書かれた小冊子です。著書は長岡在住の方で、長岡歯車資料館の館長と言う異色の経歴の持ち主であり、技術者の視点からガトリング砲について書いてくれており、興味深い内容になっています。

 ガトリング砲の構造の説明から始まり、長岡藩が購入したガトリング砲のタイプを推測するなど、技術者としての視点を駆使した興味深い内容になっています。史料の読み込みもしっかり行なってくれており、第一次長岡城攻防戦時の、長岡藩砲兵隊の配置や、ガトリング砲の移動の経路などは興味深く読ませて頂きました。
 また佐幕贔屓がガトリング砲を過大評価しているのに対し、「砲身を左右に振る事ができないので、散開した敵に対しては効果が少ない事が予想される」と、技術者の視点から見て冷徹な評価を下しています。これを裏付けるように「隊長曰ク西軍散布進撃ス、此器此場益ナシ」との引用がされていました。これはガトリング砲の猛射に対し、新政府軍(薩摩藩兵?)が勇猛に突撃を行なったとの通説を覆すものだと思いますので、本書をきっかけに第一次長岡城攻防戦についての研究が進むのを期待させて頂きます。
 ただ、このタイトルと著者の知識から、未だに謎となっている長岡藩が購入した二門のガトリング砲の行方について言及されるかと期待していたのに、結局結論が出されなかったのには残念でした。しかし一方で、小説家の早乙女貢や中村彰彦等の会津贔屓が、長岡藩のガトリング砲のその後について無責任な発言をしているのに対し、技術者の視点からその無責任な発言を明確に否定しているので、技術者の視点から見ても、長岡藩所有のガトリング砲の行方は判らなかったと言う事なのでしょうね。

 本書はこのように小冊子ながらも、技術者の視点から見たガトリング砲についての興味深い記述がされていますので、戊辰北越戦争を調べる方にとっては、参考文献の一つとして役に立つでしょう。


立松和平著 「ふたつの太陽」

2008年02月21日 21時47分56秒 | 読書

 お世話になっている方からお勧め頂いたので、購入してみました。
 戊辰野州戦争に巻き込まれた、民衆や下級武士の悲劇を描いた短編小説集です。タイトルの「ふたつの太陽」とは、戊辰野州戦争を戦った、新政府軍と大鳥軍・会津藩兵を表しており、この二つの権力の戦争に翻弄された民衆の悲哀を見事に描いてくれています。

 小説ですので登場人物は架空ですけれども、当時の民衆や下級武士の生活が生き生きと描かれており、臨場感が高いと感じると共に、当時の民衆や下級武士の生活ぶりが伝わってきて勉強になりました。また野州戦争の各戦闘についても、しっかりとした取材をされており、その各戦闘と民衆達の悲哀を絡めた描写は、興味深く読ませて頂きました。
 このテの小説だと、新政府軍の蛮行ばかりを描き、会津藩や新選組の「武士道」を絶賛し、前者を加害者、後者を被害者とするのが主流となっています。しかし本作品は新政府軍の大義も、会津藩や新選組の武士道も、民衆からすれば支配者のエゴでしかなく、戊辰戦争の真の被害者は民衆だったと、支配者のエゴを断罪する物でした。この筆者の見識は素晴らしく、下手な自称歴史研究家よりも戊辰戦争を公平に見ていると言えましょう。
 また単に民衆の悲哀を描くだけでは無く、社会の混乱に乗じて、ここぞとばかりに蛮行に走る、民衆の心の弱さも描いてくれています。このように民衆が起こした蛮行や、その心の弱さを描いてくれている所などは、人民史観とも一線を画した公平な視点と言えましょう。

 このように本書は小説ですけれども、小説の利点を活かし、戊辰野州戦争の犠牲となった名も無き民衆達の視点から、戊辰野州戦争を描いてくれた良作です。小説であると言う事を念頭に置いて読みさえすれば、下手な歴史書よりも余程ためになるのではないでしょうか。
 ただ三斗小屋宿で行なわれた虐殺について、加害側を断言してしまっている事には疑問を感じました。この三斗小屋住民に対する虐殺が行なわれたのは間違いないものの、史料によって新政府側が虐殺したか、会津側が虐殺したかが記述が異なるので、史学的にはどちらが虐殺したのか判らないと言うのが実情です。ですので史学的に結論が出ていない事について、断言してしまったのには小説の限界を見てしまった気がします。


