― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳。
記憶を鮮明にさせてくれる画像や思いが大事な宝物になっています。

マー君ママ、同級生と共に担任に再会  ― 学校の先生 ―

2015-05-03 | 人・言動 に関するお話

千葉の 18歳の少女が殺害 したのは
高校の時の同級生。
どこかに [ 小学校も一緒だった ] と書いてあったような気が します。
そんな人を、
いくらお金や異性(ホスト)が絡んでいた とはいえ
どんなに揉めて頭にきた とはいえ
本気で殺す計画を立て、実行 してしまえるものなんで しょうか
自分のことばかり考えずに お互いが 相手を思いやれていたなら ...
もっと良い関係になれていたんじゃないの
残念でなりません




           同級生 ……!
           出会いを良きものと思い、繋がりを大切にすれば、
           それは 人生の宝物 になり得ます。
           そこに 先生が関わっていたりしたら ... もっと素敵!


ある日、
マー君ママは 小学5~6年生の時の担任のお家に遊びに行ったようでした。
同行者は 当時の同級生女子ふたりと それぞれの子ども達。
その時の写真を 私にも送信 してくれました。

           Krちゃんの 娘たち>      <先生>    <ター君 とマー君
                  Yi 君 とYmちゃんの 息子と娘


   事前に、 <今度 会いに行く> という話は聞いていたけれど
   それが いつなのか ということまでは知らなかった私は
   この写真が送られて来た時
    「何かの集まり?」
    「前の男の子 ター君に似てるね。」 と返事を送りました。
   マー君ママから すぐに
    「えええー 真ん中の人 よく見て!!」 とメールが来たので
    「なんか感 じが変わったみたいだけど 群馬のお父さん? 今 群馬なの?」 と返信。

        まず第一に 携帯の写真は小さくて見づらい。
        ほとんどが子どもとなると 一番に思い浮かぶのは 何かのイベント的集まり。
        だけど そこに大人が混 じっているから、親族が多いマー君パパの実家付近?
        なんて考えた。 あちらのお父さんを見分けやすい背の高さが 座った写真から
        ではわかりにくいので、似ていると思えた 顎の感 じで判断 したんです。
        すいぶんお会いしていないので 現在はこんな風なのかな? なんて想像 でした。


   すると マー君ママからは また
    「ええええええー 違うよ!!」 という返信。
   あくまでも答えさせようという考えのようです。
    「えーっ 誰!?」
   画面を思い切り拡大 してみたら
    「Fy先生?」
   断言するまでには至らない ?付き ながら やっと正解に到達。

        大人だけで写っている写真でもあれば ピンときたかも しれません。
        よく見れば 面影はあるから 〔 あ~ そうなんだー! 〕 と納得はできましたが、
        エネルギーに満ち溢れた 体育会系の先生だったから
        この写真からだけで受ける印象としては
         「やっぱり 歳とったね~!」 感が否めない。
        ..... ということは …
        イコール 〔 自分もそうなんだろうな~! 〕
        多少の歳の差はあったとしても、なんか凄ーく 実感させられた気が しました。



今回 写真を見て思ったこと

子ども達が集まると 中にはけっこう ひょうきんな子 が いるものだけど
Krちゃんの娘も例外にあらず!

        Krちゃんは美人で長身の体育会系。 カッコよかったから この子はパパ似!?
        そう思ったけれど、思い返せば 彼女にも人懐っこい面はあったから こんな一面も
        あったのかも しれません。  こんな子どもらしさ、 いいんじゃな~い!
        そういえば、Krちゃんとは マー君の幼稚園入学時に再会 したんだったわよね。
        その時の子って どの子なんだろう?
        それにしても、女の子3人なんて、 これからの時代 大変そうだな~!


YmちゃんとYi 君は 20年ぶりくらいで開かれた 先生を招いての同窓会で再会 し、
その後 数人で集まっているうちに恋が芽生えて 結婚にまで漕ぎつけた ということのようです。
以前その話を聞いた時には
 「えーーーっ あのふたりが!?」
 「そんなことってあるのね~!!」
意外だったから ほんと驚いちゃいましたが、
  〔 あの やんちゃ坊主だった Yi 君がねぇ~! 〕
とても懐かしく、とても嬉しく、他人事ではないような感情が湧いてきて
心がほっこりするのを感 じていたんです。
だから 今回送られて来た写真の中に
あの頃の <ぷっくぷく顔がそっくりの娘> を見つけた時には
思わず笑ってしまいつつ、再び 心がほっこり!

        当時 お母さん方からは <問題児> と思われていて 評判も芳しくなかったYi 君。
        だけど私は2年間も役員をやらされたお蔭で このクラスの子ども達とは いっぱい
        関わることが出来、みんなの良い面をたくさん見させてもらいました。
        だから、Yi 君にも思い入れがあり、<悪ガキ> に見える面はあっても 絶対に良い子だ
        という自信がありました。
        だからこそ、大人たちの見る目が その子を変えてしまうこともあるのではないか!?
        そんな風に思ったこともありました。 だって 偏見なく ちゃんと接すれば みんな良い子
        たちなんですから!
        今はもう みんな すっかり大人。
        どんな風に育ったのか 写真だけでも 見てみたい気はします。



今でも思うこと

本当にいろんなことがあったクラスでした。
先生が破天荒で <問題あり> なんて云われたクラスでもあり、
そのせいで役員になり手がなくて 無理矢理 2年間やらされも したけれど、
そのお蔭で クラスの子ども達全員と いっぱい関わることが出来、
ふざけて 「Sg先生!」 と呼ばれることもあったほど仲良くなれたことは
とても貴重な経験であり いい想い出にもなっているんです。

        5~6年生という ちょっと難 しくもなりつつある時期に、一緒にいろんなことを したら
        子ども達のほうから話 しかけてくれるようになり、自然と親に気遣いを見せることも
        増え、私も 他の親たちも どの子に対しても遠慮なく ものを言えるようになった。
        それは <普通の学校生活> だけでは 絶対に味わうことが出来なかったもの。
        それもこれも Fy先生が 優等生ではない担任だったお蔭です。
        先生らしからぬ(?)、ちょっとダメな面もある(?)、そんな先生だったからこそ 補佐が
        必要とされ、大変ではありながらも 先生とも 子ども達とも いっぱい話 し合う機会が
        持てた。 なにより良かったのは 先生がすべての計画行事に 家族の参加を認めた
        ことにあると思っています。 初めは批判的だった親たちが、戸惑いながらも参加する
        ことにより 子どもと共通の話題が生まれ、普段は見れない我が子の表情を見る!
        みんなに交じって 兄弟姉妹が楽しそうに行動する姿まで見ることが出来た!
        そういったことが喜びに代わり、受験を控え 子どもよりカリカリしていた親さえもが、
        最後まで参加するなど、明らかに変わっていったことで それは証明されました。


  
        5年生の4月末、最初に行った 組リーダー達と役員ふたりの御岳山視察
        この時の引率で お土産物屋の方に先生と勘違いされ、授業参加に行った時
        同行生徒たちが 「Sg先生」 と言いだ して広まり、みんなと急速に仲良くなった。
        ゴールデンウィーク中の実行時には 早朝 組ごとに計画 したコースで立川集合。
        雨が降って完全制覇には至らず、生徒たちの強い要望で 6年の秋にリベンジ
        かなり長いハイキングコースを歩いて 下山が真っ暗になってしまった時、懐中電灯を
        持っている子達が親の足元を照らしてくれたり 他の子を気遣ってくれたり …!
        もう歩けないという親や小さい子を みんなで励まし合うことも自然に出来て 大感動!
        夏休みには2年連続で 1泊旅行 にも行きました。
        6年の時には飯盒炊飯を し、子ども達が親を招待 してくれることになって ... 、
        真っ先にクラスの主的グループ(クラス1の問題児と優等生の混合グループ)から
        お呼びがかかった時には大大感激 してしまいました。
        この時選ばれたのはこの班に子どもがいないふたり! 普通なら呼ばないはずなのに
         「お世話になったから ... 」 と 自分の親を差し置いて呼んでくれたんです。
        娘が作ったカレーが食べられなかったのはとても残念でしたが、今までやってきた
        ことが認められた気がして 役員をやってよかったと心底 感激 して涙が出ました。
        そういった様子を ビデオ撮影 し続けてくださったお父さんもいらっしゃいました。
        <自分の息子の記録> から、<クラスの記録係> となり、重い機材を抱えて 毎回同行!
        その好意は とても嬉しいものでした。
               ※ 過去のブログの中に、ほんのちょっぴり 触れている箇所がありました。
                                  (興味がおありの方は こちら で ご覧ください。)
        横浜美術館横浜球場 に行き、遅くなるからと心を残 しつつ 途中帰宅 したり、  
        大人数なのに 歌の練習のため 先生のお宅 にお邪魔 したこともありました。
        行事には先生の奥さんや子ども達も必ず参加。 私もチッチを連れて行っていたので
        みんなが身内のようでした。
        今でも浮かぶ たくさんの想い出。 それをくれた素敵なクラスでした。
        そういえば ... 、将来 娘と一緒になってほしいと思ったくらい 私が気に入っていた子も
        いたな~! 挨拶も気配りもきちんとできて、出しゃばらず 優等生過ぎず、歯切れ良い
        行動が 見ていて気持ちのいい子だった Kn君は 今 どうしているのかしらね~!


