― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳。
記憶を鮮明にさせてくれる画像や思いが大事な宝物になっています。

好意について (Part.1)

2008-09-24 | 想い・思い・体験 話
 (注)データの関係で、今回も なぜか二部構成 に なっていました~!


前回書きました 地球環境問題。

自分の満足だけを追求しているような 獰猛な外来魚 に、

「少しは弱いものに優しくなれ 」 と言ってみても 通じないでしょうが、

人間 には <言葉> と言うものがあるんだから 判 り合える!

そんな風に思っています。

でも 時々、

「難しいこともあるんだな~ 」 と 思い知らされることも あります。

以前は、<好意でしてくれている> という 気持ち が 伝わって来たことが

いつの間 にか、 「してやっている」 という言葉が 聞かれるようになり、

<自分のしていることは良いことだ という 自信 > も あるため に

してやっている( )相手 の気持ち まで

              推し量る ことが 出来なくなってきてしまった … !?
そんな風に感じられることが 多くなった時の 寂しさは、      

夏の疲れと、秋の物悲しさが 一緒になったような 心模様!

              どんよりとした低い雲に 覆われたような気分です。

私が亀だから  イライラ してしまう のかも しれないのですが、

人にはそれぞれ 進む速度 というものがあり、

ウサギさんには難なく出来る ダッシュや 超スピードや
                        距離を走る  ということが
亀には その何倍も凄いことに当たる … ということに 気づかない。  

馴染んでくると、亀も <自分と同類> に 見えてきてしまうのでしょうか!?

だけど、哀しいことに 亀に ウサギの真似は 出来ず、

(せ)かされても 焦るばかりで うまくは いかない。

ウサギさんの得意な 走る ということで 例を 挙げるなら、

マラソンのランナーにだって

<ストライド走法> と <ピッチ走法> という ふたつの走り方が あり、

長時間走り続けるためには 自分に合ったフォームでないと

負荷がかかって いつかどこかで 無理が生じてしまうことになるんです。

人生 も、
  そんなマラソンのようなもの だと言えるのではないでしょうか。

決して自分と同じではない 人生の、 その人に合った フォーム。

<人生についてのコーチ> を してくださるなら、そんなことを理解した上で、

<個々に合った トレーニングの助言> を していただきたかったと思います。

                     

好意> とは、何なのか!?   考えさせられることが よくあります。

   好ましく思う気持ち。 思いやり。 親切心。 親しみ。 情け … 

する側 から見たら、相手に良かれと思うことをする行為。

してもらう側 から見たら、自分が嬉しいと思うことを してもらうこと。

総合すると、

( する側 ) が ( 相手 ) に <良かれと思って すること> を、

( 相手 ) が 、<嬉しいと感じること>。

もっと詳しく言うと、

( する側 ) は あくまでも <自分が したいと思ってすること> なので、

見返 りを 求めないもの> … であるはず だと思っています。

そういえば、以前関わっていたところのトップが、「見返りは 絶対求める」と 言っていましたっけ!
好意だけですることは ありえない と…。 寂しい考え方だな~と思いました。


もしも ( する側 ) が 自分で <好意> という言葉を 口にする時は

してやっている という気持ちが 強い時 なのではないでしょうか

ですから、 <好意でしている> と思った時点で その <好意> は

思い込み や 思い上がり ではないのか 

あるいは、一方的な押し付けになっていないだろうか 

ということを

もう一度 考えてみる必要があるのではないか と 思います。

自分に得はなくても、誰かが喜んでくれたら それだけで 嬉しいと思えることだってあると思うのに、
自分の得(側近も?)ばかり を 考えてしまうなんて… お金持ちになっても 心は貧しくなりそう!
表面と心の中の違う人がいるから、<目利き><見極め>が大切 だということなんでしょう!


                                          

「あなたが 無理をせず、幸せだと感じられる生き方を してください」。

「いつでも その笑顔が 曇らない道を 歩いてください」。
お会いすると、こんな風に言ってくださる方が いらっしゃいます。 

穏やかな話し方で、いろんなことを教えてくださる その方は

上に立つ身 ながら、

偉そうに 上から見下ろすような物腰が まったくない方です。

あの <大人感> は 人知れぬご苦労を なさったからなのか !?

生まれ持っての 人柄 なのか !?

いずれにしても <年の功> という問題だけではない と 思われます。

お会いする時は、「私の癒しの時間です」 と おっしゃってくださるんですが、

<懐の大きさ (寛大さ) > が 安心感となって こちらも 癒される感じ。

<器の大きさ (優れた人格) > を 感じる方 です。
     <人格>とは、性格や人柄などの人間性。
                 「態度」 「物腰」 「話し方」 などの <品格>に 繋がるもの。


<包容力 > というものも きっと、

守ってあげたいと思うものが ちゃんとある人に 備わるもの なのでしょうね。

ホイップクリームみたいに ふわ~っと包んでくれるような、

「あぁ こんな感じの人に なりたいな~!」 と 思うことも多い、学べる方。

最近では 少なくなっているタイプなのかもしれません。
          本物の生クリームはあまり 好きではないんですが、
                                 <人>の場合はなかなか良いものです。
             お酒が好きだということを考えた ら、例えとしては、本当は 甘いものより
                   <キメ 細やかな ビールの泡>
                          … とで も言った方が いいのかもしれませんけどね!


                     
「ホントに懲 りずに すぐ人を信用 してしまう性格だな~。     

それは 本来なら良いこと では あるんだろうけど、

こんな世の中なんだから もっと 人を見極める目を 養った方がいい!」。
                                   
そんな風に ちょっと厳しい意見を 言ってくださる方も いらっしゃいます。

食べ物の辛さ には 強い 私ですが、

                辛口トーク が 少々耳に痛い時も あります。

それでも、言ってくださるのは 「こうした方がいいよ」 という 意見 。

耳が痛くても 素直に聞けるのは 私を思いやる <意見> だからです。

強要 や 落ち込むような言い方は せず、

相談でも しない限り立ち入り過ぎることもなく、お世辞も 言わない。

そういえば 最近、「がっかり した」 と言われて がっかり してしまったことがありました。
他の人には出来ていたことが出来ていなかったということのようでしたが、
<場慣れ>は 場を踏まないと出来ないこと。  余裕がなくて 気づかないことなどもあります。
それを 唐突に言われてしまったので、言葉が刺さって その時はかなり 落ち込みました。
言った本人に 他意がないのは わかっていますが、言い方ひとつで 気分は違うものです。
「がっかり した」 は その人の気持ち。 それだけを伝えられても 戸惑うだけです。 
そういう時は、「あの人の あんなところが良かったから 学んだ方が良いよ」 と いうような言い方で、
<今後の課題> や <意見> として言ってほしかったな と思う 出来事でした。


「よ~く考えなさいよ。 

  あなたがよく考えた上で 決断 したことなら 信用するし、応援もするよ」。

私への意見と共に 自分はこうすると言ってくれるのは ありがたいです。

ひとりの人間として 信用 してもらえる のも 嬉しいことです。
          のど越し さっぱり!
             今 流行りの <切れ味の良い ビール> … といった 感じで しょうか!?


                     



           (注)第一部 終了。  第二部 へと 続きます。

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