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歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

今村仁司著 「マルクス入門」

2007年09月14日 22時28分57秒 | 読書
 歴史を勉強するに当たって、「マルクス史観」を学んでおかなくてはとは常々思っていました。しかし無学の身にはマルクスは難しいので、どうしたものかと思っていた時に、この本を見かけたので購入しました。しかしいざ読んでみると、「マルクス入門」という題に反して全然入門書ではない難解な文章だったので、読むのに苦労しました。
 まず上記の通り初心者向けの記述は序章しかなく、以降はいわば筆者のマルクス解釈が延々と綴られる内容でした。その筆者のマルクス解釈も現実的な解釈なら、まだ良いのですけど、完全に観念的な解釈なので読んでいても意味がさっぱり判りませんでした。実際本書の後半で経済観や歴史観についても触れてはくれていますけど、こちらについても観念的な解釈が述べられているだけなので、「マルクス史観」とはどのようなものなのかというのを学びたかった身としては、全く役に立ちませんでした。
 本書の文章がどれだけ難解かといいますと、第四章の「歴史的時間の概念」から一文を引用させて頂きます。

 「上級は下級をアウフベーンするというのと同じである。それが具体的現実の運動の叙術であり、この運動のなかには人間の精神行為としての言説が不可避のモーメントして含まれている。だからこそ、ヘーゲルは具体的現実をガイストと呼ぶ事が出来たのである。ガイストの多義性のために、ある種の誤解もありえたのだが、ガイストの真実の定義は自然界と人間界を構成要素とする全体である」

 正直この文章を読んだ瞬間、「どこのライトノベルだ」と思ってしまったくらいです。このように終始観念的、抽象的な表現が続く、非常に読みにくい本でした。
 もしかすると哲学的にはこのような文章は当たり前なのかもしれません、しかし哲学に馴染みの無い身としては全く意味不明でした。もしこのような文章を理解出来ない者には哲学を学ぶ資格はないと言われるのなら、私にはその資格はないでしょうし、このような言葉遊びを弄する学問など学ぶ必要はないとも思いました。

 以上のように「マルクス入門」と銘打ってながら、その実情は筆者のマルクス解釈であり、その解釈も観念的な、哲学を学んでいない者には意味不明な物でした。おかげで、最近哲学についての認識を改めつつあったのに、この本を読んでまた「哲学は暇人が学ぶ学問」という思いが強くなってきました。ただマルクス史観については学ばなくてはいけないとは思っていますので、この本のような羊頭狗肉ではなく、本当の意味でのマルクス入門になるような本を探したいと思っています。
 最後になりますが、「難しい文章を使いたがるのは、文章が下手な証拠だ、下手だからことさら難しい字を使って飾ろうとしているのだ」、福沢諭吉が残したこの言葉を本書に捧げたいと思います。

丸山真男著 「日本の思想」

2007年09月06日 21時18分45秒 | 読書

 『歴史とは何か』『歴史学ってなんだ?』に続いて、歴史を学ぶのに当たって哲学や思想を学ばなくてはと言う訳で購読しました。ただ前回購読した『歴史学ってなんだ?』があまりにも大ハズレだったので、今回は敢えて思想界の重鎮の著書を購入しました。しかしこれが裏目に出て、思想界の重鎮の書くあまりにも深い内容は、無学の私の頭では中々理解出来ず、読み終えるのに非常に時間が掛かりました。
 特に第二章の「近代日本の思想と文学」に関しては、最初から最後までチンプンカンプンで全く理解出来ませんでした。思想だけでも理解するのに大変なのに、自分と最も縁遠いと思う文学等と話を絡められては、読むだけで精一杯で内容を理解する事は出来ませんでした。ただ一つ読んでいて驚いたのは、戦前及び戦後直後の文学界というのは政界と真剣に相対していたんですね、可否は別として昔の文学界というのは、今と違って骨が有ったのだなと感心しました。
 前述の難解な二章に比べると多小は楽だったものの、一章もかなり難解な文章でしたね。しかし一方で読み応えのある内容だとも感じました。「日本の思想」と言う本書のタイトルと同じ表題をつけられている一章が一番筆者のメッセージが込められていると感じ、内容も鋭い所を突いていると感じました。日本の無責任体質の要因を、支配権の根拠を天皇制に置き、その国体を神聖不可侵な存在としたため、物事の責任を誰も取らない体質となり、この体質を上層部だけでなく、村社会という一般層まで倣ってしまった為、結果的に日本全体が無責任の社会になったという筆者の説は、左派思想の重鎮でなければ主張出来ない勇気ある主張だと喝采を送りたい気分になりました。
 この様に一章と二章がイデオロギー要素の強い内容だったのに対し、三章と四章は一般向けの判りやすい内容でした。『ササラ型とタコツボ型』と『「である」ことと『する』こと」という言葉は無学の私でも知っていましたけど、実際にその文章を読んでみると考えさせられる物ばかりでした。特に興味深いなと思ったのは、『ササラ型とタコツボ型』の説明で、日本はどの学問も専門化して、個々の学問同士の繋がりが無いタコツボ型なのに対して、欧州は各学問が根底では一つになっているササラ型で、その根底となり各学問を繋げているのが哲学だという説明は、哲学など暇人がやる事と少し前まで思っていた私にとっては衝撃的なものでした。この文を読んで、普段お世話になっている方達が何故、「歴史を学ぶなら哲学を学ばないといけない」とアドバイスしてくれたのか判った気がします。

 ところで本書の感想ではありませんが、本書を読んでいて筆者が自分達の事を知識層と呼称しているのが気になりました。確かに筆者の功績を考えれば、この呼称は決して不自然ではないと思います。しかしそれが全ての原因ではないにしろ、筆者を代表とする左派知識層に対する嫉妬と反発が、現在の若年層の右傾化が進んでいる一因になっているのではないでしょうか。


安丸良夫著 「神々の明治維新~神仏分離と廃仏毀釈~」

2007年08月23日 22時06分37秒 | 読書

 先日の飲み会の際にふと国学の話になりました、しかし私は国学について全くの無知なので、国学者達が何を目指したのかを知りたかったのと、明治新政府が行なった諸政策の中で「爵位制度」並んで愚策と思っている「宗教などという非合理的な物を国が司ろうとした神祇官が何故成立したのか」を知りたくて購読しました。
 この明治新政府の宗教政策が一向宗や、キリスト教が普及するのを防ぐ為の宗教政策というのは聞いていましたけど、実効面ではむしろ民俗信仰の弾圧に重きが置かれていたのは知りませんでした。あちこち旅行していると山や林の中に神社があったりしますけど、これが元々民俗信仰の施設だった物が、この政策により無理やり神社にされた名残というのは驚きでした。
 また神祇官の成立は、イデオロギーによる統治を目論んだ明治新政府が、天皇を頂点とする神社信仰を広める事により民衆を精神面から支配する為の政策で、これに権力を求めた神官と国学者達が群がった為の設立とは知りませんでした。神祇官の成立は国民統治の方便の一つに過ぎず、決して大久保利通などの優秀な維新閣僚達が、本気でこの愚かしい宗教政策を信仰心から推進していた訳ではないと知ってホッとしました。
 そのような意味ではこの「神仏分離と廃仏毀釈」は、単に政策面から価値があると判断した大久保達維新官僚と、本気でこの愚かしいイデオロギーを完遂しようとした神官達と国学者達の協力によって行なわれた政策というのが判りました。しかしこの宗教政策が西洋諸国と僧侶達の反発によって挫折すると、この宗教政策を単なる方便として見ていなかった大久保達が、もう用が済んだと言わんばかりに神祇官を短期間で解体したのも当然だったのでしょう。

 しかしこの「神仏分離と廃仏毀釈」の政策自体は挫折しましたけど、天皇の存在を宗教の頂点に位置付けて、その宗教上の頂点に政策の全責任を持たせることによって、政府への批判を封じるという政治体制の構築には成功したんですよね。そう言う意味では現代も続く、この日本の歪んだ体制は、この短期間のみ存在した神祇官によって作られてたのだと読み終わった後に実感しました。