小川原正道著 「西南戦争」

2008年02月10日 21時19分41秒 | 読書

 西南戦争だけではなく、西郷隆盛が政府を去る原因ともなった明治六年の政変から、西南戦争後に西郷が名誉を回復するまでの期間を新書サイズでまとめてくれた良書です。ただ西南戦争について手広く判りやすくまとめてくれている反面、掘り下げて書かれた部分が無く、筆者が何を重視したいのかと言うメッセージが伝わってこないのが特徴と言えましょう。

 西南戦争と言えば、過去にも西郷の決起の理由について多くの議論がなされています。筆者は明治六年の政変から、西南戦争で開戦を決意するまでの西郷の行動原理を「名分にこだわった」と説明し、西南戦争について「西郷も桐野も『名分』にこだわっていたことはすでにみたが、それが成立する事のないまま暴発し、しかも『政府への尋問』が建前になったあたりに、この反逆の悲劇とわかりにくさがある」と記述しています。この説明は客観的に書かれていると思うものの、筆者のメッセージと言うの物が伝わってこないと言うのが正直な感想です。
 筆者のこのスタイルは西南戦争の戦局説明に入っても続き、本によって著者の主義主張が色濃く出る「篭城前の熊本城焼失の原因」「乃木の連隊旗喪失」「元会津藩士等による警視抜刀隊」についても、ただ史料に書かれている事だけを淡々と述べているのは好感が持てる反面で、物足りなさを感じたのも事実です。しかし新書サイズで政府軍と薩軍のそれぞれの戦略と特徴、そして有名どころだけではなくマイナーな戦いまで網羅してくれるので、西南戦争を学ぼうと思う方にはお勧めだと言えましょう。
 この筆者「私見を書かず、史実のみを記述する」のスタイルは、西郷の最期やその後の名誉回復と言った、西郷と西南戦争を扱った本としては重要な要素になっても続き、本書の一貫したスタイルとなっています。

 以上の通り本書は、西南戦争開戦の背景から戦局までを、史実のみ淡々と述べてくれる良書だと思うものの、筆者のメッセージと言うのも欲しかった気がします。
 しかし西南戦争について良い意味で広く浅く書いてくれていますので、専門的に学びたい人には物足りないかもしれないものの、私のような西南戦争について学びたい初心者にとっては最適な本だと言えましょう。


読書予定リスト

2008年02月03日 19時27分24秒 | 読書

 昨年末に購入した、工藤威著「奥羽越列藩同盟の基礎的研究」をようやく読み終わりました。内容の多くが、「津軽藩から見た奥羽越列藩同盟」となり、期待していたのとは少し違ったものの、仙台藩・米沢藩・会津藩・庄内藩と言った、同盟の中核となった藩意外から見た同盟の動向などは興味深く読ませて頂きました。また会津贔屓の小説家が正当化する、世良修蔵暗殺事件を暴挙と斬り捨てるなど、「奥羽諸藩は正義の為に、会津藩と共に立ち上がった」などと言うのが、会津贔屓の妄言に過ぎないと言うのを、資料を駆使して説明してくれています。
 このような研究書を多くの方が読んでくれれば、会津贔屓の小説家の代表である、星亮一氏の唱える「会津こそ正義」との甘言に惑わされる人は少なくなるのですけれどもね。同盟ファンを自称する方にこそ、この「奥羽越列藩同盟の基礎的研究」を読んで頂きたいと思います。

 さて年末からずっと、この「奥羽越列藩同盟の基礎的研究」を読んでいたので、他の本を読めませんでしたけれども、読み終えたのを受けて、これから積んでいた本を読みたいと思います。そこでこの場を借りて、購入はしたけど読まずに積んでいる本のリストを書かせて頂きます。

立松和平著 「ふたつの太陽」
 お世話になっている方より、お勧め頂いたので購入してみました。
 野州(栃木県)の戊辰戦争を、民衆や下級武士等の視点から描いた短編小説集です。あくまで小説なので筆者の創作ですけれども、「ふたつの太陽」のタイトルが表す通り、新政府軍と大鳥軍・会津藩兵の戦争に否応なく巻き込まれた、弱者の悲劇を見事に描いてくれています。
 新政府軍にしろ、大鳥軍・会津藩兵にしろ、民衆から見れば加害者に過ぎず、戊辰戦争の本当の犠牲者は民衆と言うのを良く表してくれる内容です。

