こんなことも 常!
もしかしたら 17日に吹いた 春一番 のせいで
後の記事が先に飛ばされたのかも なんてね!
なんだかんだとあるのも事実だけれど
下記 にも書いているように
集中力の衰えも 問題なのかも~!
困ったもんです。
近年 ニュースを賑わすことの多い 高齢者の自動車事故。
ブレーキとアクセルを踏み間違えて建物に突っ込む、歩道などを暴走、道路を逆走、
孫を轢いてしまった なんていう 痛ましい事故も起きています。
もちろんすべての事故が 高齢者 によるもの というわけではないのだけれど
明らかに、昔よりは 頭の中の接触が悪くなった というか
感知 や 察知する能力 が 衰え、 瞬時 の 対応 も 遅れがち 。
集中力 が 衰えて 持続力 も 無くなってきている 。
運転 しない私でも そう感 じることが多くなっているので
<車> という 凶器にも成り得る物体 を装備(?)しての行動が
安易に パターン化 されたものであってはいけないな と 強い危機感を感 じています。
運動能力 や判断力の低下。 そして 認知機能の低下。
それらによる被害が 自分が不便である というだけのことなら
諦めることも 個人の自由 と云えなくもないのかもしれませんが ・・・
何かが起きれば、何かしら 誰かしら には 何らかの迷惑をかけてしまう
ことになるはずだから、しっかり考えなければいけないと実感!
歳を重ねるほどに
日常生活 の パターン化 は増えていくと思われます。
「パターン化 って何?」 って思います?
同じ仕草、いつもの行動。
過去にしてきたことの繰り返し。
長期に渡り 自然の流れのように 気にすることなく行なうようになっていること。
つまりは 習慣 ってことになるんでしょうか。
生まれた後に備わった 経験に基づくものであるのに、
繰り返すうちに すっかり身についてしまって
慣れているからと 安心しきってしまっている行動 ということです。
安心 と 安全 は 別もの
考えて ちゃんと向き合わないといけない問題なのよね!
高齢 になるほど 緊張することもなく 油断だらけ なんてことは多いのかもしれません。
その上 その行動が しっかりと根付いてしまっている パターン化 されたものであったなら、
年齢が上がるほど 変えるのは大変なんだろうなと推測するのはたやすい気が します。
安心 して出来ていることを わざわざ変えようと思う人は少ないでしょう し、
それ以前に、そういったことに気づく繊細さが衰えてしまっている可能性もあります。
変えなければと思ったとしても、若くない分 迷うことへの不安感は強くなっていそうです。
頑固 とは 自分の信念を曲げずに守ろうとする思いが強いこと。
そこに留まろうとする力が働いているわけだから 前進や改善はないに等しい。
歳をとると頑固 になっていく部分があったりするのは
今さら変えなくてもいい とか このままでいい と 安定を求めるからでしょう。
思い込みや決めつけ、偏見、先入観 ・・・ なんてのは 悪い例!
現代の若者たちのように、新しいものにすぐに飛びつく とか、
どんどん更新する などというほどに 頭が柔らかくないから
不安が先に立って そういうことには 臆病 になってしまうのかもしれません。
パターン化 を 払拭 するためには どうすればいいのかしら!?
それは 行動を見直して 慣れてしまっていることに 意識 を持っていくこと なんだろうと思います。
"いつもの動作" というものに甘えて、無意識 になって しまっているからわからなくなる。
ちょっと 油断 すると 今そこに置いたはずのものがない とか、
ガスコンロの火を消 したかどうか不安が残る などといったことが往々にして起こります。
マイナス思考だと 〔 失敗 したら どう しよう! 〕 という不安が付きまといがちにもなります。
だから まずは しっかりと 意識する 必要がある
私も その一環 として 指さし確認 は 欠かさないよう心掛けているんです。
「ここに置くからね!」 と 声に出 してから置いた物 は そこにあります。
「今 消 しました。」 「ハイ、ちゃんと閉めたからね!」
意識確認すれば 頭に残りやすいので 安心できます。
ちゃんと 意識 して 頭を使わないと ボケていってしまう!
それは ほんとに 高齢者だけが危険 ってことなんでしょうか!?
