県立文書館の企画展の帰り、玉蔵院と浦和宿に立ち寄る。玉蔵院は、昔、労働組合の集合場所にもなった場所でもあった。浦和駅に近く、県庁にも近く思い出のお寺である。山門、鐘楼、を見ると由緒あるお寺である事はわかるが。「埼玉県の歴史散歩」(編者:埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会)によると 弘法大師の開山の古寺として伝えられ、地蔵信仰の寺として発展、地蔵堂には平安末期の一本造り様式の地蔵菩薩立像(県文化)が安置されている。
玉蔵院を出て駅よりの南北の道路が五街道の一つ中山道である、浦和本陣があった、宿場としての面影はない。
中山道は、日本橋~京都間であるが、東海道と違い内陸経由で現在の東京都、埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県、滋賀県、京都府を通る、東海道の道路整備、交通機関の発達により中山道は街道としては衰退し、一部、宿場の面影を観光として残っている。
玉蔵院を出て駅よりの南北の道路が五街道の一つ中山道である、浦和本陣があった、宿場としての面影はない。
中山道は、日本橋~京都間であるが、東海道と違い内陸経由で現在の東京都、埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県、滋賀県、京都府を通る、東海道の道路整備、交通機関の発達により中山道は街道としては衰退し、一部、宿場の面影を観光として残っている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます