爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

浅草名所七福神を巡る散歩

2020-01-14 11:50:31 | 日記

「退職者の会」日帰り散歩、2020年のスタートは、浅草七福神巡りを企画してくれました。1月8日の予定が10日になりました。幹事のMさんの案内ハガキには『浅草名所(などころ)は九社寺あり、「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九となす。九は鳩でありあつまる意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」という古事に由来したことによります。』とあった。勉強不足の小生には???の部分があるが・・・

現在の七福神巡りは江戸時代から定着したようですが、数多くの七福神巡りの中でも浅草の七福神巡りは歴史もあり多くの方々が参拝してきたコースとなっています。

まずは寄り道をしながら浅草七福神(9社寺)巡りに。
スタートは、浅草寺・浅草神社から。浅草寺は、大黒様である。大黒天像は、本堂左手にある影向堂(ようごうどう)にある。中に入ると左手に真っ黒な大黒天が置いてあった、浅草寺はあまり七福神を感じられないお寺でもある。浅草寺の周りには、お堂や記念碑・像が多くあるので見て回るのもよい。

前の「退職者の会」日帰り散歩の際に立ち寄った銭塚地蔵堂は、新しくなっていました。

本堂の裏手から浅草神社に入る。浅草神社は、恵比寿様をお祀りしています、都内最古の神社で江戸三大祭りの一つである三社祭りでも有名です。祭神は浅草寺の本尊となる観音様を引き上げた檜前浜成・竹成兄弟と観音様をお祀りした土師真中知を祭神としています。

浅草寺・浅草神社から大根をお供えすることで有名な待乳山聖天に入る。ここは時代小説「鬼平犯科帳」・「剣客商売」の池波正太郎生誕の地でもある。寺院の部分だけが小高い山となっているが古くはこの辺は泥海で隆起したと伝わっています。宗派は聖観音宗で浅草寺と同じで支院となります。毘沙門天をお祀りしています。

☆寄り道☆   本龍院・・・銅造宝篋印塔(どうぞうほうきょういんとう)
銅造の宝篋印塔は全国的にも珍しいそうです

さらに北に歩くと、若い女性?に人気があり、招き猫発祥の地の神社「今戸神社」に入ります。元は今戸八幡と言われた神社で関東武士の信仰の深い神社で、境内には「沖田総司終焉の地」の碑がありました。七福神は福禄寿をお祀りしています。

☆寄り道☆   出山寺・・・「其角の句碑」・「采女塚」
・其角は、芭蕉に入門し早くから頭角をあらわし、焦門十哲の第一人者とされた。                     

・采女塚は、遊女「采女」と若い僧侶の悲恋の供養塔。 

☆寄り道☆   お化け地蔵・・・高さ3mあまりの笠をかぶった細いお地蔵ですが、お化けと言うのはかぶっている笠が向きをかえたからと言われています。

次は、さらに北にある橋場不動院である。この神社、関東大震災、東京大空襲などの災害で周りが被害に遭うがここだけは免れたことから霊験あらたかということで知られてます。災害の多い近年、何はなくともこれが大事です。

ここまでで5社寺を回ってあと4社寺です、寄り道をして7社寺でなく9社寺を回るのは大変です。

隅田川沿いに歩いてきたが右手に工事中の白髭橋、左手に寿老神が祀られている石浜神社に。新しい感じの神社であるが、724年に鎮座された神社で、源頼朝も戦勝祈願にお参りしたといわれます。祭神は天照大神、豊受大神という伊勢神宮の神様をお祀りしています。ここからは浅草に戻るようなコースとなり吉原神社を目指します。

☆寄り道☆  平賀源内墓・・・江戸中期に本草学者・地質学者・蘭学者・医者・俳人・発明家と多彩な活躍をした平賀源内は、安永8年(1779)に殺傷事件により小伝馬町の牢内で病死した。当初、総泉寺に墓石があったが寺が移転し平賀源内の墓石だけが当地に残った。

☆寄り道☆  春慶院・・・吉原の「高尾大夫墓」仙台の大名とのロマンスのあと惨殺され、仙台候により墓石が建てられたと言われている。 

☆寄り道☆  東禅寺・・・江戸六地蔵の一つがあるお寺である。名称は、「銅造地蔵菩薩坐像」で、深川の地蔵坊正元が病気平癒に感謝し造立を発願し、多くの人々の浄財を江戸市中六ケ所に勧請した。
東禅寺入口左には老夫婦の銅像がありました。このお寺にお墓がある、銀座「木村屋総本店」の創業者、木村安兵衛・ブン夫妻の銅像でした。

 
吉原神社は、吉原遊郭が誕生する前からこの地に鎮座していた稲荷神社5つを合祀した神社である。遊女等の信仰を集め女性の様々な願い叶える神社と言われます。七福神は、唯一女性の神である弁財天を祀っています

吉原神社から少し離れた所に吉原弁財天本宮(吉原神社奥宮)があります。こちらも小さい境内で、ゴツゴツした岩山の上に観音立像が乗ってます。プレートには「大震火災殉死者追悼記念碑」とあります、大震災の火災にて多くの遊女などが池で溺死する出来事がありました。奥に行くと小さい鳥居と社殿があり、社殿はカラフルにペイントされていますが、東京芸術大学の学生の手によるそうです。境内には掲示板があり、吉原の歴史が掲示されており吉原を知ることができる。


吉原神社の近くにあるのが鷲神社です。鷲神社は、寿老人を祀る神社ですが七福神より「酉の市」発祥の神社として有名です。社殿には「なでおかめ」という大きな「おかめ」があり、撫でるとご利益があると伝えられています。

最後の矢先稲荷神社は、福禄寿である。武術興隆の目的で京都三十三間堂と同じものを今の地に建てました。名である「矢先」の由来は、堂の廊下で「通し矢」が行われ、的先にあった神社で「矢先」と呼ばれた。本殿の天井には日本馬術史の100人を描いた絵が天井にある。


10日とはいえまだ「松の内」であり多くの方が参詣していた。七福神巡りをしているとお寺だったり神社だったり日本の宗教が神仏習合であることがわかる。七福神そのものがインドや中国から入ってきたものものあり、あとで祀ったのではないかと思う点もあるが、何はともあれ庶民の願い事を受け止めている。

今回「浅草七福神巡り+寄り道」で単なる七福神巡りでなく、いろんなことを知り、もっと知りたいこともありました。

今年はいいことあるかな・ ・ ・

多く回り、皆さん疲れ、コーヒーブレークしたいがなかなか参加者8人入れるところがないものである、大きい通りに出てハンバーガーショップで一服し帰路に。


【その他のPhoto】

 

コメント (1)
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