猪飼隆明著 「西郷隆盛~西南戦争への道~」

2007年08月16日 20時45分18秒 | 読書
 現在も評価が難しい西郷隆盛について、色々な史料や先行研究を元に、独自の視点で説明してくれています。しかし、その独創的な見解は興味深く読ませてくれる半面、主観が強すぎて強引な見解が目立ちました。
 例えば上野戦争以降、新政府軍の指揮権が西郷から大村益次郎に委譲された件に対し、「西郷にとっては全軍の指揮官となるほうが不本意だったのであり、(大村と)指揮権を争う気は毫もなかったろう」という見解は、その様に西郷が直接述べた史料が無い以上強引過ぎる見解だと思います。
 また表題の西南戦争や明治六年の政変での西郷の真意について、「西郷は天皇親政を目指していた」との見解を示すのも、こちらもまた強引な見解と感じました。征韓論での西郷の真意については、井上清氏が「士族独裁国家を目指した」、毛利敏彦氏が「征韓論争は長州閣と江藤新平の対立であり、大久保と西郷はこれに巻き込まれたに過ぎない」と、それぞれ見解を示しています。これに対し筆者は両者の説を批判した上で、「自分が謀殺される事で国内のナショナリズムが高揚し、これが天皇親政につながる」と西郷は考えたと述べています。しかし具体的にこの説を裏付ける史料を提示していない以上、筆者の説には首を傾げざるを得ませんでした。正直筆者が批判する井上氏と毛利氏の説の方が余程説得力があると思います。
 とにかく全編的に「西郷は天皇の権威を利用しようとした有司専制の官僚と戦った」という筆者の主観が伝わってくる内容で、岩波の本とは思えない保守思想の強い内容だと感じました。

 しかし一方で、西郷を取り上げる以上は「大久保について語らなくてはいけない」と言う事で、大久保の有司専制体制について、実に本書の半分近くも割いて述べてくれるのですが、こちらは筆者の主観が入っていない分、多くの史料を駆使した説明は判りやすい内容でしたので、非常に勉強になりました。

清水幾太郎著「論文の書き方」

2007年08月09日 22時52分01秒 | 読書
 私は正規の文章の書き方を学んだ事がないので、正式な文章の書き方を学びたくて購入しました。実は購入後にこの筆者が社会学者の大御所だと知って驚いたのですけど、流石は戦中・戦後に活躍した大御所の著書だけあって、言葉遣いが難しく無学の身としては読むのに苦労したものの、その苦労に見合う読み応えのある内容でした。
 単に小手先の技術を教えるだけの様な軽い内容ではなく、論文の書き方だけではなく、文章そのものの書き方や文章を書く事に対する心構えから説いてくれる重厚な内容でした。しかし反面あまりにも真剣に文章の書き方を説いてくれる余り、「経験と抽象との間の往復しよう」の章の部分などは、難解すぎて無学の身には理解出来ませんでした。
 しかし「書物を読むのは、これを理解するためであるけれども、これを本当に理解するには、それを自分で書かねばならない。自分で書いて初めて書物は身に付く」と「『が』に頼っていては(正しい)文章は書けない」という二つのフレーズは非常に印象に残りました。特に「『が』に頼っていては(正しい)文章は書けない」については、今まで自分が書いた文章を読み返してみると、「が」を余りにも多用している事に我ながら驚きました。確かに「が」を使うと文章を楽に書けますけど、「が」を多用し過ぎると読み手の心に届く文章は書けないので、苦労してでも「が」ではない接続詞を使うべきという筆者の言葉は無学の身でも理解出来、かつ今すぐからでも実行出来る事ですので、早速この感想から「が」を極力使わないように書いてみたつもりです。
 何はともあれ今回読んだだけでは理解出来ない部分もありました、しかしその理解出来なかった部分にも学ぶべき事がたくさん含まれていると思いますので、日を置いてまた読み返したいと思っています。

芝原拓自著 「世界史のなかの明治維新」

2007年07月26日 21時23分49秒 | 読書

 「世界史のなかの明治維新」と言うタイトルだけあって、序盤は開国より始まった交易によって、どれだけ国内の経済が混乱したのかと言うのを事細かく説明してくれています。主な日本の交易先だった当時の英国の輸出・輸入の実態を詳しく説明してくれ、これにより国内の物価や産業がどのように変化したのかを判りやすく説明してくれます。この開国により始まった交易による国内の経済混乱が、明治維新の要因の一つになったというのは承知していましたが、これに関してここまで詳しくかつ判り易く説明してくれた本は初めてだったので、本当に勉強になりました。
 その後もこの諸外国との交易を重視した幕末維新史の通説を書いてくれて、一般に警察権を掌握する旨ばかり強調される内務省を、諸外国との交易から国内産業を守る為の省庁という点を重視して書かれているのが印象的でした。そのような意味では「世界史のなかの明治維新」というより「世界経済と明治維新」といった印象が強かったです。
 もっとも単に経済だけではなく、明治七年の台湾出兵の際に何故清国が弱腰だったのかについての説明も判り易かったのですが、明治政府にとって経済的な重要問題である地租改正や秩禄処分に対して詳しく説明してくれるなど、経済を重視した幕末維新の通史という印象が強い内容でした。
 最後に気になったのが経済重視という視点から、井上馨等の大蔵省の官僚の手腕を高く評価しているのですが、この為大蔵省と対立した司法卿の江藤新平の行動を「大蔵省いじめ」と解釈しているのには違和感を感じました。


大山格著 「慶喜謀反!!」

2007年07月19日 23時25分02秒 | 読書

 「史実では鳥羽伏見の戦いで大阪城から逃走した徳川慶喜が、もし旧幕府軍に反旗を翻したら」という斬新な視点で描かれた所謂シミュレーション小説ですが、普通のシミュレーション小説なら「慶喜が旧幕府軍に反旗を翻す」描写が重視されるのに対し、この作品は慶喜が反乱した後の歴史が重視されているのが特徴です。しかもその慶喜反乱後の歴史を、史実でも実在した「昔夢会筆記」で当事者達が語り合い、その「昔夢会筆記」を用いて後世の人間が慶喜の反乱の真意を調べるという一風変わった構成になっています。
 また「昔夢会筆記」では単に慶喜反乱について語り合うだけではなく、慶喜が反乱する以前の歴史についても語り合う場面があるのですが、慶喜が反乱するまでは史実通りですので、言わば「昔夢会筆記」の場を借りて筆者の幕末史に対する見解が読めるなど面白い試みがされています。
 この様に一般のシミュレーション小説が「架空の歴史での合戦・戦争」が主眼が置かれた構成になっているのに対し、この作品は「架空の歴史を当事者・後世の人間が調べる」のに主眼が置かれている構成になっているのが特徴です。この構成は私みたいな歴史好きには面白いでしょうが、一般的なシミュレーション小説ファンにはウケが悪いだろうなというのが正直な感想です。
 筆者は後書きで、多くのシミュレーション小説が「その後の歴史にまで責任を持つ作家はごく少ないのではないか」と語り、その思いによりこの独特な構成の物語を書いたと述べていますが、正直シミュレーション小説を好んで読む人は「その後の歴史がどうなった」などは求めてないと思うんですよ。彼等が好むのは臨場感のある戦闘シーンであり、手に汗握る展開であり、「一つの事件や戦いがあって、その後の歴史がどうなったか」を気にするような人間はそもそもシミュレーション小説を読まないと思うんですよね。そう言う意味では作品の完成度は高いですが、売れ筋の作品ではないというのが正直な感想です。
 ちなみに個人的な感想としては、この作品は上記の通り慶喜編・昔夢会筆記編・後世編の三つに分かれていますが(便宜上こう読みますが、作品中この三世界の舞台は目まぐるしく入れ替わります)、後世編に比べると慶喜編と昔夢会筆記編のボリュームが少なかった気がするので、もう少し慶喜編と昔夢会筆記編が読みたかったです。中西先生と梅原学生の活躍は読んでいて楽しかったですが、少し悪ノリ過ぎる気が(笑)
 何はともあれ、普段はシミュレーション小説を読まない歴史好き人にこそ読んでもらいたいシミュレーション小説というのが私の感想です。


田中彰著 「幕末の長州~維新志士出現の背景~」

2007年07月11日 20時32分30秒 | 読書
 日本近代史の大御所が幕末の長州藩について物心両面について書いてくれた力作ですが、約四十年前のマルクス史観全盛期に書かれた事もあり、経済の発展及び民衆の同行重視というマルクス史観の強い内容になっています。
 一般的に現在も長州藩の内訌を正義派と俗論派の争いと語られる事が多い中、四十年近くも前に両者に本質的な違いはないと語るなど、その見識の鋭さには敬意を払わざるを得ません。また当時の馬関海峡(下関)の経済的な重要性に注目し、下関の経済的利潤が幕末維新に与えた影響についての記述は、流石は経済を重視するマルクス史観だと感心する内容でした。
 上記の経済重視の説明はマルクス史観の良い部分が出た内容でしたが、元治元年十二月に始まった長州藩の内戦について、高杉晋作のクーデターが成功した理由を、流通の発展によりブルジョワ化した山陽地方の豪農・豪商達の支援だけに求めるのには民衆の動向を重視するマルクス史観の悪い部分が出ていると感じました。確かに山陽地方の豪農・豪商達が支援したのは、高杉一派勝因の一つだとは思いますが、それだけに答えを求めて高杉一派の軍事的優性を無視するのはマルクス史観の悪い部分だと思いました。その後の幕長戦争の勝利についてもその原因を民衆の動向に求めるなど、王政復古史観に対するため民衆の動向を重視するのは良いのですが、却ってその民衆の同行を過大評価している嫌いがありました。
 この様に本書は良い意味でも悪い意味でも、マルクス史観の特徴が顕著に表れている内容だと思いました。

