8月30日、
故郷に帰っていた歌仲間のU女児が 糖尿病が原因で 目の手術を しました。
自覚症状に乏しい <糖尿病網膜症> という病気のようでした。
状況は先生の予想以上に悪く、手術は3時間 にも及んでしまったそうで、
良くなるためには そこから さらに 3週間近く、
うつ伏状態 (下向き) で過ごさなければならないと聞いて、
その怖さと大変さを 初めて知ることになりました!
※ 糖尿病患者の血液は 糖分を多く含んで粘性が高いため、毛細血管をつまらせたり 血管壁に負担を
かけたりしやすく、多くの毛細血管が分布 している網膜に酸素や栄養が不足すると、眼底出血や
硝子体出血などの症状を示す <網膜症> になって しまいやすいようです。
また、一般的に糖尿病を発病 して約10年で、およそ半分の患者が 軽度を含めた 網膜症を合併 して
いると言われ、 毎年3000人もの人が失明 し、現在 成人の失明原因の第1位になっているそうです!
彼女の場合は たぶん 重度の糖尿病性網膜症 だったものと思われます。
<うつ伏せ姿勢> を とるのは、
硝子体手術の時に 網膜穿孔や網膜剥離 処置のため 眼球の中に一緒に入れられた ガスやオイル で
網膜部分が くっつくまで押さえつけておく必要がある ためだそうです。
ちょっとやってみたらわかると思いますが、
起きている時も 寝ている時も …、24時間 うつぶせを保つ というのは かなり過酷です!
近ければ お見舞いにも行かれるのに …、 さすがに 愛媛 は 遠すぎる~!
彼女も 寂 しさを感 じていたのでしょう。
入院前から 歌仲間など何人かに メールを送っていたようで、
それを知った面々は 個々にお見舞いメールを送信!
全員が … とはいいがたいけれど たぶん1~2名は
寂 しさを紛らわせられるよう 今も応援を し続けているものと思います。
だけど、
入院 していると どうしても 普段より人恋 しくなるものです。
昔 私も、忙 しすぎて 肝臓をやられ、数ヶ月入院 したことがありました。
持病の胃での通院が長かったため、どんなに症状を話 しても 内診と投薬を繰り返すだけで血液検査を
してもらえず、 かなり悪化させてしまったことによるものでしたが、病院に通っているからといって安心は
出来ないの!?と 信頼が揺らぎ、先入観の恐ろしさを知った 本当に大きな出来事で した。
入院当初の私は GOT,GPTの値が異常に高く、
「これでよく働いていたね!」 「本当に危険でしたよ!」 と驚かれたほどでしたが、
余裕なく真面目すぎる入社1年半目!
本当は 起きているのも 口を利くのも辛い状態だったながら、
通院 しているという安心感と信頼心があったので 無理やり頑張っていました。
それがある日 上司と先生が血相を変えて飛んで来て
急に 「今すぐ入院 しろ!」 と言われて 呆然、愕然、パニック状態!
それを 同室となった年配の5人の方々が 優 しくフォロー してくださり …
長期入院になってしまって 家族が来られない日も
同期、上司、会社のみなさん、友人、幼なじみ etc
毎日誰かしらがお見舞いに来てくださり …
病院内で親しくさせていただく方ができ …
そんなおかげで 泣きたいほど寂 しいと感 じることも少なくて済んで、
本当にありがたかったな~と しみじみ感 じることができた入院生活となりました。
・食事は病院内では最上級!?
肝臓病は 食欲がなくなり 栄養を吸収することも出来なくなるので 点滴を しながら 多すぎると思う
ほどの摂取 も していかなければならず、その量は同室の糖尿病のおばあちゃんの2~3倍!
私にとって 食べることは拷問のようでしたが、食べたいのを我慢 している方に分けてあげるという
わけにもいかず、悪いので隠すように して食べて 完食できずに残 していました。
・痒いところに手が届く!
