爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

杉戸宿を巡る散歩

2020-09-21 18:56:09 | 日記

1回の「退職の会」の日帰り散歩も、コロナ禍や異常気象で杉戸宿の企画が延期、延期でやっとのことで今回散歩ができた。

江戸期に整備された五街道を、宿場名を言って地名・位置が分かる方は、五街道に相当詳しい人ではないだろうか。杉戸宿も埼玉県人は分かっても全国的には知名度は・・・。

杉戸宿は、日光街道21宿場町を千住から数えて5番目の宿場である。

杉戸宿のある埼玉県北葛飾郡杉戸町は、東武スカイツリーラインの東武動物公園駅が最寄り駅(以前は駅名は杉戸駅)で駅の東側に位置する埼玉県北東部の人口4.4万人の町である。

町のほとんどが低地、駅に近い古利根川沿いに自然堤防、東部に江戸川がありこの辺は下総台地の端で台地が所々みられる。

駅前の通りを進むと大落古利根川が流れるこの川が境として駅寄りが宮代町、川を越えると杉戸町である。

 ※大落古利根川の大落とは農業排水を落とすという意味があるそうです。

川沿いを北に進むと富士浅間神社がある、毎年71日に「初山参り」がおこなわれ塚の上で1年以内に生まれた新生児が額に御朱印を授かり無病息災と成長を願う行事があります、富士塚の石に松尾芭蕉の句碑が彫られているが芭蕉と杉戸宿の関係資料はないようです。裏手には厳島神社/金刀比羅宮/稲荷神社があった、神社が集合しているようです。

 

川沿から日光街道に出て宝生院に向かう。途中、古民家がありました案内板に「角穀跡/小島定右衛門邸」とありました。(非公開)米穀問屋でかつて敷地内には、表の蔵(袖蔵)に続き3つの蔵が連なっていた。

宝生院は、杉戸宿とともに長く、「まちの寺院」の役割を果たしてきました。戸籍の把握や寺子屋教育、旅籠屋の代わりなど重要な役割を多く担ってきました。

 

宝生院の先に古民家がありました。杉戸を代表する「渡辺勘左衛門邸」(非公開)です、享保7年(1722)に杉戸宿に移り住、多数の農地を集積し財を成し、江戸中期には質屋業を行ってきました。明治時代の埼玉県大地主297人の1人として紹介されるまでになりました。銀行設立、学校設立など大きな貢献をし、昭和には町長を務めるなど数代に渡って町の発展に尽力をした家柄です。

町の中心に戻ると通りに「渡辺金物店跡」があった。これは、「渡辺勘左衛門邸」の分家に当たる家です。平成に入り看板を下ろし、現在は、月1回「クラブ茶屋」が開催されています。(日程不定期)

この辺から南が高札場、脇本陣、本陣、問屋場があったが確認できなかった。ただ、「明治天皇御小休所跡」の碑が銀行の前にあった。

街道からそれ愛宕神社、神明神社に立ち寄る。

 

昼食後、近津神社へ。幹事のMさんがこの神社の狛犬が変わっているとのこと。杉戸キリスト教会の隣に近津神社の鳥居があった。なんとも隣どおしというのも珍しい。この教会も古く明治18年(1885)に設立された清地会堂を母体とし昭和28年(1953)に創設された教会で県内では和戸教会に次いで2番目に古く、内村鑑三が講演した歴史を持つ。

 

近津神社は、清地村の鎮守である。幾度となく再建されており、平成13年(2001)に不審火により再度焼失した。本殿の彫刻は類を見ない素晴らしいものだったといわれたが本殿とともに焼失した。

注目の狛犬はというと、チョット変わっている、狛犬に関して詳しくはないが、この狛犬、振り返っているように見える、ここまで振り返るのは珍しいかもしれない。

 

隣には高札場があったが本来の「高札場跡」は本陣のあった付近にあったもので平成に建設されたものです。

 

日光街道から「みなみがわ散策道」に入り、本尊の不動明王が奥州平泉の藤原基衡の命により作られたと伝えられる来迎院、境内には「十三仏」がありました。十三仏は、室町時代になってから考えられた冥界の審理に関わる13の仏である、Mさんの話では十二支に対応しているとのこと、私は虚空蔵菩薩でした。

来迎院のあと杉戸町役場内の北葛飾郡役所跡や八幡神社に立ち寄る。

「みなみがわ散策道」から日光街道に戻る、「三本木一里塚跡」の案内板がありましたが碑がなく、その案内板も民家の垣根に埋もれていました。これで杉戸宿の北から南まで歩いた感じです。帰り、街道沿いに「豊嶋屋/関口式右衛門邸」がありました、江戸期から続く造り酒屋です。

駅に近い東福寺に立ち寄りました。この東福寺は、明治初期の自由民権運動の高揚期には埼玉県東部地区の中心となり政談演説会が幾度なくおこなわれました。また、杉戸町の最初の町役場が置かれた場所でもあります。

東福寺から大落古利根川に出て川岸を散策するが、毎年「古利根川流灯まつり」がおなわれる、畳一畳分の手作り灯籠が川面に光の帯となり天の川のようだとのことです。

 

杉戸町の名所旧跡が思ったよりまとまって点在している印象です、古民家も残っているのも驚きでした。

新聞に歴史的建造物が取り壊されているとの掲載がありました。維持管理が大変ですが、今後も歴史遺産を大事にしてもらいたいものです。

幹事のMさんの話では資料等が少ないため杉戸町観光協会より立派な資料を送って頂いたとのことでした。・・感謝・・

 

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コメント (1)
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