絲屋寿雄著 「大村益次郎~幕末維新の兵制改革~」

2007年07月04日 23時58分03秒 | 読書

 新書サイズながらも押さえる所は押さえていて、大村益次郎についての入門書としては最適だと思いますが、本格的に大村について知りたい人には少々物足りないかもしれません。
 ただし入門書と言っても副題に「幕末維新の兵制改革」と書かれているだけあって、幕長戦争に備えて大村が行なった長州藩の軍制改革については力を入れて書かれており、特に大村が自ら訳したクノープの「活版兵家須知戦闘術門」については詳しく描かれ読み応えがありました。この様に幕末長州藩の軍制改革については詳しく描かれているのですが、反面維新後の新政府の軍制改革については描写が薄かったのが残念です。
 以上の様に物足りない面もありますが、必要最低限の事は押さえているので大村について調べたい人の入門書としては最適だと思います。大村と言えば司馬遼太郎の「花神」が有名ですが、「花神」は確かに名作ですが、あれはあくまで司馬氏の創作による物語なので、史実の大村益次郎を知りたい方には是非こちらを読んで頂きたいと思います。


佐々木克著 「戊辰戦争」

2007年06月21日 22時43分22秒 | 読書

 先日感想を書いた原口清の「戊辰戦争」、石井孝氏の「維新の内乱」「戊辰戦争論」を受けて書かれた著書です。筆者の佐々木氏も、原口氏と石井氏が唱える「明治新政府=絶対主義権力」には異論はないらしく、本書の特徴として「徳川慶喜についての考察」と「奥羽越列藩同盟の性格についての考察」が挙げられ、これが原口氏と石井氏の主張と異なります。
 慶喜については筆者は全般的に批判的で、「その場の思いつきで行動する」と非難して鳥羽伏見の開戦の責任、敗戦後部下を見捨てて脱出した、江戸帰還後も他人任せとかなり酷評してるのが特徴です。ただ江戸帰還後の慶喜の動向については原口氏の説と本質的な意味では同じで、これを慶喜に対して好意的に書くか否定的に書くかの違いで原口氏の説と佐々木氏の説が分かれていると感じました。
 また恐らく筆者が最も主張したかったと思われる「奥羽越列藩同盟の性格」については、原口氏の唱える「大政奉還が目指した理想のコースの現実化した政権」を更に超えて、新政府に対抗出来る諸侯連合による東日本政権と非常に高い評価を与えているのが特徴です。ただし奥羽越列藩同盟を高く評価していると言っても、「小説家」の早乙女貢や星亮一氏の様にただ「会津こそ正義!、薩長は悪!」と感情論を煽り立てて、肝心の内容は史料の後付けがない感情論の羅列ばかりと言った煽動屋とは違って、きちんと史料を調査して持論を展開する姿勢は流石は本職の歴史家の先生だと好感が持てました。
 しかし好感が持てると言っても、個人的には佐々木氏の意見には反対で、幾ら立派な体制や条文を作ったとしても、軍事指揮権の統一すら出来なかった奥羽越列藩同盟が政策面で統一行動が可能だったとは甚だ疑問ですし、そもそもあくまで薩長主導の明治新政府に対抗する勢力として誕生した、あくまで能動的な立場で発足した奥羽越列藩同盟が時代を先導する事が可能な政権だったとは思えません。

 まあ私の卑見はともかくとしまして、奥羽越列藩同盟に好意的な意見を述べてる佐々木氏ですが、箱館戦争については五稜郭の榎本一党を蝦夷共和国と呼ぶ風潮に対し「首脳部の人事決定を公選で行なったという形式と過程に目を奪われ過ぎている」とあくまで徳川家浪人の脱走軍と説明し、何でもかんでも反新政府勢力を美化する「小説家」とは一線を介した史料に基づいた持論を展開してくれます。
 また原口氏とは違い、実際の軍事行動についても踏み込んだ説明と考察をしてくれているのが特徴です。

 その様な訳で徳川慶喜に対してはやや感情的と思えるような批判もありましたが、奥羽越列藩同盟については支持をしつつも、あくまで学問として奥羽越列藩同盟を再考察と言う論調になっているので、非常に興味深く読ませて頂きました。


石井孝著 「戊辰戦争論」

2007年06月17日 16時14分41秒 | 読書

 先日感想を書いた原口清氏著の「戊辰戦争」と、後日感想を書く予定の佐々木克氏著の「戊辰戦争」に対する批判として書かれたのが本書です。著者の石井氏(以降「筆者」と記述)も「明治新政府=絶対主義権力」との見解は原口氏と同意見なのですが、原口氏が戊辰戦争の性格を「個別領有権(封建主義)を否定する絶対主義権力と個別領有権を認める列藩同盟(公議政体派)権力との闘争」を評してるのに対し、筆者は戊辰戦争の性格を服部之総氏が唱えた「絶対主義権力を目指した二つの勢力の闘争」の説を継承しているのが特徴です(申し訳ありませんが私は服部氏の著書は未見です)。
 ただこの服部氏の説は原口氏に「もし戊辰戦争が二つの絶対主義権力を目指した闘争なら、新政府に敵対した勢力の主力の奥羽越列藩同盟も絶対主義権力を目指す勢力なのか」との反論の余地が無い批判をされている為(奥羽越列藩同盟は贔屓目に見て公議政体派権力が限界でしょう)、筆者は新政府と徳川氏勢力との戦いが鳥羽伏見の戦い~上野戦争という従来の説を否定して、幕長戦争~上野戦争までを絶対主義権力化を目指す明治新政府と、同じく絶対主義権力化を目指す徳川氏との戦いと位置付け、これならば期間的に新政府と奥羽越列藩同盟との戦闘期間より長くなるので、これをもって戊辰戦争を「絶対主義権力を目指した二つの勢力の闘争」との根拠としているのですが、正直これは原口氏の批判に対抗する為のこじつけと言わざるを得ません。
 また徳川慶喜を徳川勢力の絶対主義権力化への指導者と位置付けているため、鳥羽伏見の戦いは慶喜の指示によって行なわれたとしていますが、そうなると慶喜の江戸脱出は矛盾した行動になるのですが、これに対して筆者は「江戸での決戦を目指して江戸に帰還した」と解釈していますが、本当に最初から慶喜が開戦を目指していたのならこの解釈は苦しいと言わざるを得ません。
 また江戸に帰還した慶喜は新政府との再戦を試みていたという解釈は同意出来るのですが、では何故慶喜が再戦を諦めて恭順したのかについては詳しく述べられていないので、正直「慶喜は当初は江戸で再戦するつもりだった」と言う筆者の説は尻切れトンボの感がありました。

 この様にこの本で著者が訴えたかった「戊辰戦争は絶対主義権力を目指した二つの勢力の闘争だった」の説は残念ながら説得力を感じる事が出来ませんでしたが、恐らく著者にとって副次的な内容であろう本書後半の主張「奥羽越列藩同盟は遅れた封建領主のルーズな連合体に過ぎない」「箱館戦争は徳川家浪人による士族反乱に過ぎない」は非常に共感出来る物でした。
 原口氏は列藩同盟を「公議政体=大政奉還コースの現実化した諸藩連合政権」と評価していましたが、少なくとも軍事指揮権すら統一出来なかった同盟が果たして諸藩連合政権と呼べるものなのかと思っていた私にとって「奥羽越列藩同盟は遅れた封建領主のルーズな連合体に過ぎない」という筆者の主張は非常に共感出来るものでした。
 また一部で蝦夷共和国と持て囃される榎本一派を「徳川家浪人による士族反乱」と斬り捨てたのも、当初は過激な意見と思いましたが、読み進めるに従い著者の主張こそ理にかなっていると感銘を受けました。

 この様に筆者が最も主張したかった「戊辰戦争は絶対主義権力を目指した二つの勢力の闘争だった」については説得力を感じられませんでしたが、それ以外の奥羽越列藩同盟と箱館戦争の説明については原口氏の説明より説得力を感じました。原口氏と石井氏どちらの意見が正しいと言うより、両者の意見を読み両者の意見で自分が支持する説を折衷するのが一番良いのではと思います。
 尚、軍事面での説明は皆無だった原口氏に対して、筆者は軍事面での説明をしてくれていますが、こちらは正直特筆すべき事はありませんでした。


小田中直樹著「歴史学ってなんだ?」

2007年06月14日 22時41分20秒 | 読書
 夏コミ向けの新刊に私も参加させて頂きました日本史探偵団様のブログが開設されました、大山先生が執筆した記事についての話なども書いてくれるみたいなので、これから楽しみにさせて頂きたいと思います(^^)
 ところでこの夏コミ向けの新刊の原稿も一応一段落したので、最近また色々本を読んでいるのですが、どうもこのブログでの読書感想では良かった本の感想ばかり書いていますが、たまにはハズレと感じた本の感想を書いてみようと思ったので、今年読んだ本の中では一番のハズレと感じた今回紹介する本の感想を書きたいと思います。


 「歴史を学ぶなら歴史哲学を身に付けたほうが良い」とアドバイスを受けて、『歴史とは何か』に引き続いて読んでみた本です。
 筆者は一般の人が歴史を敬遠しがちなのを憂いてこの本を書いたらしいですが、この本を読んでまず感じたのは、本文中やたら横文字が多用されている事です。もしかしたら学会では「アクチュアル」や「コモン・センス」など日本語で言えば良い事をわざわざ横文字で書く事は普通の行為なのかもしれませんが、個人的には却って軽薄と感じてしまいました。また各章のまとめでは、自分では結論を書かずに「それぞれに判断してほしい」など良く言えば「自分の意見を押し付けない」、悪く言えば「自分の発言に責任を持たない」態度が無責任に感じられました。おかげで学術書の形式で引用を一々挙げてくれている本来なら親切と感じる構成も、「他人の意見を挙げるだけで、自分の意見は述べていない」と写ってしまいました。
 またタイトルの「歴史学ってなんだ?」に対する筆者の答えの「コミュニケーショナルに正しい認識」も、何が言いたいのか私にはさっぱり理解出来ませんでした。正式に史学を学んでいる方には受け入れられる内容なのでしょうが、私としては筆者の様な学者さんがこの本の様な曖昧な事ばかり述べるから、一般の人は歴史を敬遠するのではないかと、逆に納得してしまった内容でした。

原口清著 「戊辰戦争」

2007年06月10日 20時06分04秒 | 読書

 私の戊辰戦争史への興味が軍事関係に偏っており、戊辰戦争自体の性格等に関しては今まで不勉強だったので、遅ればせながらこちらの方も学ぼうと原口氏の「戊辰戦争」、石井孝氏の「戊辰戦争論」、佐々木克氏の「戊辰戦争」を購読したのですが、まずは原口氏の戊辰戦争の感想から書かせて頂きます。

 まず原口氏は戊辰戦争の性格を、最終的には個別領有権を否定する絶対主義権力と、個別領有権(封建主義)を認める列藩同盟(公儀政体)権力との戦争と唱えており、その理論の元で戊辰戦争史を説明しているのですが、その中で印象に残った事を箇条書きで列挙させて頂きますと。

「明治新政府は成立当時は公儀政体派の意見が優勢だったが、鳥羽伏見戦の突入と勝利を経た事により倒幕派が実権を掌握して急速に絶対主義政権化していった」
「徳川慶喜は将軍就任時は幕府の絶対政権化を目指したが、情勢の不利を悟り公儀政体派が支持する個別領有権を認める諸侯会議政権の首座に座るのを望んだ」
「草莽隊を新政府を弾圧した理由は幾つか有るが、攘夷性質が強い草莽隊を諸外国が嫌ったという点もあるのではないか」
「当初大総督府は中央政権である新政府の統制から半ば独立した存在だったが、彰義隊を巡る情勢の中で新政府の軍事官僚である大村益次郎が東下し、その指導の元で彰義隊を上野戦争で殲滅した事により、東征軍は完全に新政府の指導下に入り、後の戊辰戦争は新政府(大村)の指導下で行なわれる様になった」
「民衆は時の情勢に合わせて活動しただけで、積極的に新政府軍にも反新政府軍にも協力した訳ではない」
「奥羽越列藩同盟の性格は封建諸侯連合であり、ある意味大政奉還が目指したコースの現実化した政権だった」

 私が読んで印象に残ったのは以上の事柄です、個々の説に対する私の卑見は後日述べさせて頂きますが、これまで戊辰戦争の性格などは考えずに戦略・戦術レベルの事ばかり注目してきた私にとっては、戊辰戦争は絶対主義と公儀政体主義の戦いだったという原口氏の説は斬新であり、衝撃を受けました。この「明治新政府=絶対主義権力」の図式を当てはめる事により、今まで不勉強により上手く説明が出来なかった事の説明が出来るようになったので、これからも戊辰戦争史を調べるに当っての貴重な骨子を得る事が出来ました。
 この様にこれからも戊辰戦争を学ぶに当って非情に参考になる内容で、何故この本をもっと早く読まなかったのだろうと悔やむ程の素晴らしい著書でした。

 尚、最後に上記の通り本書は戊辰戦争の性格を述べていますが、個々の戦闘についての説明や考察はなく、箱館戦争については筆者が副次的な戦いで大勢に影響は与えなかったと判断したのか概要すら殆ど述べられていない事の二点も本書の特徴として挙げさせて頂きます。


遠山茂樹、今井清一、藤原彰著 「昭和史」

2007年05月17日 21時49分45秒 | 読書
 第一次世界大戦から第二次世界大戦後の日本の歴史を描いた大作で、政治・経済・外交の面から詳しく描かれています。私が購入したのは新版で、旧版と比べると改善されたようですが、それでもまだマルクス史観の強い内容になっており、何かと「人民の力・人民の開放」を連呼して、それを過大評価している嫌いがあります。
 また共産党の活動についても少し過剰に評価気味ですが、一方で党略の失策を舌鋒鋭く批判もしているので、決して贔屓の喪引き倒しではないかと思います。
 以上の通り批判すべき点もありますが、自虐史観への反動で逆に日本の開戦を正当化しつつある近年の風潮に対し、幾らでも回避の機会があったにも関わらず勝ち目の無い戦いにまい進した日本外交の失態と、日本政府の無責任さを舌鋒鋭く批判する描写には圧倒されます。特に一時は満州国の存在を米国に認めさせたのにも関わらず、より多くの譲歩を引き出そうとして逆に交渉決裂となった事は語られる事がすくないので、だからこそこれを指摘する描写には迫力を感じました。もっとも右傾化が進む現代の歴史観には、この事は受け入れないかもしれませんが。
 また何かと「開戦には反対だった」と言われる昭和天皇の戦争責任を、史料を示しつつ糾弾する様は勇気がある行動と感心しました。多くの著書がこの問題に対して曖昧に濁す中、この事を正面から取り上げた著者の歴史家としての使命感を感じました。
 現代は自虐史観に対する批判からマルクス史観は批判されがちですが、自由主義史観が持て囃されるなど、右傾化が進む現代では却って少しマルクス史観が入っていた方が、中立的な歴史が語れるのではと感じさせてくれる良書でした。

八幡和郎著 「江戸三〇〇藩最後の殿様~うちの殿様は何をした?~」

2007年05月10日 20時56分13秒 | 読書

 倒幕派にしろ佐幕派にしろ能動的に動いた藩や、大藩については色々伝えられていますが、東海道や戦乱に巻き込まれなかった関東の小藩の同行は殆ど知らないので購入してみました。
 タイトル通り聞いた事も無い小藩まで幕末にどういう動きをしたのかを簡潔に書かれており、中々興味深く読ませてもらいました。単に幕末の諸藩の動向だけでなく、幕末の通史も簡潔に書かれており勉強になります。他にも現代も「恨み節」を通して誤って語られる事が多い維新後の爵位制度や、廃藩置県後の県庁所在地の選定等について史料を通して史実が書かれており、中々読み応えがあります。
 ただ筆者はあくまで史学の視点で本文を書いているので、フィクション上で英雄として描かれる事が多い会津藩や河井継之助や新選組に対して辛辣な意見(史学的には適切な意見)を書いているので、漫画や小説で会津や新選組ファンになった人には耳の痛い事が書かれていますのでご注意下さい。ですので「史実とフィクションの区別がつかない方、つけたくない方」、または「佐幕勢力と自分を同一視してる方」は自尊心が傷つく恐れがありますので読まない方が賢明かと思われます。