なぜか私に看護師研修生が付いて、病院にいて不便に思う 洗髪、身体を拭くことなど いろいろ
やっていただいて しまって、他の方に申し訳ないと思うくらいラッキーで した。
・友人の心遣いと 毎日のお見舞いが 力!
「すっぴんと 寝巻き姿を 見れたんだから、感謝募金 しましょう!」 という内容のコメントが付いた
貯金箱が場を和ませ、来てくださった方々との円滑な話題材料になり、お見舞いが力になりました。
・同室のおばさま達の飾らない優 しさ。
下町のおばちゃん、上品なおばあちゃん …。 当初 心細く、具合も良くなかった私を力づけ、
可愛がってくださり、途中からは お見舞いに来てくださった方々の輪に加わることもあったりして、
「若い人と一緒だと明るくなって良いわね~!」 と 年齢を超えて仲良くなれました。
先生も、看護婦さんも、周りの病室の方々も みんな良い方で、幸運な病院生活だったと思います。
それでも、 外の世界から離れていると 人恋 しさを募らせてしまう時は あるものです。
もしあの時 院内生活が暗く、そして 誰も来てくれなかったら …
その寂 しさは 何倍になっていたことでしょう!?
そんな思いもあって、
数年前 友人が入院 した時には 毎週 お見舞いに通った時期がありました。
当時は 毎日が 朝から晩まで忙しく、
身体はかなりくたびれていましたが、
「友達がいない!」 という話を聞いて しまったので
何かしてあげなくちゃ という 母性本能のようなものが働いて
よくまあ 遠い距離を毎週毎週 何ヶ月も通ったな~と 自分のことながら感心 しています。
必要なもの、ほしいであろうもの、食べ物、お花 …
毎回 買い物を してから行っていたので 1日がかり!
喜びと期待に溢れた顔を見ると 「きついから来週はお休みするね!」 とは とても言えず、
病人に大儀な様子も見せられず、最後まで <元気印> と して通い続けることになりました。
忙 しかった分 少 しはあった収入も 体力さえも、
悲 しいほどに無くなって しまった今となっては とても無理ですが、
自分が昔 入院 して あんなに恵まれた状態にあっても、
<自分だけが取り残されたような感覚> に 陥ることがあったので
そういう寂 しさは少ないほうがいいだろうと、そんな思いが強かったのを覚えています。
気力というエネルギーは <自分にしか出来ない> とか <してあげたい>、<してあげなきゃ!>
などという思いから生まれます。 無理を しても してあげたいと思うのは、古い日本人が持っている
義理人情 のようなものなのかも しれませんが、 今 出来ないな~と思うのは、思い当たるものがない
からなのか、状況が許さないだけなのか …、 歳のせい なのか!?!
しかし 実際 ここ数年の差は大きい!
もし 今 自分が入院 したら …
果たして 誰か お見舞いに来てくれるのでしょうか!?
何度 来てもらえるでしょうか!?
自分だったら …、何度行けるのでしょうか!?
普段から 会えばよくお話をする … 例えば 歌仲間であったと しても、
その場所だけの繋がりなら 行かない人のほうが多いのかも しれません。
もう少し 親 しい仲だったとしても せいぜい1~2度がいいところではないで しょうか!?
それ以上のお付き合いは、なかなか出来るものではない気が します。
家族がいれば 来てくれる!
確かに 他人と身内とでは違うでしょう。
それでも 毎日というのは無理なこともあります。
入院時の状態によっても違ってくることがあるのでしょうし、
子供じゃないんだから 自分から 「来てほしい!」 なんて 言えないでしょう。
入院 した時や ひとりでいて具合が悪くなった時の不安は 案外 遠いことではないかも しれない!
現代は 若くても どんなことが起こるかわからない状況が潜んでいる 危険度の高い時代 だから
なおさら 人ごとではないような気になります。
独り暮らしのお年寄りが 人知れず亡くなっている!
