爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

新緑の深大寺から調布を巡る散歩

2017-06-23 21:55:18 | 日記

6月の「退職者の会」日帰り散歩は、深大寺を企画してくれた。深大寺は、いつか行こうと思いながらバスに乗らないと行けないとあって二の足を踏んでしまっていた。
幹事のMさんの話では、深大寺は三鷹か吉祥寺からバスとの事で、バスの本数が多い吉祥寺からのスタートとなった。
深大寺のある調布市は、人口23.4万人で国勢調査でも微増が続いており、大学も3校あるなど若者に人気のある地域環境豊かな市でもある。
調布市は、廃藩置県で約8村が合併した市で、市の名は昔の税の物納である「調」(その土地の特産物を納める)を布で納めていたことに由来しているそうである。それだけ調布市は、古い由緒のある街でもある。
深大寺は、東京では浅草寺に次ぐ古刹で「天台宗別格本山 浮岳山 深大寺」と言う。 別格本山とは聞き慣れないが、格式のある本山でもさらに格があり「総本山・別格本山・本山」となっており、NO.2のようであるが、今では宗教法人となり昔のような縛りはないでしょう。
寺史によると深大寺は、奈良時代・天平5年(733)水の神である「深沙大王」(じんじゃだいおう)を祀る寺として開かれた。
お寺と共に有名なのが「深大寺そば」である。「深大寺そば」の始まりは、江戸時代にさかのぼり、稲作には適さなかった土地で米の代わりにそばを作り、そば粉を寺に納め寺でそはを打ったと言うのが伝えられている。深大寺と蕎麦は切っても切れない関係で天下に有名になった。深大寺の周りには20数店舗のお店がありお寺の参道でこんなに蕎麦店があるのは珍しい。
お店の中に「鬼太郎茶屋」があった、作者の水木しげる氏はここ調布市が地元で、この地はTV「ゲゲゲの女房」のロケ地でもあった。

深大寺の南側から虎狛神社に向かうが、以外に高低差がある、この辺は武蔵野台地と多摩川低地で構成されており、比高が12mの所もあるようだ。
野川に出る、国分寺市が源流の多摩川水系1級河川である。梅雨の季節であるが水量が少なく川岸の草が多く、水がよどんでいた。清水も多く湧き、樹木も植えられ都内でも貴重な自然の残っている場所である。
野川沿いの佐須町1丁目に虎狛神社があった。
虎狛神社は、589年に創建され農業の神様を祀っている古い神社です。本殿は、1683年建立、1815年修復されたもので江戸時代初期の建築技法をとどめた建造物で極めて高度な技量がうかがえるとの事です。通常、無人の神社ですが当地の中心的な神社です。

次の祇園寺は、天平年間(729~749年)に深大寺と同じ満功上人によって開創された寺で「虎狛山 日光院祇園寺」と言い、虎狛神社と関係あり明治の神仏分離令により祇園寺から分離独立したのが虎狛神社である。平安時代から江戸時代の仏像や建築物が残されています。自由民権運動との関わりも深く、明治41年に自由民権運動家の慰霊祭・大演説会を挙行し、記念の板垣退助お手植えの「自由の松」がある。

祇園寺から甲州街道に向かって歩道橋を渡ると「国領神社」である。
国領神社は、鎌倉時代の創建と言われる。甲州街道沿いあり、本殿より立派な藤棚が目立つ神社である。この藤は、「ちょうふ八景」の一つで千年藤と言われている。藤は不二(無事)に通じ災厄を防ぎ延命、子産、商売繁盛の神木として名高い。

甲州街道を西に歩くと「布多天神社」がある、創建は不明であるが延長5年の「延喜式」に名を連ねており、多摩地方有数の古社との事、少彦名命と菅原道真を祭神としている。毎月25日の例祭、第二日曜日の「天神の市」では賑わうが、閑静で広い境内からは駅から近い神社とは思えない布多天神社である。

帰りは布多天神社の参道でもある天神通商店街を通り調布駅に、途中、「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎・一反もめん・ねずみ男などの飾りがありました。

梅雨の中の晴れ間で暑い一日でした、途中、ファミレスに立ち寄りながらの散歩でした。

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