日向著 「非命の譜~神戸・堺浦両事件顛末~」
 神戸事件・堺事件について知りたいと思い購入しました。両事件について判りやすくまとめてくれて、また出典となる資料もその都度紹介してくれているので、入門書としては最適です。この本を読み終えましたら、今度はこの本で紹介されている資料を追っかけていき、両事件について調べていきたいと思います。

大濱徹也著 「明治の墓標~庶民のみた日清・日露戦争」
 こちらも、お世話になっている方よりお勧め頂いたので、購入しました。
 一般的には、小国日本が大国に勝利した、栄光の歴史と言われる日清戦争と日露戦争を、その勝利の犠牲を強いられた民衆の視点から描いてくれています。日清・日露戦争については表面的な事しか知らないので、民衆の視点から見た両戦争と言うのを、この本を読んで学びたいと思います。

星亮一著  「偽りの明治維新」
 会津藩を賞賛して、薩長両藩を誹謗する事に人生を捧げた、「小説家」の星亮一氏の最新刊です。歴史と歴史小説の違いが判らない方が多い事を利用して、史実を「偽りの明治維新」と誹謗して、星氏が愛する会津藩に都合の良い妄言を書き連ねた、捏造・話しのすり替え・責任転換のオンパレードとなっています。
 まだ流し読みしかしていないので、後日しっかり読み込んで、この「偽りの明治維新」の”偽り”を検証したいと思います。
 しかしこの星氏と星氏のファンを見ていると、学校で歴史を教える際は、まず歴史と歴史小説は違う(歴史研究家と歴史小説家は違う)と言う大前提を教えないといけないと言うのを実感してしまいます。

今谷明著  「戦国三好一族~天下に号令した戦国大名」
 純粋に趣味として購入しました。てっきり長慶について書かれた物かと思ったら、長慶の祖父・父の活動についてから書かれており、決して長慶一代で三好氏が畿内を支配した訳ではないと言うのを初めて知りました。また松永久秀の台頭が、弟長頼の活躍が大きかったなど、興味深い内容でした。
 ただ気になるのが、畿内を支配しただけで「三好政権」と呼ぶのには疑問を感じます。まあこの辺は単なる戦国ファンと、戦国史を研究している方とでは、畿内に対しての評価が違うのかな。


 以上となります。どれも良くも悪くも味わい深い内容ですので、読み終わり次第、正式に感想を書かせて頂きたいと思います。


星亮一著 河井継之助

2008年01月22日 21時36分49秒 | 読書

 北越戦争を学ぶ者として購入したものの、河井(長岡藩)をダシにして、会津藩を賞賛し薩長両藩を誹謗しようとする、いつもの星亮一節だったので、読んでいてうんざりしました。単に感情的な表現だけならまだしも、史実を捏造して新政府軍を批判しているので始末がおえません。
 以下、本書に書かれた星氏の矛盾と責任回避を検証したいと思います。

 新政府軍の事を「どこに泊まっても、なにを食べても代価を支払わないおごり高ぶった軍隊だった」と星氏は書いていますけれども、保谷徹著「戊辰戦争」には新政府軍がきちんと宿場や人足に賃金を払っていたのが書かれています。むしろ会津藩兵こそ民衆から略奪を欲しいがままにしていたのです。
 この会津藩兵の蛮行については、「新潟市史」を始めとする郷土史や、「越後歴史考」等の歴史啓蒙書に記述されています。また米沢藩参謀を勤めた甘粕継成の日記には、「越地の人民会津を悪みきらふこと甚深く恰も仇敵の如し」と書き残されています。この様に会津藩兵の蛮行について書かれた資料が多く存在するのに関わらず、これらの会津藩兵の蛮行には触れず、新政府軍の蛮行のみを非難する態度を見る限り、星氏には歴史を探求しようと気持ちは更々無く、単に薩長を誹謗して会津を賞賛したいだけとしか言わざるを得ません。

 北越戦争のきっかけとして有名な小千谷談判についても、星氏は新政府の対応について執拗に非難しています。私も新政府軍の対応には問題があったと思います。しかし小千谷談判の決裂については、新政府軍の対応のまずさと別に、会津藩兵が長岡藩領に侵入し、長岡藩領内から新政府軍を攻撃したので、新政府軍が長岡藩の動向を疑ったと言うのも大きな要素になっています。星氏は、小千谷談判での新政府軍の対応のまずさについては非難しても、この会津藩の暗躍については、簡単に紹介しつつも、その行為に対しての明言を避けているのが狡猾だと思いました。この星氏の責任回避は本書全般に及んでいます。