そんなニュースが流れる度に 不安になる!
そんなことを聞く度に 自分に置きかえる!
そういった心配から 熟年の婚活が増えているのかも しれません。
歳を重ねるごとに、やっぱり 誰かが傍らにいてくれることが安心に繋がるという思いが強くなるので
しょうね。 何かあった時には せめて、誰かには看取(みと)ってほしいですものね!
人には言わないけれど 心臓が悪い 別の友人も、
男の独り暮らしだから 不安は抱えているものと思われます。
実際、急に検査入院 して 何人かでお見舞いに行ったことがありましたが、
これが長引いた場合、何度も行ってあげる人が何人いるんだろうかと
ちょっと考えさせられてしまったことがありました。
私より数段 親 しくしているはずの方たちの対応を見ていたら、果たして どうなんだろうかと …!?
案外多いと思われる そんな状況に、どれだけのことが出来るのかは
表面的に その時 楽 しんでいるだけのことなのか、内面まで理解 し合おうとしているかなど
向き合い方や人柄などを含めた普段の対応姿勢。
お付き合いの程度の問題 になってしまうのかも しれませんが、
家族でも 友人でも、
その ありがたさ や 寂 しさ に 気づく ことになるのは
何かが起こった時 なのかも しれませんね!
4月に父が怪我を した時も 家族が入れ替わって病院に付き添い、
母ひとりでは大変なサポートを し合いました。
痛みなどに弱いのは たぶん女性より男性のほうなんじゃないかな~!? とは いつも思うことです。
<強そうに見える人ほど弱い>! 昔から、そんな方たちの姿を ずいぶん目にしたもので した。
家族がいてくれてよかったと思ったのは 当の父だけでなく、母、妹、孫である娘たち!
付き添いも ひとりでは不安なことがあったりするので お互いに助かりました。
支えがあること! 支えになれること!
大ごとにはならない程度で 改めて
普段はあまり感 じない 絆のありがたさ を 感 じることが出来たのも いいことで した。
今回 入院 したU女子にも 妹さんがいらっしゃいます。
身体が弱いと聞いているので ちょっと心配ですが、
側にいてくれるだけでも心強い身内。
そんな身内に守られながら、早く元気になってくれることを期待 して、 メールで応援!
歌仲間からの激励も 少 しは役に立ってくれれば嬉 しいと思います。
本当は 9月には こちらに来られる予定だったのに、どうやら暮れあたりになってしまいそうです!
皆も期待、本人も楽 しみに していたのに残念ですが、糖尿病は怖い病気ですから 悪いところは治 して
心置きなく来てほしい! あとは回復を待つ少 しの我慢と、一生気をつけて付き合うことですね。
大きな山をひとつクリアした ら 大好きな歌が待っているわよ!
私たちも 美声が聴ける日を 楽 しみに しているわ!
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
暑い夏が続いたから 深まりゆくのが嬉 しい秋!
それよりさらに深まって嬉 しいのは? … ということで
2004(平成16)年11月26日発売、
加藤登紀子さん の 『絆 ki・zu・na 』
(作詞 = 加藤登紀子 さん/作曲 = 村上てつや さん、妹尾武 さん)
「命尽きる瞬間に 一筋の光 受けて 生きた時間の全てを 消えゆく心に刻む」
「あふれる愛に抱かれても たどりつけない 手にした夢の重さだけ 人は愛を刻む」
「この胸に残された 心の絆 消えない」
「ひとりで生きていけるさ!」 と思っても、何かの折には 信頼できる人がいてくれたら どんなに
心強いと感 じることでしょう。 命が尽きる瞬間でなく、もう少し早く そんなことに気づけたら
何かが変わるかも しれません。 失くしてからでは間に合わないこともあります。 あとで後悔
しても遅いことがある! 向かっていっても辿り着けないかも しれないけれど、<大事に したい
ものは守りたい!>、<繋がっていたい!> と思う! <絆> とは、そんなところから生まれ、
深まってゆくものなのではないで しょうか!?
(※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
作曲は、
ピアニストで作曲家の妹尾(せのお)さん と
ゴスペラーズ (5人ヴォーカルグループ) のリーダーを務める 村上てつやさん。
2000(平成12)年に 43週にも渡るロングヒットとなり、
ゴスペラーズの代表作品の一つとなった 『永遠に』 も この二人によって作られました。
2005(平成17)年1月2日の日曜日、
テレビ東京開局40周年記念の新春番組として
4部に分けられ、午後2時から一気に10時間放送された 『国盗り物語』。
その主題歌だったのがこの曲でした。
ご自身も 芸能生活40周年を迎えられた 加藤さんは、
男が死の瞬間に何を想うのか!?という <男の生と死> をテーマに詞を書いたそうです。
その瞬間に思いをはせる時、はじめて生きることの真実を思いやることができる!
死と隣り合わせの乱世に生きた男たちへのレクイエム!
ちょっと重いテーマですが、考えさせれられるものがあります。
それぞれに トップリーダーとして 強くて強烈な個性を持っていた
斎藤道三、織田信長、明智光秀 という 3人の武将。
道三 63歳、信長 49歳、光秀 56歳。
激動の中で生涯を生き抜いた彼らにも
<孤独> <愛> <哀しみ>。
人としての生き様も あった!
軟弱で不明瞭!
そんな風に思うことの多い現代人には 強烈で新鮮な印象を与えたことでしょう。
加藤さんの詞からも 強い男の 内面の哀しさを垣間見れる気がしました。
弱さを見せ合い、 守る力を感じ合い …、
お互いがちゃんと向き合えば 絆も深まる!?
イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
「イラスト工房」 「ちーたんのPocket」 「イラスト市場」 「お花のアイコン館」
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故郷に帰っていた歌仲間のU女児が 糖尿病が原因で 目の手術を しました。
自覚症状に乏しい <糖尿病網膜症> という病気のようでした。
状況は先生の予想以上に悪く、手術は3時間 にも及んでしまったそうで、
良くなるためには そこから さらに 3週間近く、
うつ伏状態 (下向き) で過ごさなければならないと聞いて、
その怖さと大変さを 初めて知ることになりました!
※ 糖尿病患者の血液は 糖分を多く含んで粘性が高いため、毛細血管をつまらせたり 血管壁に負担を
かけたりしやすく、多くの毛細血管が分布 している網膜に酸素や栄養が不足すると、眼底出血や
硝子体出血などの症状を示す <網膜症> になって しまいやすいようです。
また、一般的に糖尿病を発病 して約10年で、およそ半分の患者が 軽度を含めた 網膜症を合併 して
いると言われ、 毎年3000人もの人が失明 し、現在 成人の失明原因の第1位になっているそうです!
彼女の場合は たぶん 重度の糖尿病性網膜症 だったものと思われます。
<うつ伏せ姿勢> を とるのは、
硝子体手術の時に 網膜穿孔や網膜剥離 処置のため 眼球の中に一緒に入れられた ガスやオイル で
網膜部分が くっつくまで押さえつけておく必要がある ためだそうです。
ちょっとやってみたらわかると思いますが、
起きている時も 寝ている時も …、24時間 うつぶせを保つ というのは かなり過酷です!
近ければ お見舞いにも行かれるのに …、 さすがに 愛媛 は 遠すぎる~!
彼女も 寂 しさを感 じていたのでしょう。
入院前から 歌仲間など何人かに メールを送っていたようで、
それを知った面々は 個々にお見舞いメールを送信!
全員が … とはいいがたいけれど たぶん1~2名は
寂 しさを紛らわせられるよう 今も応援を し続けているものと思います。
だけど、
入院 していると どうしても 普段より人恋 しくなるものです。
昔 私も、忙 しすぎて 肝臓をやられ、数ヶ月入院 したことがありました。
持病の胃での通院が長かったため、どんなに症状を話 しても 内診と投薬を繰り返すだけで血液検査を
してもらえず、 かなり悪化させてしまったことによるものでしたが、病院に通っているからといって安心は
出来ないの!?と 信頼が揺らぎ、先入観の恐ろしさを知った 本当に大きな出来事で した。
入院当初の私は GOT,GPTの値が異常に高く、
「これでよく働いていたね!」 「本当に危険でしたよ!」 と驚かれたほどでしたが、
余裕なく真面目すぎる入社1年半目!
本当は 起きているのも 口を利くのも辛い状態だったながら、
通院 しているという安心感と信頼心があったので 無理やり頑張っていました。
それがある日 上司と先生が血相を変えて飛んで来て
急に 「今すぐ入院 しろ!」 と言われて 呆然、愕然、パニック状態!
それを 同室となった年配の5人の方々が 優 しくフォロー してくださり …
長期入院になってしまって 家族が来られない日も
同期、上司、会社のみなさん、友人、幼なじみ etc
毎日誰かしらがお見舞いに来てくださり …
病院内で親しくさせていただく方ができ …
そんなおかげで 泣きたいほど寂 しいと感 じることも少なくて済んで、
本当にありがたかったな~と しみじみ感 じることができた入院生活となりました。
・食事は病院内では最上級!?
肝臓病は 食欲がなくなり 栄養を吸収することも出来なくなるので 点滴を しながら 多すぎると思う
ほどの摂取 も していかなければならず、その量は同室の糖尿病のおばあちゃんの2~3倍!
私にとって 食べることは拷問のようでしたが、食べたいのを我慢 している方に分けてあげるという
わけにもいかず、悪いので隠すように して食べて 完食できずに残 していました。
・痒いところに手が届く!
なぜか私に看護師研修生が付いて、病院にいて不便に思う 洗髪、身体を拭くことなど いろいろ
やっていただいて しまって、他の方に申し訳ないと思うくらいラッキーで した。
・友人の心遣いと 毎日のお見舞いが 力!
「すっぴんと 寝巻き姿を 見れたんだから、感謝募金 しましょう!」 という内容のコメントが付いた
貯金箱が場を和ませ、来てくださった方々との円滑な話題材料になり、お見舞いが力になりました。
・同室のおばさま達の飾らない優 しさ。
下町のおばちゃん、上品なおばあちゃん …。 当初 心細く、具合も良くなかった私を力づけ、
可愛がってくださり、途中からは お見舞いに来てくださった方々の輪に加わることもあったりして、
「若い人と一緒だと明るくなって良いわね~!」 と 年齢を超えて仲良くなれました。
先生も、看護婦さんも、周りの病室の方々も みんな良い方で、幸運な病院生活だったと思います。
それでも、 外の世界から離れていると 人恋 しさを募らせてしまう時は あるものです。
もしあの時 院内生活が暗く、そして 誰も来てくれなかったら …
その寂 しさは 何倍になっていたことでしょう!?
そんな思いもあって、
数年前 友人が入院 した時には 毎週 お見舞いに通った時期がありました。
当時は 毎日が 朝から晩まで忙しく、
身体はかなりくたびれていましたが、
「友達がいない!」 という話を聞いて しまったので
何かしてあげなくちゃ という 母性本能のようなものが働いて
よくまあ 遠い距離を毎週毎週 何ヶ月も通ったな~と 自分のことながら感心 しています。
必要なもの、ほしいであろうもの、食べ物、お花 …
毎回 買い物を してから行っていたので 1日がかり!
喜びと期待に溢れた顔を見ると 「きついから来週はお休みするね!」 とは とても言えず、
病人に大儀な様子も見せられず、最後まで <元気印> と して通い続けることになりました。
忙 しかった分 少 しはあった収入も 体力さえも、
悲 しいほどに無くなって しまった今となっては とても無理ですが、
自分が昔 入院 して あんなに恵まれた状態にあっても、
<自分だけが取り残されたような感覚> に 陥ることがあったので
そういう寂 しさは少ないほうがいいだろうと、そんな思いが強かったのを覚えています。
気力というエネルギーは <自分にしか出来ない> とか <してあげたい>、<してあげなきゃ!>
などという思いから生まれます。 無理を しても してあげたいと思うのは、古い日本人が持っている
義理人情 のようなものなのかも しれませんが、 今 出来ないな~と思うのは、思い当たるものがない
からなのか、状況が許さないだけなのか …、 歳のせい なのか!?!
しかし 実際 ここ数年の差は大きい!
もし 今 自分が入院 したら …
果たして 誰か お見舞いに来てくれるのでしょうか!?
何度 来てもらえるでしょうか!?
自分だったら …、何度行けるのでしょうか!?
普段から 会えばよくお話をする … 例えば 歌仲間であったと しても、
その場所だけの繋がりなら 行かない人のほうが多いのかも しれません。
もう少し 親 しい仲だったとしても せいぜい1~2度がいいところではないで しょうか!?
それ以上のお付き合いは、なかなか出来るものではない気が します。
家族がいれば 来てくれる!
確かに 他人と身内とでは違うでしょう。
それでも 毎日というのは無理なこともあります。
入院時の状態によっても違ってくることがあるのでしょうし、
子供じゃないんだから 自分から 「来てほしい!」 なんて 言えないでしょう。
入院 した時や ひとりでいて具合が悪くなった時の不安は 案外 遠いことではないかも しれない!
現代は 若くても どんなことが起こるかわからない状況が潜んでいる 危険度の高い時代 だから
なおさら 人ごとではないような気になります。
独り暮らしのお年寄りが 人知れず亡くなっている!
そんなニュースが流れる度に 不安になる!
そんなことを聞く度に 自分に置きかえる!
そういった心配から 熟年の婚活が増えているのかも しれません。
歳を重ねるごとに、やっぱり 誰かが傍らにいてくれることが安心に繋がるという思いが強くなるので
しょうね。 何かあった時には せめて、誰かには看取(みと)ってほしいですものね!
人には言わないけれど 心臓が悪い 別の友人も、
男の独り暮らしだから 不安は抱えているものと思われます。
実際、急に検査入院 して 何人かでお見舞いに行ったことがありましたが、
これが長引いた場合、何度も行ってあげる人が何人いるんだろうかと
ちょっと考えさせられてしまったことがありました。
私より数段 親 しくしているはずの方たちの対応を見ていたら、果たして どうなんだろうかと …!?
案外多いと思われる そんな状況に、どれだけのことが出来るのかは
表面的に その時 楽 しんでいるだけのことなのか、内面まで理解 し合おうとしているかなど
向き合い方や人柄などを含めた普段の対応姿勢。
お付き合いの程度の問題 になってしまうのかも しれませんが、
家族でも 友人でも、
その ありがたさ や 寂 しさ に 気づく ことになるのは
何かが起こった時 なのかも しれませんね!
4月に父が怪我を した時も 家族が入れ替わって病院に付き添い、
母ひとりでは大変なサポートを し合いました。
痛みなどに弱いのは たぶん女性より男性のほうなんじゃないかな~!? とは いつも思うことです。
<強そうに見える人ほど弱い>! 昔から、そんな方たちの姿を ずいぶん目にしたもので した。
家族がいてくれてよかったと思ったのは 当の父だけでなく、母、妹、孫である娘たち!
付き添いも ひとりでは不安なことがあったりするので お互いに助かりました。
支えがあること! 支えになれること!
大ごとにはならない程度で 改めて
普段はあまり感 じない 絆のありがたさ を 感 じることが出来たのも いいことで した。
今回 入院 したU女子にも 妹さんがいらっしゃいます。
身体が弱いと聞いているので ちょっと心配ですが、
側にいてくれるだけでも心強い身内。
そんな身内に守られながら、早く元気になってくれることを期待 して、 メールで応援!
歌仲間からの激励も 少 しは役に立ってくれれば嬉 しいと思います。
本当は 9月には こちらに来られる予定だったのに、どうやら暮れあたりになってしまいそうです!
皆も期待、本人も楽 しみに していたのに残念ですが、糖尿病は怖い病気ですから 悪いところは治 して
心置きなく来てほしい! あとは回復を待つ少 しの我慢と、一生気をつけて付き合うことですね。
大きな山をひとつクリアした ら 大好きな歌が待っているわよ!
私たちも 美声が聴ける日を 楽 しみに しているわ!
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
暑い夏が続いたから 深まりゆくのが嬉 しい秋!
それよりさらに深まって嬉 しいのは? … ということで
2004(平成16)年11月26日発売、
加藤登紀子さん の 『絆 ki・zu・na 』
(作詞 = 加藤登紀子 さん/作曲 = 村上てつや さん、妹尾武 さん)
「命尽きる瞬間に 一筋の光 受けて 生きた時間の全てを 消えゆく心に刻む」
「あふれる愛に抱かれても たどりつけない 手にした夢の重さだけ 人は愛を刻む」
「この胸に残された 心の絆 消えない」
「ひとりで生きていけるさ!」 と思っても、何かの折には 信頼できる人がいてくれたら どんなに
心強いと感 じることでしょう。 命が尽きる瞬間でなく、もう少し早く そんなことに気づけたら
何かが変わるかも しれません。 失くしてからでは間に合わないこともあります。 あとで後悔
しても遅いことがある! 向かっていっても辿り着けないかも しれないけれど、<大事に したい
ものは守りたい!>、<繋がっていたい!> と思う! <絆> とは、そんなところから生まれ、
深まってゆくものなのではないで しょうか!?
(※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
作曲は、
ピアニストで作曲家の妹尾(せのお)さん と
ゴスペラーズ (5人ヴォーカルグループ) のリーダーを務める 村上てつやさん。
2000(平成12)年に 43週にも渡るロングヒットとなり、
ゴスペラーズの代表作品の一つとなった 『永遠に』 も この二人によって作られました。
2005(平成17)年1月2日の日曜日、
テレビ東京開局40周年記念の新春番組として
4部に分けられ、午後2時から一気に10時間放送された 『国盗り物語』。
その主題歌だったのがこの曲でした。
ご自身も 芸能生活40周年を迎えられた 加藤さんは、
男が死の瞬間に何を想うのか!?という <男の生と死> をテーマに詞を書いたそうです。
その瞬間に思いをはせる時、はじめて生きることの真実を思いやることができる!
死と隣り合わせの乱世に生きた男たちへのレクイエム!
ちょっと重いテーマですが、考えさせれられるものがあります。
それぞれに トップリーダーとして 強くて強烈な個性を持っていた
斎藤道三、織田信長、明智光秀 という 3人の武将。
道三 63歳、信長 49歳、光秀 56歳。
激動の中で生涯を生き抜いた彼らにも
<孤独> <愛> <哀しみ>。
人としての生き様も あった!
軟弱で不明瞭!
そんな風に思うことの多い現代人には 強烈で新鮮な印象を与えたことでしょう。
加藤さんの詞からも 強い男の 内面の哀しさを垣間見れる気がしました。
弱さを見せ合い、 守る力を感じ合い …、
お互いがちゃんと向き合えば 絆も深まる!?
イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
「イラスト工房」 「ちーたんのPocket」 「イラスト市場」 「お花のアイコン館」
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