先生から直接聞いた話だったのかは覚えていませんが、
同じようなことを しようとしても 思ったようにはいかなくて、
後にも先にも ここまで統一されたクラスはなかった とのことでした。

        子ども達が冷めていたり 親が協力的でなかったり …
        先生があまり表立つと問題視されることがあるとかで
        私たちの時も、もしもの時は役員が盾(?)になるなんて話が出たこともあったので
        親もそこまでのリスクを負いたくないということになるケースも多かったようです。
        だけどね~、 こんな先生 そうそういるもんじゃありませんよ! もし巡り会っていたなら、
          〔 自分達のリスクより大きなものが得られたかもしれないのに …! 〕
          〔 子ども達と心通わせるチャンスを逃すなんて 勿体ないな~! 〕
        個人的な意見ではありますが、そう思うばかりなり!
        今の時代なんてきっと、もっと無理なんでしょうね~!
        自分の子どもにしか目がいかず、損になることは許さないというような親、
        いつもビクビク している先生、親の目ばかり気にしたり、蔭で何かやらかしている子 …
        そんなのばかりじゃ 心は育たない と思うんだけれどね~!


  
ずっと付き合えると思える仲間、そして先生との繋がり。
いつまでも大事にしてほしいわね!


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

先生のほうにだってきっと思いはあるでしょう … ということで
1974(昭和49)年11月 1日発売、
                    坂上二郎 さん の  『学校の先生』
(作詞 = 山上路夫 さん/作曲 = 大川光久 さん)

「生まれた時は 誰でも同じ 裸で産声 あげるのに
                子供の時から それぞれに 違った道を 歩きだす」
   セリフ 「考えてみると、人間ていう奴は、
             誰だって多かれ少なかれ 不幸を背負って生きているようです。」
   セリフ 「より良い明日を願って一生懸命生きているもののようです。
             みんな負けるなよ、みんな負けるなよ……と、 私はそっと呟くだけです。」

   どんなクラスにも それぞれのドラマがあり、想い出も生まれたはず!
     卒業 して別々の道を歩きだしても みんながそれぞれに頑張って生きていると思うから
     先生も 信頼して見守ってくれているのでしょう。 それは親たちも同様です。
     昔の想い出、今の話。 会った時にはいっぱい話 したいよね。
                                   (※ ブログ内容や 歌詞から、その時 感じたことを書いています。)

東北地方太平洋沖地震の前日に亡くなられた 二郎さん(坂上二郎氏)
死因は脳梗塞。 76歳だったそうです。
初めて脳梗塞に襲われたのは 2003 (H.15)年、この時は軽度だったため翌年には復帰。
2010(H.22)年に再び襲われた時は 首から下が麻痺し、手足が動かせない状況となり、
2011(H.23)年3月10日、3度目の発症によって亡くなられたことになるようです。

"二郎さん" と云えば 「コント55号」。
そう思うのは どの世代までなんでしょうか!?
欽ちゃん(萩本欽一氏)の 「なんで そうなるの!」 と共に、
 「飛びます!、飛びます!」 という 手振り付きギャグが大当たり。
知っているのは どの世代まで?

歌手になりたくて鹿児島から上京 したという 二郎さん。
さまざまな職業を経て 漫才コンビ「獅子てんや・瀬戸わんや」 門下となり、
コンビを結成するも解散。
ストリップ劇場でコメディアンを している時に 俳優の阿部昇二氏の弟子となり、
幕間コントで欽ちゃんと共演 したことがあったとか。
その後、大型免許を取って転職 しようとした矢先、キャバレーの営業で再会し、
即席コンビとして 1966(S.41)年 「コント55号」 を結成。
演芸ブーム に乗ってテレビに引っ張りだことなる。
  ※ 1962(S.37)年~1970(S.45)年頃にかけての このブームを 「お笑い第一世代」 といい、
    テレビの演芸番組を中心として活躍 した 落語家、漫才師、コントグループ、コミックバンド
    などには大御所がいっぱい!   林家三平氏、桂三枝氏 (現・六代桂文枝)、立川談志、
    Wけんじ、コロムビア・トップ・ライト、てんぷくトリオ、ザ・ドリフターズなど 層々たる顔ぶれです。


欽ちゃんの無理難題アドリブツッコミに困惑しながらも切り返し、
ビートたけし氏に 「最高の受け役」 と言わしめたというお話もある 二郎さん。
歌、踊りなど 芸のスキルは非常に高かったそうで、
「コント55号」 として活動中の 1971(S.46)年頃からは 俳優としても活動。
1974(S.49)年秋から1977(S.52)年春まで続いた 「夜明けの刑事」(全111話)では
主人公の刑事役を演 じるなど、力量を発揮 していった。
人気が落ちてきていた 「コント55号」 は、 1976(S.51)年にコンビとしての活動を中断。
二郎さんは 本格的にテレビドラマ、映画、舞台などで活躍 し始め
同時進行で 念願の歌手活動も開始 して、9枚のシングルレコードと1枚のLP、
CDも3枚発売されているようです。
『学校の先生』 は 3枚目のシングル曲。
原曲では、前奏、間奏、後奏の4か所に長い台詞が入っており、
オリコン最高位は 8位。 約30万枚を売り上げたヒット曲となりました。
 「風まかせ 新・諸国漫遊記」 のテーマソングとなった 『風まかせ』 なども歌っていて、
その美声は 青木光一氏に似ているとも言われていたそうです。
ちなみに、
二郎さんが2度目の脳梗塞で動きのあるコントが演じられなくなった時、
欽ちゃんが 「コント55号」 の解散ともいえる宣言を していたそうです。



その頃の 先生のご苦労、今なら みんな わかるんじゃないかしらね!


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4 コメント

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iinaさんへ (ワ・タ・シ)
2017-07-14 03:13:06
人気の寄席が入れ替え無しなんて ... 早く行くしかないですね。
しかも目当ての噺家さんが最後に出られるとなったら
途中で帰ろうと思う方も少ないでしょうから 
限られた席の争奪戦は厳しそうですね。
長い待ち時間を覚悟した上で夜まで!?
それでも楽しい時間が多ければ幸せ。
お目当てが一番最後なら なおさら、すべてがよく思えそうな気がします。
返信する
寄席 (iina)
2017-07-11 10:15:16
> 人気どころの作品を4時間も楽しめるなんて贅沢なお話ですね。
新宿の末廣亭は、入れ替え制ではないので、12時開演から終演9時まで 一日 楽しめます。
iinaが聴きに行った日は、六月下席の目当ての柳家小三治が演る最後の日でした。そのうえ、六月末有効の招待券持参の客がかなり居たために混んだそうです。

それでなくても、末廣亭での小三治出演の席は早朝から埋まっていきます。われわれも、それを承知しているので朝一から出かけます。

返信する
iinaさんへ (ワ・タ・シ)
2017-07-02 01:21:13
昔の知リ会いなどとの再会は どんなに間が空いていても一瞬で昔に戻れるような気がします。
一般的に歳がいくほど新しい出会いは増えずらくなっていくように思うので
繋がりは大事にしていたいし、娘たちにもそうしてほしいと思っています。


「東山御物の美」は天皇皇后両陛下も以前ご覧になられて関心を示されていらしたという
特別展でしたよね。
また 三井記念美術館は 建物も美術品も素晴らしいそうですね。
寄席は3時間ですか?
いろんな演目があって楽しそう!
ゆっくりと穏やかな時間を過ごすと人間も穏やかでまろやかになれそうな気がします。
目も耳も心も新鮮なものを吸収すれば喜びます。
感動することができるって幸せなことですね。
返信する
宝物 (iina)
2017-06-30 09:58:32
> 出会いを良きものと思い、繋がりを大切にすれば、 それは 人生の宝物 になり得ます。
同窓会を大事にしたいですね。

宝物といえば、きのうにお話ししたとおりに、寄席で人間国宝さんの噺を聴いてまいりました。
なんと、開場40分前なのに長蛇の列でした。末広亭は狭い寄席ですから、後方席に陣取ることができました。
人気の噺家がたくさん出演でしたから混むのも仕方ありません。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/515e87c5eaa3d543431ecc7902734a84

もちろん、太鼓持ちの出る噺も演りましたょ。

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