 星氏の責任回避は、北越戦争の戦局に重大な影響を与えた新発田藩の「裏切り」に及ぶに至り、更に狡猾にそして小賢しくなります。星氏としては会津藩を「裏切った」新発田藩を許せない存在でしょう。しかし新発田藩の「裏切り」については、郷土史家の中島欣也氏や戊辰役戦史著者の大山柏氏が説得力のある擁護論を述べています。この両大御所両者の擁護論に対し、星氏は「これが大山の解釈だったが、長岡人のすべてを納得させる事は無理だった」と書いています。一見すると何でもない文章ですけれども、星氏は「長岡人」と言う他者の口を借りてて反論しつつも、「自分の意見」は述べていないんですよね。これならば両大御所の意見を支持する人に指摘されたとしても、「自分は何も言ってない長岡人の意見を引用しただけだ」と逃げる事が可能になります。しかもこの「長岡人」と言うのが、長岡市民の総意なのか単なる個人なのかも曖昧に濁し、追求出来なくしています。そもそも名前を出さない以上、この「長岡人」が実在するのか怪しいものです。このように自分が不利と判断した事柄については、自分の意見は言わずに、他人の意見を引用して責任を回避すると言うのが、星氏お得意の責任回避の手法であり、その狡猾さにはもはや軽蔑すら覚えます。

 責任回避を計る姿勢だけではなく、文章の書き方自体も、星氏は歴史研究家を名乗るに値しないと言わざるを得ません。河井を通して北越戦争について語るには、新政府軍・同盟軍双方の資料を読むのは当たり前の行為です。しかし星氏は同盟軍の資料は「それなり」に読んでいるものの、新政府軍の資料は「越の山風と「奇兵隊日記」の二冊しか読まず、「復古記」すら読んでいません。これでは客観的な文章など書ける訳がなく、そもそも星氏は客観的な記事など書くつもりはないとしか思えません。本書中に加賀藩兵の弱兵ぶりを書いているものの、加賀藩の資料を一切読まずに加賀藩兵を弱兵と断言する態度は、研究者として失格だと言わざるを得ません。研究者としての態度と言えば、新政府軍をその名で呼ぶのが許せないのか、「薩長連合軍」と歴史研究書では使われない呼び名に固執している様は、もはや哀れに感じました。

 以上の通り、本書は歴史書の形を取っているものの、その実は会津士魂と言う偽りを広める為のプロパガンダに過ぎないと言えましょう。いつもの事とはいえ、とにかく「会津こそが正義」と言う歪んだ歴史観で埋め尽くされた内容でした。真面目に河井や北越戦争について学びたい人にとっては、見るべき所の無い本です。
 このような史実を捏造した本を、これから北越戦争や河井を学ぼうとする人が読んだら、歴史観を歪められてしまうのではないか、そのような危惧を覚えてしまうほどの悪書でした。

 次回は星氏の最新刊「偽りの明治維新」の”偽り”を、今回よりも踏み込んで検証したいと思います。


保谷徹著 「戊辰戦争」

2008年01月18日 21時17分08秒 | 読書

 従来語られる事の少ない、「戊辰戦争」の軍事面を重視して書かれています。しかもその軍事面の中でも、戊辰戦争時の「兵站」について詳しく書かれており、非常に興味深い内容でした。
 このように軍事面を重視しているものの、幕長戦争から戊辰戦争戦後処置までに書かれた通史になっています。

 戊辰戦争時、殆どの藩は専門の補給部隊を持っていなく、宿場の助郷制度を利用していたというのは知っていたものの、詳しい内容は知りませんでした。これについて本書は、宿場と助郷制度の説明から始めてくれて、特に薩摩藩兵の小荷駄部隊を例に挙げて、戊辰当時の兵站や野戦病院について詳しく説明してくれたので、本当に勉強になりました。
 また新政府軍の戦費について、私は各藩の自弁だと思っていたのですけれども、後払いとは言え行軍費(旅費)については新政府が負担していたと言うのは本当に驚きました。尚、この新政府の戦費負担はあくまで行軍費のみで、部隊の西洋化に伴う費用に関しては、各藩の負担とさせていたというのは、西洋化に伴う費用は「軍役」として認識されていたのかと興味深く読ませて頂きました。
 他にも戊辰戦争を語るにおいて、声高に叫ばれる事が多い、新政府軍・反新政府軍双方の放火・略奪・捕虜の処置等について、感傷的にならず、冷静な視点で書かれているのが印象的でした。星亮一氏のような会津贔屓の小説家は、新政府軍の放火・略奪等には声高に叫ぶものの、会津藩兵が行なった放火・略奪には口を噤む偏狭な記述が多いので、それと比べると、本書での筆者の記述は両陣営について客観的に書かれているので、好感が持てました。
 
 以上のように本書は、戊辰戦争時の軍事面を知るには最適の本となっています。歴史家のセンセイ方の中には、軍事(武力)によって歴史が変わったと認めるのを嫌いな人も居るらしく、どうも戊辰戦争時の軍事面を軽視している風潮があると思います。その風潮を嫌っていた私としては、「いったん戦争が始まってしまえば、政治的な駆け引きではなく、勝敗はまさに軍事リアリズムによって決した」との筆者の言葉は、我が意を得たりとの気持ちになりました。
 このように本書は非常に刺激的な、そして勉強になる本でした。ただ新政府軍についての分析が多く、反新政府軍の兵站等についての記述は少なかったので、今後反新政府軍の研究も進む事を期待したいと思います。


大町雅美著 「戊辰戦争」

2007年11月04日 21時50分35秒 | 読書

 栃木県在住の郷土史家である筆者が、野州(栃木県)の視点から見た戊辰戦争について書かれた著書です。単に野州戦争の戦況だけでは無く、幕末における野州諸藩の動向・野州世直し一揆の特徴・野州における草莽活動の特徴等についても書かれた力作と言えましょう。

 幕末における野州諸藩の動向については、本書では宇都宮藩・壬生藩・喜連川藩・大田原藩・黒羽藩、そして真岡代官領の動向について書かれており、どの説明も興味深かったものの、中でも黒羽藩と真岡代官領の説明は印象的でした。幕末の黒羽藩と言えば、開明派の藩主と知られるものの、幕末の土壇場で不慮の死を遂げた大関増裕が有名です。しかしその死については、現在でも事故説と自殺説に意見が分かれる中、本書は家臣達のクーデターにより追い詰められた増裕が行なった覚悟の自殺と明確に述べています。そしてこのクーデターにより、独裁的で佐幕より藩主から権限を奪った家臣達が、その後新政府側として尽力し恩賞を得る事に成功したという記述は興味深く読ませて頂きました。
 真岡代官領については、当時の代官山内源七郎が新政府軍に恭順したものの、その後新政府軍に急襲され殺害されたというのは知られているものの、その理由については正直今まで詳しくは知りませんでした。これについて筆者は、生き残る為に新政府軍と旧幕府軍の双方に通じた山内の苦悩と、疑わしくは罰すべきとの対応を取った新政府軍の双方の理解を示しており、「戊辰政情の特色」と述べているのには、何事も単純な善悪といった視点で考えたがるエセ歴史家とは一線を画していると言えましょう。
 野州における草莽活動については、従来語られる事は少ないものの、鳥羽伏見の戦いの要因の一つとなった野州出流山の挙兵についても語られているのには、流石は栃木の郷土史家さんだと感心しました。草莽隊の代表格とも言える赤報隊の粛清に対して筆者は、遅ればせながら新政府軍に恭順する事を決めた信州諸藩が、点数稼ぎの為に行なった行為と独特の意見を述べており、正しいか誤っているかは別として興味深かったです。野州を代表する草莽隊である利鎌隊に関しては、地元の草莽隊という事で、その誕生から解散までを丁寧に説明してくれており、興味深く読ませて頂きました。
 また軍事面の説明もしっかり書かれているのも、本書の特徴と言えましょう。特にそれまで常勝を続けた大鳥軍が初めて敗北を喫した、野州戦争のターニングポイントになったと言える四月二十三日の安塚村の戦いについて、大鳥軍の一日の決断の遅れが勝敗を分けたと書かれているのが印象的でした。安塚村の戦いの敗因については、作戦の複雑さや、大鳥の不在は挙げられる事は多いものの、かの名著「戊辰役戦史」ですら作戦決行日に関しては指摘をしていないので、作戦決行日の一日の遅れに注目した筆者の慧眼には感服しました。

 このように本書は野州と言う地域に限定されるものの、政情・民衆の動向・軍事のいずれの面からも優れた見識を示してくれる良書と言えましょう。もっとも出版された時期が時期のため、新政府軍の事を官軍と呼ぶなど、王政復古史観が強い面が見られるものの、その点を差し引いても、野州の戊辰戦争を調べるに当たっての必読書と言えると思います。


清水義範著 「大人のための文章教室」

2007年10月28日 22時16分01秒 | 読書

 ここのところ文章の書き方について書かれた本を何冊か読んだところ、「文章の書き方」とテーマされた本というのは、「文章を書くに当たっての技術を重視する本」と、「人に読ませる文章のテクニックを重視する本」の二つに分類されるというのが判りました。先日感想を書いた「日本語の作文教室」は前者に属し、今回感想を書く「大人のための文章教室」は後者に属すると言えましょう。

 「人に読ませる文章のテクニックを重視する本」に属すると言っても、序盤では色々な接続詞を紹介してくれたり、句読点の打ち方を説明してくれたりなど、文章を書くに当たっての技術も説明してくれています。
 そうは言っても本書の特徴は、筆者が今までの経験から得た「人に読ませる文章を書くにあたっての技巧や裏技」と言えましょう。手紙や紀行文、随筆といった個人的な物から、企画書のような公的な物まで色々な文章を書くに当たってのテクニックを説明してくれ、かつそのテクニックを筆者独特の軽快なテンポで説明してくれるので、純粋に読み物として面白かったです。
 しかしこの良い意味での「小手先のテクニック」は、前述したように多くのジャンルに渡って書かれている為、反面どのジャンルの説明も掘り下げが浅くなってしまい、読み終わって「色々な文章を書くに当たっての、広く浅い小手先のテクニック集」との印象を持ちました。

 個人的には、期待していた歴史の記事を書くに当たって応用出来るようなテクニックは書かれていてなかったので、読み物としては面白かったものの、得る物は殆ど無かったというのが正直な感想です。


田辺昇吉著 「北関東戊辰戦争」

2007年10月21日 20時21分58秒 | 読書

 栃木在住の郷土史家が書かれた、野州を中心に描かれた北関東の戊辰戦争の著書です。郷土史家が書かれているだけあり、地元の資料をふんだんに駆使した内容になっているのが特徴です。また、筆者が旧日本軍陸軍で砲兵士官だった事もあり、戦略・戦術面について優れた分析をしている事が、本書の大きな特徴になっています。

 戊辰戦争について書かれた著書は多いものの、歴史家にとって軍事は門外漢のためか、軍事面について詳しく書かれた書物は故大山柏氏の「戊辰役戦史」くらいしか知りません。これは大山氏が元軍人だった為、その専門知識を駆使した為と思われますけれども、本書も筆者が軍隊時代に得た専門知識を駆使した説明をしてくれています。その説明も「復古記」等の資料を読み込んだ上で、全ての古戦場を実際に訪れて、地形を把握した上でそれぞれの戦いを分析する説得力のある内容でした。
 歴史家の先生方は各戦闘の結果により生じた影響等については詳しい説明をしてくれるものの、何故その戦いの勝敗が決したかについての説明は弱いのが実情です。そのような一般の歴史家の著書と比べると、元軍人の視点から各戦いの勝敗の原因を分析してくれる本書は、戊辰戦争の軍事面を調べる身としては興味深く読ませて頂きました。
 また筆者の歴史観もの公平さも、本書の特徴の一つです。本書では新政府軍の事を「西軍」と記述していますけれども、一方で旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍を「東軍」と記述しているのは、新政府軍を西軍と書きながらも、同盟軍の事は同盟軍と記述する会津贔屓の『小説家』とは一線を画する歴史観だと言えましょう。
 しかし一方で、土方歳三を過大評価していると感じた箇所が目立ちました。確かに土方は優秀な野戦軍司令官だと私も思いますけれども、土方が大鳥軍全体の参謀として、大鳥前軍の指揮を取っていたとの表記には最期まで首を傾げざるを得ませんでした。ただし盲目的な土方ファンが大鳥圭介を無能扱いするのに対し、筆者は大鳥の手腕を高く評価した上で土方の手腕も評価してるので、盲目的な土方ファンとは一線を画してていると言えましょう。
 このように本書は北関東という地域限定はされるものの、その内容は戦略・戦術分析に優れたものであり、戊辰戦争を調べる上での基礎資料である「戊辰役戦史」に匹敵する内容でした。北関東、特に野州の戊辰戦争を調べる方には必読と言っても過言ではないでしょう。


本多勝一著 「日本語の作文技術」

2007年10月14日 23時07分29秒 | 読書

 「綺麗な文章を書けるようになりたい」と購入した四冊目の本です。何の予備知識も持たずに購入した本書だったものの、購入後に著名なジャーナリストの書かれた本だと知りました。ジャーナリストが書かれただけあって文章が簡潔に纏められており、今まで読んだ「文章の書き方」について書かれた本の中では一番判りやすかったです。

 このテの「文章の書き方」について書かれている本の多くが、「テーマの選び方」や「インパクトのある文章」等の『見せ方』について書かれているのが多い中で、本書は「句読点のうちかた」や「修飾語の並べ方」・「改行のしかた」・「繰り返しの注意」等の、文章を書くに当たっての『技術』について説明してくれています。これは基本的な事柄も関わらず、中々学ぶ機会の無い事でしたので、この基本的な事柄を説明してくれる本書はありがたいものでした。
 特に「句読点のうちかた」については、本私も正しい方法が知りたくて色々な本を読んだものの、「文章の書き方」について書かれた本が多い中、この点について詳しく書かれた本を見た事がなかったので本当に勉強になりました。また「わかち書きを目的とするテンは一切うたないことだ」の指摘などは、私自身長らくわかち書きのための点を多用してきたので、印象的な指摘となりました。
 他にも「改行のしかた」については、あまりにも簡潔に答えを示してくれたので、この点を長らく悩んでいた身としては驚いてしまったくらいです。筆者は「『だいぶ長くなったからそろそろ改行しようか」などという馬鹿げた改行は、しようと思っても出来ないはずだ」と述べていますけれども、この本を読むまでそのような「馬鹿げた改行」をずっと続けてきた身としては、筆者の指摘は耳に痛かった反面、ようやく改行のしかたを知る事が出来たと思いを持てました。

 このように本書は文章に書くに当たっての初歩的な、しかし中々学ぶ機会のない技術についての説明が満載されており、読めば読むほど学ぶ事が出てくる味わい深く重宝する内容でした。暴言になるかもしれないものの、本書を読めば他に「文章の書き方」について書かれた本を読む必要はない、ここまで思えるほどの本はそう無いのではないでしょうか。


東郷尚武著 「海江田信義の幕末維新」

2007年10月04日 20時56分41秒 | 読書
 故司馬遼太郎の著書の影響からか、後世の評価があまり芳しくない海江田信義について、御子孫の方がその名誉を挽回しようと書かれた著書です。しかしその目的のために、海江田以外の先祖の逸話もところどころに語られる脱線がちの構成になり、結果少々読みにくい本でした。

 海江田という人物を語るのには必要不意可決と思われる、大村益次郎との関係については、近代日本の象徴である大村に対して、海江田は本人の活躍は別として、どうしても古い時代、若しくは反動勢力の象徴という認識が強いのが実情です。この認識を払拭する為にも筆者は、著書内で海江田がいかに幕末維新に奔走したのかを綴っているものの、大村に関しては「若い頃から尊王の志士として修羅場をくぐりぬけた人間とは違って、従来の武士社会のしがらみから解き放たれ、彗星のごとく、明治維新の大舞台に踊り出てきたのである」と一見評価しつつも、控えめながらも大村の事を批判していると感じた箇所が幾つかありました。
 半ば公然と語られがちな大村の暗殺と海江田の関係については、筆者は明確に否定し、大村暗殺犯達の処刑を海江田が阻もうとした事に関しても「手続き上の齟齬」と否定しています。そして自身の説を補強する為、絲屋寿雄氏著の「大村益次郎」からこの事件に関する部分が引用されていました。確かに海江田が大村暗殺の黒幕だったというのは文献的な裏付けがない以上、状況証拠に留まるかもしれません。しかし大村暗殺犯達の処刑を海江田が阻止しようとしたのは紛れもなく史実です。そして何より筆者が引用した絲屋氏の著書では、筆者が引用した文章に続いて「この大村暗殺事件に海江田が関わっていたのでは」と絲屋氏は書いているのにも関わらず、その箇所は引用せず、都合の良い箇所のみを引用する行為には首を傾げざるを得ませんでした。
 ただし筆者も海江田が大村の事を憎んでいた事に関しては認めているので、あくまで子孫の身贔屓といったところでしょうか。しかしこの身贔屓の為、あくまで子孫による先祖の宣伝書に過ぎず、信頼性は低いと言わざるを得ません。ある意味海江田自身が、自分の功績をひけらかす為に書いた「維新前後・実歴史伝」の子孫版と呼ぶべき印象の内容でした。

