久しぶりの電車である、4か月以上電車に乗っていなかった。 6月19日に「コロナウイルス」による都道府県をまたぐ移動制限が解除されての散策である。
この4か月巣篭りの3食昼寝付き状態で、足腰が弱くなり最初の散策は近場の習志野市へ。
JR武蔵野線・京葉線で新習志野駅で下車し「谷津干潟」に向かう。新習志野駅前には東京湾岸道路(国道357号)、東関東自動車道と千葉県交通の大動脈である。
その他、習志野市域には、京葉道路・国道14号の国道等、数多くの道路が設置されています。JR京葉線、JR総武線、京成電鉄、新京成電鉄が市内を走り、東京メトロ東西線も乗り入れています。また、各種の路線バスが駅と住宅エリアを結び、充実した交通網が発達しています。人口は、約16.4千人で千葉県で12位だが、人口密度は4位となっている。
側道から公園にはいる、スポーツ施設を通り過ぎると干潟が見えてきて「谷津干潟自然観察センター」があり入館(有料)する。有料だけあってそれなりの資料・設備があり充実している。52ヶ所ある日本のラムサール条約登録地の一つである。千葉県には浦安・市川・船橋市の三番瀬という大きい干潟があるが、習志野市のはコンパクトではあるが干潟を学習するにはいいのでは。外周3.5Kが歩道整備されており、地域の方々の散歩コースとなっている。周りが埋め立てられ、この干潟がなぜ残ったか不思議であるが、この一帯が旧大蔵省の計画地であったため残り、自然保護団体の運動もあり干潟として保存されたようです。
自然観察センターを出て、外周を通って反対側にある谷津バラ園に立ち寄る。
かつてこの辺は「谷津遊園」という人気のあった遊園地の場所で1925年(大14)~1982(昭57)まで営業されていた。遊園地の前は大正時代まで行徳と同じ塩田であり、のちに埋め立てられ谷津遊園となりました。しかし京成電鉄の経営悪化や東京ディズニーランドの開業により閉園となりました。谷津バラ園は、遊園地の一部として開園し当時は東洋一といわれましたが移転し現在は都市公園のパラ圓となっています。バラの時期は5~6月頃が多いが多品種にわたるため鑑賞期間も延びてるようです。
バラ園の入り口隣には、「読売巨人軍発祥の地」の碑がありました。昭和9年アメリカ選抜チームが来日し、日本チームが編成され谷津遊園地内の谷津野球場で合同練習しこのチームが職業野球としての大日本東京野球倶楽部(後の読売巨人軍)が結成されたのが発祥の地と言われる由縁である。
京成本線線谷津駅から古民家のある京成津田沼駅で下車する。藤崎森林公園にある「旧大沢家住宅」に向かう。
途中、菊田神社に立ち寄る。鳥居が新しいので古くはないと思ったが創建が810年頃と古く、かつて境内の場所は小島だった所で時代とともに埋め立てなどで現在に至ったようです。境内には3体の狛犬があるがその中の一つが別名「アイーン狛犬」と言われており、そういわれると志村けんのアイーン顔に似ている。
藤崎森林公園まで徒歩20分とのことだったが、以外に遠かった。津田沼付近は高低差の道路が多かった、下総台地の端に位置するようだ、公園内に入ると池があり茅葺の屋根が見えてきた。高台の古民家前の池は、テレビ東京の「池の水ぜんぶ抜く大作戦」で開設40年の池を綺麗にしたそうです。それによりカワセミが生息するようになったそうです。
古民家の入り口の脇に、小さいディーゼル機関車が置かれていました、長野県木曽王滝森林鉄道で昭和50年まで木材を運んできた機関車で廃止にともない譲り受け公開展示されています。森林公園ならではの展示である。
習志野市には、公開古民家が2軒あるが藤崎森林公園には「旧大沢家住宅」である。
茅葺平屋寄棟造で江戸時代に上総国長柄郡宮成村(現:千葉県長生郡長生村)の名主をつとめた大沢家の住居で昭和48年まで使われていたとのことである。
1664年に建築された東日本最古の古民家とのことです。間取りを見ても古さがわかりますが、江戸時代中期までの典型的な房総民家の形式のようです。いままで古民家を拝見したが名主の住居にしてはシンプルである。
もう一軒、「旧鴇田家住宅」があるが体力の限界のため、津田沼方面へ向かう。
津田沼は、関東有数の繁華街で商業施設充実しており津田沼戦争と言われるほどで、習志野市より一地区の津田沼の方が有名である。津田沼地区に入り新京成線の新津田沼駅より帰宅へ。
【その他のPhoto】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます