爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

講座 「伊勢屋(日本橋)の出来事と女性たち」の参加記

2020-10-19 14:54:21 | 日記

講演は歴史家の筑後則 氏で江戸時代の庶民の様子や日本橋商人について研究している。
始め、日本橋の伊勢屋は?の状態であった。聞いているうちに鰹節の「にんべん」であることが分かったが、日記、古文書等を通して当時の様子や出来事がわかり参考になった。
SNSでの講演内容や写真の公表は禁止となっているため、差し障りがないと思われる部分をUPする。
日本橋には老舗商店が多く集まっているが、江戸時代の資料はほとんど無いそうである。江戸時代の火災、幕末の混乱、関東大震災、太平洋戦争などで多くが消失している。今日、講演の伊勢屋(にんべん)は、そうした中で貴重な資料が残っている。その資料が日記として残されているので面白い、子ども・跡取り・病気・死・商人の付き合いなど赤裸々に記載されている、また、男尊女卑というな中、商いをする上で女性の役割が大きかったことなど。日記ならではの分からない店の様子、苦悩、江戸時代の様子が分かるが、内容は現代にも通ずるものがある。     

「にんべん」の創業者は、高津伊兵衛である。屋号を「伊勢屋」と定めその後、代々当主は伊勢屋伊兵衛を名乗ってっている。伊兵衛は、伊勢国三重郡四日市の出身で高津家は四日市で雑穀・油・干鰯商を営んでいた。伊兵衛は、江戸に出て年季奉公に入り、のちに独立し日本橋で鰹節や塩干の販売をおこなった。これが「にんべん」の始めである。

暖簾印(登録商標)は、伊勢屋と伊兵衛からイ(にんべん)をとり、商売を堅実にするため金尺の ¬(かね)を合わせて印としました。


代々の志と発想を受け継ぐ
〇土蔵造りの店                              
鰹節の店を出店し1年で火事にあいました。江戸時代には大火が頻発し、江戸時代末期頃までに49回も発生、大火以外も含めると1798回と推定されている。幕府は、お触れにて土蔵造りを推奨したが高額のため進まなかったが、伊勢屋はお触れを遵守し土蔵造りの堅牢な店を再建。関東大震災までの200年間にわたり火事の類焼を免れということである。「にんべんの門松は火災除けになる」と松をむしり取られたそうである。
                                 
〇現金かけ値なし
呉服店三井越後屋の画期的な販売方法であるが、伊勢屋も大名との取引が多かったが「現金かけ値なし」を貫徹した。

〇大火被災者に対しての寄進
〇「預かり証」という日本初の商品券を発行。

「にんべん」は、現在13代目である。筑後氏の講演でも後継ぎや病気等で平坦な道のりではない、商いが傾きかけた時代もあり、それを乗り越えての現在である。                                                                                
                                                                                        参考資料:にんべんHP等より

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