野口悠紀男著 「『超』文章法」

2007年09月27日 22時29分08秒 | 読書
 「綺麗な文章を書けるようになりたい」と思い、「論文の書き方」「文章の書き方」に引き続いて購入した本です。あまりにも俗っぽいタイトルだったので、読む前は正直期待していなかったものの、いざ読んでみると実用的な指摘が書かれている本でした。

 まず文章構成のアドバイスから始まり、比喩や引用の上手な使い方の説明など、実用的な事次々と説明してくれます。またこのような指摘だけではなく、句読点の打ち方、ひらがな・カナ・漢字の使用比率など文章を書くに当たっての基本的な知識も説明してくれます。このような説明は、文系の学校を出た方には当たり前の事かもしれません。しかし文系の学校を出ていない私にとっては、このような基本的な知識こそ知りたかったので本当にありがたかったです。
 また筆者は言葉遣いにも拘りがあるらしく、「小生」「浅学非才」「貴兄」などの表現は、却って嫌味っぽく感じるので辞めた方が良いと語っています。これについては私自身その傾向があったので、今後は改めようと思いました。
 他では先日を感想を書いた清水幾太郎著の「論文の書き方」でも書かれていた、「曖昧接続の『が』を使うな」というのを、本書でも書かれていたのが印象的でした。一応私も「論文の書き方」を読んで以来、「が」はなるべく使わないように努力しているつもりです。そのように気を使ってる最中に、本書でも同じ注意がされていたので、この「が」については今後も注意していこうと改めて思いました。

 このように本書は全編で、上記のような文章を書くに当たっての実践的な技術が書かれています。おかけで読んでいるこちらも引き込まれてしまい、一気に最期まで読みきってしまいました。
 しかし一方で、本文中に自分の著書の宣伝を何度も行なう筆者の品性には、最期まで馴染む事は出来ませんでした。

辰濃和男著 「文章の書き方」

2007年09月20日 21時36分03秒 | 読書

 文章の書き方を学びたくて、「論文の書き方」に引き続いて購読しました。しかしいざ読んでみると、純粋に読み物としても面白い本でした。

 本書はまず文章を書く心構えから説いてくれて、良い文章を書くにはたくさんの本を読むなど人生経験を積まないといけないと述べています。実際本書では筆者の豊富な知識が活かされ、先人達が残した著書から色々な文章を紹介しつつ、様々な文章の書き方を紹介してくれています。
 またこの筆者の書く文章が綺麗である事も、本書の特徴として挙げられると思います。「そう言うものだ」と言われればそれまでですけど、どうも新書の文体は上目線で書かれている本が多い気がします。しかし本書では筆者が丁寧な言葉遣いで文章が書かれているので、気持ち良く読み進める事が出来ました。そしてこの丁寧な文体だからこそ、筆者が色々な知識を披露しても嫌味に感じる事がなく、むしろ筆者の知識量の豊富さに感服しながら読み進める事が出来ました。
 そして本書に書かれて最も印象に残ったのは、「文章は判りやすく書かないといけない」との主張で、これには私も同じ気持ちです。日本だけなのかは知りませんけど、どうも一部では難解な文章が持て囃される傾向があるような気がします。何の予備知識が無い人が読んで判らないような文章の、どこが素晴らしいのか理解出来ない私からすれば、筆者が福沢諭吉の言葉を交えて述べる、「文章は判りやすく書かないといけない」との言葉には喝采を贈りたい気分になりました。余談になるものの、私が「意味もなく難解な文章が持て囃される」と思う三大ジャンルは「思想哲学」と「役所官庁の文章」、そして「ライトノベル」の三つです。

 このように本書は文章を書く心構えについて、丁寧に説いてくれています。しかし一方でいざ文章を書くに当たっての、言い方は悪いですが「小手先のテクニック」については殆ど触れてくれませんので、あまり実用的な本とは言えないと思います。
 文章を書くに当たっての心構えを持つことには重宝するものの、いざ文章を書くに当たっての参考書とはならない、これが本書に対する私の感想です。