― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳。
記憶を鮮明にさせてくれる画像や思いが大事な宝物になっています。

デジカメで 迷カメラマン 復活!  ― 思い出のアルバム ―

2009-08-10 | 想い・思い・体験 話
                                               (※ 試しに 行間を 詰めてみました。)

私は昔 フィルムの会社に勤めていたことがあり、その影響も あって 写真 を撮るのは 好き でした。
でも、お勤め を している頃は 回 りに 写真家さん達 が たくさんいら したので
自分で撮るよりは 撮ってもらうことの方が 多かったように思います。
私が 写真をよく撮るようになったのは 子どもが生まれてから でしょう。
当時は 本当に よく カメラを 持ち歩いたものでした。
        子どもが生まれると 誰でも みんな カメラマン に なりますよね。
          
私は 重い 一眼レフ と 交換レンズ
バカチョンカメラ や 主に急場使用 の インスタントカメラ まで 持ち歩いていたんです!
   若い頃から 肩こりの酷かった私が、よくもまあ あんなに重いものを持って歩いたものだと
   感心 します。


                   
  特に、 長女が生まれてから
           次女が小学校を卒業するまで
                       この一瞬一瞬 を すべて残 したい という思いから
  まるで 撮影依存症 かと思うほど 撮 りまくりました。 
   そんな病名はありませんが 、一番たくさん撮ったのは 生まれてから 幼稚園 に上がるまで
   ずっと 家にいる期間。 幼稚園の頃も 大差はなかったかも しれません。
   小学校に通い始めると 少し減って、旅行や 行事の時に 集中 して撮ることが多くなりました。

                              
当時は、最大限に増やした 増えるアルバム が 年に 10~15冊。
ピントが甘くて ボケて しまっていても、
同 じようなカットが あったと しても、
二度と撮れないものを 省いて しまうなんて勿体ない という思いが強くて、
小さく切り抜いたり、ずら して貼ったり して、ほぼすべてを 使用 していたので
実家にあげるなどする時は、必ず 焼き増 し を していました。

          
長女が 5、6年の時には 担任教師が 型破りであった おかげで
子ども、親、家族が 一緒 に楽 しめることを たくさん企画 し、
クラスの子ども達全員、そして その家族の方々とまで 仲良くなって
物凄い量の写真を撮 り、みんなに配ったな~ と 懐かしく思い出されます。
   始発で行った山登り、2年連続 泊まりで行った海での野外活動 など、家族全員参加 OK。
   今考えると、凄いことを していたな~と思いますが、みなさん本当に楽しんでいらっしゃいました
   から、その思い出を 残 したいと思ったら、自分だけでなく 全員に 差 し上げたくなりました。
   特大サイズの 重~いビデオカメラを担いで 記録 し続けてくださった お父さんも いらっしゃいました。

       
撮った写真は 写真屋さんに持って行き、数日後に取りに行く。
出来上がって来るまでは どんな仕上がりなのかを 知るよしもなく、
がっかりすることも しばしば あったものでしたが、
当時は それが普通でした。
                               
娘たちが 中学に入ると、お互いの日常が忙しくなって、
カメラを 持つことは めっきり 少なくなりました。
そして だんだんと 撮る回数が減っていき、一眼レフ からも 遠退いて、
旅行に持って行くのでさえ バカチョン くらいになっていってしまいました!
ところが …、 近年の デジタルカメラ の普及。 
すっかり写真から遠退いていた私も、 彼氏、 ブログ、 娘の結婚、 孫の誕生
またまた カメラを持つ機会 が 増えてきました。
                   

デジカメの登場 で 普段から 気楽に写真を楽 しむ人 が 急増 し、
いまや 写真は 私たちの生活の一部 のようになっています。
撮りながら 画像が見れるため、
  よく撮れた とか ブレたから 撮り直し などの 確認が出来ること。
  失敗 しても、削除 して 何度も 撮り直しが出来ること。
メモリーカードに入る限りは 何百枚も 撮影できること。
   フィルムのように 枚数を 気にすることも なく、失敗の心配が減ったのは 大きいです。
             下手な鉄砲 も 数撃ちゃ 当たる!
そんな感覚で 誰でも気軽 に 手に 取れる。  写真を 撮れる。
   安心感があると、ちょっと大胆になることさえ出来たりしちゃいますよね。
これが デジタルカメラの成せる業 ということでしょうね。

