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― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳。
記憶を鮮明にさせてくれる画像や思いが大事な宝物になっています。

あっけない別れ

2018-03-05 | 孫・家族 に関するお話

   父が急変 天国へ

       癌の発症、転移、数度の半年宣告 ・・・
       昨年までは 良い時と悪い時の差はあるものの 食欲が衰えることはなく、治ることは
       なくても 高齢者は進行が遅いから まだ大丈夫なのではないか、不安を抱えつつも
       みんながそんな風に思っていました。 しかし 昨年末頃からボケの進行が急加速。
       歩くのも薬を飲むのも大変になり、自らもボケ進行中である母の負担も大きくなって
       いきました。 そこで 1月末あたりから週 に一度の訪問診療と 数度の訪問看護 に
       切り替え。 それでも 父と四六時中一緒にいるのは大変。 疲れきった様子が心配
       になって、父を一時入院させて母を少し休ませることにしたところでした。
       最近 食欲も落ちてきていた父は、亡くなる直前 看護師さんにヨーグルトを食べさせ
       てもらい、お話(?)を している最中に意識がなくなった と ・・・
       病院からは そう伝えられました。


   病名は早くから知らされていたけれど、昨年には命宣告もされてしまった父は 動けるうち
   にと 事前に出向き 自分で葬儀社を決めていました。 そのため 病院から葬儀社に移る
   流れは 戸惑う家族が置き去りにされる感覚に陥るほど順調なものでした。


       葬儀社では 父が頼んだ 家族葬 での契約に従って話が進んでいきました。
       とても親切丁寧ではあるとは思いましたが あちらは やはり商売! プランの中から
       はみ出すようなものが多く、選ぶものも多すぎて時間もかかり、頭が回らず悲しんで
       いる暇もない身内は困惑するばかり! 良好 (高額)なものを選ばないと 故人への
       礼を欠くのではないかという錯覚に陥りながらも、物理的なものなどではなく、気持ち
       の問題であることや、ボケ進行中の母の今後の問題の大きさも配慮 して、父の威厳
       を保ちつつ、寂 しいものにはならないよう 考えて判断しました。


   それにしても、 葬儀社、お寺、斎場。
   どこが優先されて決まるのか、告別式は一週間後となり、昔とはずいぶん違うことにも
   戸惑いを感 じました。


       まず お通夜の最短が 4日後だと言われて驚きました。 しかも、その日は友引で
       あったため迷いつつもやめにし、次に出された日程をお寺で確認 したら .... 6日
       後になってしまいました。  それに伴い エンバーミング という処置を勧められ、
       その額に またまた驚き!  しかし ドライアイスでの長期保存には限度があるそう
       で、入れ歯を はめなくても口元を自然に整えるなど 眠っているかのように仕上げ
       てくれるというので、薬品を使うことへの抵抗感 はありながらも せめて最後まで
       変わらぬ姿でお別れが出来ることを願って
依頼。 当日までの面会時においても
       さすがに大きな変化は見られず、頼んでよかったなと思える結果となりました。


   お通夜、告別式。
   葬儀に慣れている人なんて そうそういるとは思えませんが、私も身内としての出席は
   祖父以来のこと。 その頃はまだ若かったので責任感があるわけでもなく、覚えている
   こともないに等 しく、宗派によってお焼香も違う ことも 〔 そうだったっけ!? 〕 という
   感 じ! 今回 葬儀社の方から事前に正しい作法 を教えていただく時間があったので
   みんな助かったのではないかと思えました。


       お通夜の当日は 妹や母と早めに合流。  祭壇や脇に飾られたお花たちも 派手
       すぎず地味過ぎず、ちょうど良い具合に仕上がっていて 少しホッとしました。
       祖父の時からは時が流れ、今回いらしてくださったお坊さんも代が変わって 若く
       とても話しやすい方だったため わからないことも聞きやすくて助かり、四十九日
       の法要の日程の予約までを 滞りなく決めることが出来ました。


   今回 回らない頭で感 じたのは ・・・
   病院、葬儀社、斎場。  どこも 慣れている感 が強いなー ということ!
   聞いてもわからないでは問題外ですが、身内は ショックも大きいから 迅速に動ける
   わけじゃないのに やたらテキパキこなされてしまうと、頼りになるという感覚とは違う
   ものが生まれてきて、もう少し 寄り添う 余韻 みたいなものがあってほしいなー!
   ということでした。

       病院から葬儀社に移る手際、葬儀社での手順決め、斎場での別れのタイミング。
       あまりにも淡々と していると 悲 しいのに 気持ちが引いていく 気が してくるのが
       残念に思えました。 こんな時 事務的 だと感 じてしまうのは 非常に寂 しいもの。
       故人の冥福を祈り 最後の別れをする場 にしては 冷たささえ感じてしまって 違う
       涙も流れてきます。 中でも サッサと炉に入れ、細かい骨までは拾い集めない
       火葬場の職員さんにガッカリ! 身内にとっては大事な大事な体の一部なのに、
       仕草やマイク使いなどパフォーマンス的作業のほうが目立っているように見えて
       「こんな時は 〔 残ったものは どうせ掃いて捨てるんでしょ!? 〕 と思わせない。
       それくらいの配慮ができないものなのかしら!?」  不信感が芽生えました。
       その瞬間 〔 あれ!? この光景 前にも見たし 同じことを感じたことがある! 〕
       以前の記憶が蘇える デジャブ!  〔 そういえば、親戚のおばさんが亡くなられた
       時も この人だったんだ! 〕  納得と違和感で 2倍寂 しくなりました。
       ラビやマーブルの時に 自分で骨粉まですべて集めて入れさせてもらった あの時
       のこだわった思いを、出来ることなら今もしたいと思いながら、この粗い作業を変
       だとも思わない慣れの怖さを感 じました。


   かけがえのない家族を失った遺族としての思いはいろいろあるけれど
   今回お世話になった方々は多く、感謝 しなければいけないとの思いもあります。
   みなさまのお蔭で父を天国に送ることが出来ましたこと、本当に有難うございました。

悲 しいのに慌ただしいこと続きの日々。
まだ 四十九日 が残っていることもありますが、
今でも 気が抜けたようにボーっとしてしまうことが多く、
やる気が起きない。
投稿 しようとしていた記事も いくつかあったのに、
パソコンに手が伸びることもなくなり、
このままではずっと間が空きそうな気配が漂っていました。
けれども 気持ちの半分に満たないとしても 少しは今の思いを記録 しておこう。
そう思えてきて、時間はかかりましたが投稿するに至りました。

  
悲しいのに それに専念できない!
とても考えさせられた数日間でした。
気が抜けたような感覚はまだしばらく続きそうですが
空元気からでも 少しずつ戻していかんとネ!


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