爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

大宮八幡宮の鎮守の森と永福寺を巡る散歩

2016-07-19 22:58:37 | 日記
今月の「退職者の会」の日帰り散歩は、「大宮八幡宮の鎮守の杜と永福寺を巡る散歩」である。案内ハガキを受け取った時、さいたま市に大宮八幡宮てあるのか?と思ったが杉並区であった。
東武スカイツリーラインで北千住で乗り換え、メトロ千代田線・小田急線にて下北沢駅にてさらに乗り換え京王線の永福町駅下車となる。北千住駅で唐木田駅行きを待っているとロマンスカーが入ってきた、昔では考えられないサービスである、つくば市からだと1回の乗り換えで箱根まで行けるのである、いつかは乗ってみたいものである。

永福町駅に到着し大宮八幡宮へ向かう、武蔵野国三大宮の一つで、三つの大いなる宮、大きな神社の総称。(大宮八幡宮・氷川神社・秩父神社)鳥居の前に「東京のへそ」の碑がある、位置的に東京都の真ん中なのだろう。大宮八幡宮は源頼義により建立され、境内は15000坪あり、都内でも3番目の広さの神社であるが、明治時代以前はこの3倍以上あり幕府の庇護も受けていた。子育て安産にご利益があるとされ、私どもが訪れた時もお祓いを受けていた家族が多かった。


幹事のMさんの予定では、和田堀公園・郷土博物館の予定でしたが、昼食の時間となり公園・博物館をカットし食事後、寺社巡りを続行する。
大圓寺は、当初、赤坂溜池で創建されたが当地に移転した寺である。薩摩藩の江戸の菩提寺であった。これまではっきりと薩摩藩の菩提寺と分かるお寺は初めてだ。本堂の屋根の飾りに「三つ葉葵」その下に「丸に十の字」の刻印がある。薩摩藩関係の墓石が多くあり、大きい墓石には「空・風・火・水・地」と刻まれていた。こうした五輪塔は、死して天に帰り仏と一体化するという強い宗教心の表れか?。戊辰戦争により亡くなられた藩士を弔う墓石もあり、こんなにこのお寺が薩摩藩と縁が深かかったがわかる。

大圓寺から和泉熊野神社に向かうが、途中、貴船神社に立ち寄る。猫の額のような神社で、京都の貴船神社の祭神を勧請したものと伝わっている。この神社は、京都の貴船神社のようなパワースポットを感じられるか不明。境内に小さい池があるが、村民の雨乞いの場所でもあり、この池はどんな日照りでも枯れる事なく湧出していたとの事であり、和泉という地名はこの池が由来と言われているが、宅地化とともに現在では枯渇している。訪問した時は、水がありトンボが見られ、参加者一同こんな都会で小さな自然の発見に感動・・・。

和泉熊野神社に到着する、紀州の熊野神社の分霊を祀ったのが創建といわれているが、熊野詣とあいまって当時は人気があったのでしょうか。境内には徳川家光が鷹狩の折、手植えしたという伝えがある推定樹齢350年のクロマツがある。

次は、地名の由来となった永福寺である。この永福寺と永福稲荷神社は道を隔てて隣り合っているが、永福稲荷神社は寺の鎮守として祀られた経過がある。永福寺は、小田原落城後、北条氏の家臣が永福寺を頼りに檀家となり村の開発に努めた地である。

帰りは京王線明大前駅からであるが道すがら甲州街道沿いにある「築地本願寺和田堀廟所」に寄る。神田川に架かる「永福橋」の上で川の中のヘビを発見し大騒ぎ、トンボやヘビと今回の散歩は珍しい出会いがありました。

甲州街道に出て、築地本願寺和田堀廟所に入る、ここは旧陸軍省火薬庫跡で関東大震災後の復興計画で払い下げされ築地本願寺が墓地を移転した、現在、約3300基あり廟所案内図には樋口一葉・古賀政男など文化人の墓石もあった。



今日のコースである、永福町から明大前の散歩は6Kmぐらいだろうか、帰りは明大前駅の喫茶店で一休みし帰路に。

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コメント (1)
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