そして、さらに、このデジカメも 進化を続け、
画質の向上。 ブレない。 暗がりでも平気。 赤目補正 など、
性能が 段違いに良くなって、弱点も どんどん 改善されているんです。
その上、動画撮影 や レコーダーと して 会議の録音 などにも使える。
メモリーカード には 写真、音声 以外にも
ワード や エクセル などのデータも 保存出来るのだそうです。
さらに ボディは コンパクトになり、使い方も 簡単。
メモリーカードも 急激に安くなって、フィルム並みの価格。
これでは フィルム内蔵型のカメラが 太刀打ち出来なくなったのも 当然です。
フィルム代、現像料、インデックス、写真枚数分×1枚の価格 ・・・
       いろいろ考えると、 <一球入魂> ならぬ 一押入魂!
そうそう安易には撮れません。
   だからこそ、<魂が入った 良い写真が撮れる> のかも しれないんですけどね!
アナログカメラ は この時代、すっかり 趣味びとや こだわりびとの 持ち物 になってしまったようです。
でも、一眼レフ は やっぱり 良いですよね。
今や 何でも デジタルの時代 で、大好きだったシャッター音も 健在。 軽量化も されている。
あんな大変な思いも なく、気楽に撮れるようになった。 まさに 良いとこ取 り状態 です。
その場にあったなら 是非とも 使いたいと思う 一眼レフ。
憧れは あっても、あの頃のように、デジカメのように、ずっと持ち歩くのは …  
今はもう きついのかな~! 
   壊 して買い換えた 今のデジカメが ピントが甘くて 使いづらいから、一眼レフが なお懐かしく
   思えます。 ないことを考えたら 贅沢は言えませんが、撮りたいように撮れないのは けっこう
   辛いものです!


                           <腕が一番> だ とは 言え、
          カメラは やっぱり 使い勝手が良いもので ないと 後手間が 増えて しまったり して、 良くないのだ!




      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

思い出が詰まっているのは アルバム … ということで
2002(平成14)12月 4日(アルバム)、
2005(平成17) 3月24日(シングル) 発売
芹 洋子 さん の  『おもいでのアルバム』
         (作詞 = 増子としさん。作曲 = 本多鉄麿さん)。

「いつのことだか 思いだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう」
     アルバムを開けば 思い出が広がる! 一瞬にして あの頃が 蘇える。
     あんなことや、こんなことや、そんなことまでが 蘇えって、笑顔になっている自分がいます。

「うれしかったこと おもしろかったこと いつになっても わすれない」
     うれしくて、楽しくて、笑う娘たちの顔。 それを見ていると、こちらまで笑顔になっていた。
     娘たちが小さかった頃は 本当に 笑っていることが 多かったなぁ~と 懐かしく思い出されます。

「一年じゅうを 思いだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう」
     日々 変化があったように思える あの頃。 アルバムを開けば 思い出が蘇える!
     何年分もの思い出が ページをめくるごとに 浮かんできて、頭の中がいっぱいになっていきます。

                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
                               
1959(昭和34)年発行の 『増子とし全集』 で発表。
NHK 「みんなのうた」 では、1981(昭和56)年 2月と 3月に ダーク・ダックスで、
1982年 2月と 3月には 芹さんの歌声で放送されています。
    「もものおはなも きれいに咲いて もうすぐみんなは 1年生」
幼稚園の卒園式では お馴染みの歌ですよね。
作詞者の 増子としさん は 東京都墨田区にある キリスト教系 保育園の園長先生、
作曲者の 本多鉄麿さん は 東京都調布市つつじヶ丘にある 仏教系 (神代)幼稚園の(初代)園長先生。
このおふたりが協力し合って <卒園式に歌うための歌> として作られた作品です。
本多さんは、2000曲以上の作品を残され、
亡くなられた30年後の1996(平成8)年には 常楽院に この歌の歌碑が立てられました。
当初は ダークダックスが歌っていたのに、翌年以降のリメイクは 芹洋子さんに変わられ、
カラオケなどでも 芹さんの歌として登録されていると思います。
芹さんの歌声も もちろん 素敵なんですが、私には、ダークダックス の印象の方が強い歌 です。
            (1951年結成の男性4人ボーカルグループ。
             私は バスを担当していた 遠山一さん(愛称 ゾウさん)の低音が好きでした。)

芹さんが歌っている 「四季の歌」 のように、この歌にも 四季 があります。
そして 冬だけに 歌詞が2つ!?
なんだか不思議に思っていたんですが、
<キリスト教の幼稚園では5番の歌詞> を、
<それ以外の園では6番の歌詞> を歌う という配慮がなされている のだそうで
ふたりの園長さんによって作られたからこそ の 心配り だと 納得&感心 してしまいました。

                 懐かしい思い出も 蘇えり、 いくつになっても 口ずさみたくなる、
                                      そんな歌です。






イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
   「イラスト工房」 「みさきのイラスト素材」 「Cherish a feeling」 「素材のプチッチ」

   にほんブログ村 日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする