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― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳。
記憶を鮮明にさせてくれる画像や思いが大事な宝物になっています。

津波が奪ったもの、残 したもの   ― 生きてりゃいいさ ―

2011-04-15 | 自然・環境 に関するお話
 
  大変遅 くなってしまって 今さら!? のようですが、

地震による被害に遭われて しまわれた皆さまに
心より お見舞い申し上げます。

今回の地震、そしてパソコンが壊れてしまった影響で 私も 自分の中では 大打撃を受けてしまいました。
書きたいと思っていたことが書けなくなってしまった苦痛に加えて 細かい情報が入ってこない不安感!
被災された方々のご苦労やご心労を思えば 贅沢かな とも思えることではありますが、
テレビでは知り得ない情報が けっこうあるのだということを 改めて知ることとなりました。

前回の記載からも 地震からも、もうすでに 1ヶ月以上が経過 してしまいましたが、
東京ディズニーランド再開と同日の今日、やっと ……… という想い の 投稿 となりました。
久しぶりの送稿が 良いお話であったなら … どんなにか 良かったことでしょう!!!


3月11日 14時46分 宮城県冲 で マグニチュード 9 という
世界最大級地震 が 起きてしまいました。

                               そ して、
 想像を絶する 大津波 が 押 し寄せて
一瞬にして 村や町を飲み込み、火災を引き起こし、 甚大な被害を出 してしまいました。


                      ところが、 被害は これに留まらず …
福島第一原子力発電所事故 が発生 し、
これが大問題へと発展 して、未だに 収束には至って いません


東北地方太平洋沖地震 (地震名 と して気象庁が正式命名)
日本に とてつもない試練を与えることとなってしまいました。
   災害名 としては、政府により 「東日本大震災」 と命名 されました。)


地震後、テレビはすべて 地震関連のニュースとなり、その惨状は 驚きの連続でした。
   地震が起きてから 第1波が到達するまでの時間 が わずか数分ほどだったという地域 !
   波の高さ が 37メートル近くも あったであろうと思われる地域 !(岩手県宮古市の田老地区)
   波の到達距離 が 海岸から10キロ近くにも及んだ地域 !(仙台市)

寄せ波、引き波、 その 速度破壊力 は 私の想像範囲を はるかに越えていて、
大きな船が何隻も 高い堤防を乗り越えて町に流れ込み、大破!
家は 呆気なく壊されて 軽々と流され行き、車なんて まるで おもちゃのようでした!
あれでは 人が立ち向かえるはずも ありません!

大切な 多くの<>が 奪われ、<生活>が 奪われて、
やっと助かった方々も <心に深い傷>を負って しまわれました。


津波による被害のあまりの激 しさを見れば、復興の難 しさは想像がつきました。
でも 原発事故は 発表当初より 日を追うごとに 深刻さを増 してゆき、
毎日毎日 思うように修復が進まないというニュースが流れて、
ついには 放射能漏れ による 風評被害 という問題にまで発展!
被災地の方々に 更なる打撃を与えることになってしまいました。

現場で懸命に修復作業を してくださっている方々のことを思うと、胸が痛みます!
決死のお仕事が、<自ら志願 したものではない!> などと聞いてしまうと なおさら 胸が詰まります。
心から 感謝すると共に、一刻も早い作業完了を 祈るばかりです。

それでも、世界で一番安全だといわれていた日本の原発が 今 一番危険な状態にあり、
いざという時に 思うように行かないことばかりが続くなんて、
<予期せぬ出来事が幾重にも重なった運の悪い状況> では済ませられないものがあります。
こんな危機が訪れないよう、
何かが起きたら大変なことになる と思われるものについては、
   想定外なことも 起こりうる のだ! ということを予測 し、
   想定外なんて あってはいけない のだ! と いましめ、
もっともっと考えておかなければいけなかった のではないでしょうか!?
ましてや 地震国 である 日本 です!
まして まして、事故など絶対に起きてはいけない 原発 です!
 ※ <想定外>なんて言葉を使ってはいけないのではないかと思える事柄は、後半に記載 しています。

今回のことでは
ライフライン(電気・ガス・水道・通信・輸送など) の大切さ有難さ を 再認識できたといえます。
特に 電気 は 1都 8県 (東京/千葉/埼玉/神奈川/栃木/群馬/茨城/静岡/山梨) にも及ぶ
計画停電 の実施で、節電 に協力 しようという人が増え、普段の生活を見直すよい機会にもなりました。
けれども 放射能など、人体に悪影響を及ぼすものについては、
人の命を左右する、ある意味 <命を預かっている> ともいえるような大きな問題になります。
   一度に多くの人の命に関わることの 安全性 !
それを 今までは大丈夫だったから … と、マンネリ的に考え過ぎてしまっていたのではないか!?
いずれにしても、東京電力 の責任は大き過ぎました!

起きてしまったことを 元に戻すことは出来ません!
それなら せめて 一刻も早い 対応対策 を …!
誰もが そう 考えます。
ところが、
補償問題、生活費の問題 … 仮払い金額支払い時期 についての回答が、
1ヶ月経った今、「これから検討するところです!」 って 有り得ますか!?
当座の資金は 今すぐにも 必要なものですよ!  東電の誠意、早く見せてください!
   今日、金額の提示だけは されたようです!


> で考えて 迅速に行動 しているのは 一般企業 や 市民 ばかり !?
そう思いたくなってしまうほどに、政府の対応も 遅い!
国と東電の間で せめぎ合い も 起きているようです!
   自衛隊など、実際に動いて 町の復興に努めてくださっている多くの方々がいらっしゃいます。
   その間に、政府は 何を しなければいけないのでしょうか!?
   被災された方々が何を待っているのか、何を必要としているのか!?
   1ヶ月も経てば もう被災当時とは異なってきていることも多いと わかるはずです。
     長引いて疲れが出ているであろう方々に 仮設住宅 を …
     補償金? 生活費? 何でもいいから、生活を取り戻すためのお金 を …
   阪神・淡路大震災で得た教訓を生かし、今求められていること、その時に見合った対処法を、
   早急に行ってあげなくてはいけないのではないのか!? 公共のお仕事には それなりの大変さが
   あるのでしょうが、被災された方々のことを第一に考えて動かなければ、 一刻も早く助けたいと思った
   多くの方々の善意も、いつまでも ただ山積みにされ 放置されるだけになってしまいます!


少 しでも協力 し努力 して みんなが繋がろうと している時に、
国の<トップ階級>間では こんな非常時でさえ 協力 し合えない動きがあります!
早急な決断が出来ない! 答弁が分かり難い! 東電共々、出てくる情報 に 釈然としないものを感 じる!
これでは あまりに情けない!

原発から 20キロ圏内の避難指示に続いて、20~30キロ圏内の 屋内退避自主避難 !?
なんだか曖昧で 被災された方々も迷われることでしょう。
さらに今回、30キロ以上離れた一部地域 にも 1ヶ月以内の 計画的避難指示 が出されたようです!
   <計画的> の 計画性が 見えてこない 不明瞭さ!
   早急にやってほしいことは進まず、唐突に告げられる 計画的 という名の 無計画!?
   国民が家族で 国を導く立場にいるのがなら、が どうしたらいいのかと不安や不信を抱くことの
   ないよう、もっと しっかりとした <ケア付きの計画> を提示すべきではないのでしょうか!?


食品に含まれる放射性物質の 暫定基準値 !?
全部ひとまとめにしちゃったような 十把一絡げ的 <出荷制限> や <摂取制限>!
その曖昧さに、生産者も消費者も 振り回されています!
   ある地域の野菜の一部から 国の暫定基準値を超える放射性物質が検出されて以来、
   同県や出荷停止対象外の品目にまで風評被害が広がって、被災地域の商品の売れ行き急激現象が
   起きてしまいました。 安全と認められた農家への支援は 今は少 しずつ広がって来ているようですが、
   さらなる安全を考えて買わない方達のためにも、明確な表示を していただいた上で、
   <遠回りにならない産地との繋がりである こういった支援の輪>に、消費者が両手を広げてゆけたら
   いいなと思います。

買うことでお役に立てるなら 嬉 しいことです!


<地球上に人類が誕生してから どれくらい経つのか> という説も いくつかあるようですが、
知恵を付け 強くもなって生き残ってきたはずの人間が
今は どんどん柔(やわ)になってきているのを 感 じます。
特に 現代日本の若者たち軟弱 だといわれている!
 今こそ <強くならなければいけない時> なのではないか!?
 草食系の優 しさ肉食系の強さ は、
 本来 人間が 両方 持っていなければいけないものなのではないか!?
苦境に立てばスイッチが入って たくましさが目覚める!
現に、若者たちも 今 復興に向けて 一生懸命動いてくれています。 嬉 しいことです!

これは 軟弱 になりつつある日本人たくましく生まれ変わるため試練!?
そんな想いが 頭を過ぎります。
 若いみなさん、どうか お年寄り達の手を取って、 「負けるもんか!」 と 頑張ってください!
    涙を堪え、先を見つめて、 もうすでに歩き出 してた方々も いらっしゃいます!
          「凄いな~!」  「人間は 弱いけど 強いんだな~!」
    だけど …、 どんなに強い人間にだって あんがい弱いところはあるものです。
          だから、繋がっていなきゃいけないんだよね!  
    そのための 努力 と 協力!  自分の出来る範囲で ずっと持続させていきたいものですね!
    だって、負けずに頑張っていらっしゃる方の顔は素敵です! こちらが元気をもらえてしまうほどに …!


災害に対する 支援の手 は 世界各国から集まり、その暖かさには本当に 感謝 しかありません。
しかし その反面、世界の注目は原発にも集まり、
伝達の不正確さによって 酷い誤解が生 じている国まで出てきて、
株価は下がり、<日本のもの> というだけで、まったく関係ないものにまで被害が及んで、
日本そのもの敬遠 されてきているという危機的な状況に陥り始めているようです。
それは同時に、被災企業、日本製品が抜けた穴を狙う諸外国企業にとっては 格好で好都合なことです。
企業復旧 のための資金援助は 早急さが要求されます。
<日本全体に襲いかかる大津波> に 迅速な対処を …!

こんな時には 間違った伝えかたをされないよう、当事国である 日本政府が
世界に向けて しっかりと 正確な情報を発信 しなくてはいけない はずです。
 <支援のお礼> や <協力のお願い> は 心を込めて …
 <現在の状況> の伝達は しっかりと 誤解なく伝わるように …
よく <ピンチ と チャンス は 紙一重!> だと いわれれますが
まさに今が、<頼りない というイメージの強い日本> を 一掃するチャンス にも なり得る時!
もう 被災地の方たちの死活問題だけでは 済まない状況になっているんですから、
若者達のように、迅速且つ積極的に動くことが1番でしょう!

これは 頼りない日本政府たくましく生まれ変わらせるため試練!?
誰もが納得できる きちんとした考えや言葉を持ち、
自他から 指導力、統率力を認められる国になれるよう、
ピンチ を チャンス に 変えなくては …!
     自分の主張だけ通そうとする!  人の話を聞かない!  野次る!
     いざ政権を握った与党は しっかり統率できず、野党は協力できない!
     それでは いい国なんて出来るはずがありません!
     ひとつの良い作品を作り出すには 協力 しあうこと!  学校で習ったことを思い出 しましょうよ!



あらゆる資料から推測すれば、
大地震、そして 大津波が来るかも しれないことは
まったく予想できなかった! とは言えないのではないかと思えます。
現に、1896(明治29)年 と 1933(昭和 8)年 に 大津波は観測されていました。
   特に 明治29年に三陸海岸を襲った津波は、岩手県大船渡市で38メートルを記録 し、
   2万人もの死者を出 したそうです。 (今回は23メートル)
   それから 37年後の昭和 8年には、岩手県宮古市の田老地区で 29メートルを観測!
   だけど その後 78年間も大丈夫だったから ………
        まったく経験のない世代!  すっかり忘れてしまった年代!
   時代の波津波 の記憶 を 薄らげで しまったというのは なんとも皮肉なことです。

波が陸地に到着した時の高さは 初めから38メートルもあったわけではなく、
地形 や 繰り返す波によっても変わっていたようです。
それでも、世界有数の規模を誇る三陸海岸の防波堤でさえ、
10メートル程度の高さでは まったく太刀打ち出来なかった!
そうかといって その倍近い高さの波に対応できる防波堤なんて 作れるんでしょうか!?
かつて この地で 地震を経験 した方々が
「ここより下に家を建てるな!」 と たくさんの 石碑 を残 してくださっていたようです。
被害を受けた当初は みんなが関心を寄せ、警戒も していたのでしょうけれど、
何も起こらない時間の経過と共に 関心も 記憶も 薄れゆき、
やがて 「自分が生きている間には起きないだろう!」 などと 楽観視 するようになり、
「昔 そんなことが起きたら しい!」 などという 知識 で しかなくなって
いつしか <危うさ> を忘れ、<便利さ> を優先させ、
だんだんと海の近くに家を建てるようになっていってしまった といわれています。
   確かに この1ヶ月の間でさえ 緊急メールや速報、地震に、毎回 ドキッと しながらも
   「きっと大丈夫だろう!」 なんて 根拠のない慣れ が出てきてしまっている時があるんですから
   長い年月 何も起きなければ 慢心 してしまう気持ちも わからないではない!
   しかし、ちょっとの揺れでも気づいたり、いつも揺れているように感 じてしまったり …
   <いつまでも抜けない不安感> が嫌だなと思う半面で、矛盾するような <慣れ> が出てくる状況!
   その怖さを、忘れてはいけないのでしょう!

今回のことが教訓となり、今後の復興の際には 高い建物が多くなるのだろうと思いますが、
たとえ 高い建物を建てたとしても、4階より下の階は 浸水したり 壊れたりしてしまう確立が高く、
またしても 想定外のことが起こりうる可能性も否定できない!
災害を二度と繰り返さない街づくり> を 考えていかなければいけないのではないでしょうか!?
   先住者からの警告を守って高台に家を建て、被害を免れた地区も あると聞いています。
   緊急時には 遠くへ逃げるより 高い建物 や 少 しでも高い場所に上ること!
   たとえ 家族が気になっても それぞれが一刻も早く逃げること!
   けっきょくは それが被害を最も少なくすることだと言われても いるそうです。
   頭ではわかっているつもりでも、いざという時に そう出来るのかどうか!? … わかりません!




多くの国の方々から 「日本人は素晴ら しい!」 とお褒めの言葉を いただいていたのに、
人の弱みに付け込んで 空き巣窃盗震災寄付の詐欺 など
人と して有るまじき、最低の人間 が出てきている ということに 憤りを覚えます。
どうか 人の心復興できますように …!





まだまだ 毎日のように 大き目の地震が 何度も起きていて、
まったく安心することが出来ないまま 月日だけが過ぎて行っています。
そんな中、桜が咲いて 「春は巡ってくるよ!」 と 教えてくれている!


被災された方々 には
簡単に 「頑張れ!」 なんて 言えない気が しています。
どうか
生かされた命
大切に してください!


だけど、
復興に向けて動き出 した方々 には
どうか
頑張ってください!
言いたくなります!



                    生きたかったのに 失われてしまった 命が あるんです。
               生き残った命は、その分も受け継いで 一生懸命 生きてあげなきゃいけないという
                                使命 を 背負ったことに なるのよね!


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

生きていたことに感謝 … ということで
1974(昭和49)年 4月発売、
       加藤登紀子 さん の  『生きてりゃいいさ』
                     (作詞/作曲 = 河島英五 さん)

  「生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ そうさ 生きてりゃいいさ
              喜びも悲 しみも 立ちどまりは しない めぐりめぐって行くのさ」
    「手の掌を合わせよう ほら温りが 君の胸に届くだろう」
「きみにありがとう とてもありがとう  もう会えない あの人にありがとう
              まだ見ぬ人に ありがとう  今日まで私(僕)を 支えた情熱にありがとう」

   まずは 生かされた命が 元気になることが 大切です!
     どんな時でも 感謝の気持ちを忘れず、人との触れ合いを大切に …    
                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
身内を亡くされた方!
ご遺体さえ見つからず、わずかな希望を胸に、今も探し続けていらっしゃる方!
大きな余震がいまだに続く中で 不自由な生活を送っていらっしゃる方!
親類を頼るなど、どこか 安全と思われる地方に移られた方!
まだまだ いろんな方がいらっしゃるのだろうと思います。

気持ちに余裕が出るほどには至っていないかも しれませんが、
もうすでに動き出 した方々も いらっしゃいます。

どんなに嘆いても、もう 震災前には戻れない!
生きていたら その場に留まるか 歩き出す しかない!
いつかは歩き出さなければならないなら …
気持ちの切り替えが必要なんだろうな!
そんな風に考えていた時 頭に浮かんだのが この歌でした!

この曲は 河島英五さんが加藤登紀子さんに書き下ろした楽曲で、
1974(昭和49)年に加藤さんがシングルリリースし、1980(昭和55)年には英五さん自身もシングル発売。
以後、それぞれのスタンダード・ナンバーになっています。

1995(平成7)年 1月17日(火)(16年前) に発生 した <阪神・淡路大震災>!
そこから立ち上がった人々を題材にした 『ありがとう』 という映画の
イメージソング&エンディング曲にもなっていたようですが、
勇気づけられ、前向きになれる歌だと思うので 納得!
(加藤登紀子さん:イメージソング 河島英五さん:エンディング曲)

私が初めに聴いて覚えたのは 加藤さんのほうでしたが、のちに英五さんの歌を聴き、
まったく違う味があることを知りました。

  ♪ 「きみが悲 しみに 心を閉ざ したとき 思い出 してほしい歌がある」
今 この時に聴き返すと 身につまされて 最後には涙が溢れてきてしまいます。
  頑張らなくちゃね~!
どうか 聞いて歌って 前に進まれますように …!
そして私達も 悲 しみや辛さに出会った時、
生きて行くことの手引きとして 心に残 しておきたい歌になればいいなと思います。

        まずは歩き出すこと、出せるようにすること!そして 私達も、ずっと手を差し伸べていること!





イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
   「イラスト工房」 「イラスト市場」


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