爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

江戸更紗染め体験

2016-09-15 09:55:04 | 日記
「日帰り散歩の会」特別例会の案内が幹事のMさんから届く。去年11月の散歩(義母一周忌で欠席)で企画され大好評で再度企画された。定員が10名との事で、足の怪我、目の調子が悪くどうなのか心配してたが、当日は治っているだろうと参加を決意。
集合場所に1時集合のため早めの昼食をとり向かう、皆揃った所で、スカイツリーライン・半蔵門線・都営新宿線と乗り継ぎ江東区の大島駅に到着。
体験させていただく染物工房の「美弥好」さんは、「退職者の会」の会員であるSさんの実家で、現在、お兄様が跡を継いおり、江東区の登録無形文化財保持者でもある、NHKなど多くのマスコミにも取り上げられた伝統工芸の貴重な体験のできる工房でもある。
Sさんの昔は、こうだった等の話を聞きながら「美弥好」の工房に入る。昔ながらの工房である、下はコンクリートではなく土でる、天井からは長い平板が何枚も吊る下がっている、昔、こんな板が我が家にもあった、照明は今は見ない裸電球がぶら下がり、雑然とした内部である。(ごめんなさい)作業場は、昔ながらの環境であり、これが伝統工芸の「江戸更紗」を生むんだとあらためて感心する。



♦江戸更紗memo♦
更紗は、インド起源の木綿地の文様染め製品でジャワ・ペルシャ・シャムも影響を受けている。日本には、室町時代以降中国貿易によってもたらされた、日本では、鍋島・天草・長崎・堺・京・江戸更紗が有名。日本独特の技法は、型紙を布面にあて刷毛で染料を塗り込むものである。
「さらさ」の語源は諸説があるようであるが、江戸時代後期に現在の「更紗」が定着したようである。

参加者10名の目の前には、布が板の上に貼られている。今日は、これを作りますと言ったのが安藤広重の「東海道五十三次 江戸・日本橋」である。型紙二十数枚を鹿刷毛で刷り込むとのことである。型紙である渋紙(貼り重ねた和紙に柿渋を塗ったもの)を手にとり口で水を吹きかける、乾かないようにそうするとのことであるが霧吹き器では上手くいかないらしい。一枚一枚見本を見せてくれるが、皆、どの部分が刷れているのかわからない渋紙が多い。カットしている部分に刷毛で塗りつぶすという単純なものではない、力の入れ加減、横・縦・斜め、回して塗る、スピードなど職人の技の世界である。
一番大変なのが布と渋紙の位置合わせである、20数枚の型紙が一枚でもずれると失敗である。隅の2カ所に目立たない極小さく刷られた穴(星と言うらしい)に2枚目以降合わせるが何回も合わせ確認していた、それが作品の枚数分続く。
江戸更紗は分業化されている、絵師、彫り師、摺師の三者分業制である。古い型紙を見せていただいたが、もう彫る人がいないそうで貴重な型紙でよくこんな細かい図案を彫ると一同感心する。






やっとの事で「東海道五十三次 江戸・日本橋」が完成し、額に入れて飾っておかなくてはと・・・。


現代は、シルクスクリーンなど簡易プリントが主流であるが、体験させていただいた「美弥好」さんによると、現在は趣味で購入される方で、昔のような日常的な使用はないとの言葉が印象的である。味のある良い物が無くなってきた。
今回、「美弥好」には大変お世話になりました、お一人で10人を手取足取り教えていただきました。


コメント
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