繰り返し過ぎて当たり前のようになっている 慣れすぎたこと。
当たり前のようにしていることは 誰にだってあるはずなんだから
向き合う努力は 若い人たちにも必要! 誰にも当て嵌まることなんでしょうね。
今すぐ実行できそうなことを想像 してみると
無造作に出す "利き足" (先に出すほうの足) を、違う足から踏み出してみる とか、
出来そうなことは "利き手" じゃないほう で やるよう 意識 してみる とか、
いつも手にしている 携帯 の 見たり使ったりする回数を減らすよう心掛ける とか、
朝起きてやることの 順番 を 変えてみる とか、
いつものバス停や駅 を ひとつずら してみる とか、
そこまで出来なくても 行くまでの道のりで 周囲を意識観察するようにする とか ・・・
そんな風に考えていくと、普段の行動が いかに 無意識っぽいか!
気づかされ 考えさせられます。
だけど、
車の運転 なんかを 無意識でやられたら たまったもんじゃありません。
運転席に座ったら、動き初めから止まる最後の最後まで、
集中力を絶やさず 確認を怠らないこと
ご自分のためだけでなく 他人のためにも 懇願 したい!
昔 「自分の"定位置" ありますか?」 というブログを書いたことがありました。
人には やはり 安心できること ってのはあって (ブログ記事の詳細は こちら で ご覧ください。)
気持ちが落ち着く ことも大事だと思えます。
けれど ボケ などの心配が 人ごととは思えない年代 になってくると
慣れへの不安 も強くなってきます。
"不安 "を感 じたら、"安全 "に気を遣うことを 強化 しなくては
特に ガスの消し忘れ とか アクセルとブレーキの踏み間違え などは
火事や人身事故の可能性が大きく、明らかに 周りを巻き込む大ごとになりかねない。
そんな風に 危険性が高いことであるわりには 意識を怠り
"いつもの慣れた行動" になっていることには怖さを感 じずにはいられない。
始終ニュースにもなっているのに 自分は大丈夫だと 注意を怠る 怠慢さ。
いつも大丈夫だから という 慣れっこ感 は 事故を起こした方々のほとんどが
思っていたことなのではないかと思うんですが ・・・
後悔先に立たず
悔やんでも悔やんでも もう 後の祭り でしかありません。
私も昔 お湯を沸かしたまま 何かをやり始めて ヤカンを焦がした経験があるので
常に家にいる破壊魔ちゃんたちに被害が及ばないよう 火には神経を使っています。
また、
大事故に巻き込まれた人のインタビューで
たまたまこの場所に来た、たまたまこの時間だった なんて話されていらっしゃる方も多い。
自分は気をつけていたって いつ何が起こるかわからない。
高齢者が多くなり、なんとなく生きている人も多くなり、
生活が便利になり、何でも機械がやってくれる時代。
このまま ぼんやり生きていたら ボケまで若年化 していきそうな気がして さらに怖さを感じます。
便利 であることは 危険 とも 隣り合わせ
今は そういう時代 だと思っていなければいけなんでしょうかね!?
これは余談話 になっちゃいますが、、
かつては すごく嫌われる動作だったはずの 貧乏ゆすり。
今は リラックスには とても効果的 だと云われるようになっているんだそうです。
昔と今で 考えかたが違うこと、けっこうありますよね!
その時代時代の考えかた。 面白いもんだな と思うこともありますが、
そんな中には "変わらなければいけない" ってことも含まれるんでしょうね!
周囲 に 意識を巡らせる ようにしていると、
人の何気ない話や応対などから 思わぬ 情報 が入ってきたり、アイデア が生まれたり と
気付き や 新たな発見 があって 得を した気分 が 味わえることもあります。
人より早く 察知 して 危険回避 できることもあります。
いつもの考えも 違う方向から見てみると 違って見えたリすることだってあります。
ちょっと意識 してみるだけで きっと変わることはあるのではないかと思います。
習慣 は "第二の天性" と云われることがあるそうですが、
その パターン化 を 見直す ことが ボケ予防 や 回避 にも繋がると思って、
特に 危険が伴うこと には 大いに気を配る必要がある と 自覚 したいものです。
変えるのは自分。 変えようと思わなければ 変われない。
どうせ変えるなら 発想を転換 して
変わるのも楽 しい、刺激になる と思って 気にする努力を してみる。
そんなことが大事なんでしょうね。
何気ない行動に意識を働かせる って けっこう難しいけど
老化防止 と 危険防止 のため
気づいて気を配る回数を増やしていきたいわね!
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