爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

「日本遺産」認定の歴史の町足利市を巡る

2015-09-22 19:17:46 | 日記
「退職者の会」幹事のMさんからの案内ハガキ見て、足利学校は、「世界遺産」だったかな?と勘違い、よく見ると「日本遺産」であった。世界遺産だけがニュースになっているが、文化庁では「日本遺産」として18件を今年認定していました。世界遺産とことなり、文化財そのものが存在し認定されるものでなく、ストーリーを語る上で不可欠な有形・無形の文化財群を地域主体で整備・活用し、国外に発信ことで地域の活性化を図る目的で作られた。足利市は、「近世日本の教育遺産群として4カ所の内の1つである、4カ所とも地域商工会が主体となっている。
 集合場所の越谷駅から下り電車に乗車、春日部、東武動物公園、久喜を過ぎると住居もまばらになり眺望が開けてくる、1時間少しで足利市駅に到着する。足利市には東武伊勢崎線と両毛線が併走しているが利用者は東武伊勢崎線の方が倍以上乗客が多い。この点は、東京に直結している点が大きいが、通勤圏とは言えない。関東平野と山岳部に位置する市で栃木県南西部に位置する栃木県第3の都市である。
足利市駅を下車し東に向かうと大きい川が見えてくる、利根川水系の「渡良瀬川」である、隣にある橋が森高千里で有名な「渡良瀬橋」である、この曲で渡良瀬川が有名になったが、もう一つ忘れられないのが我が国の公害の原点である鉱毒事件です。渡良瀬川上流の足尾銅山の排出する排煙・鉱毒ガス・鉱毒水などが周辺環境に影響をもたらし、時の政治家「田中正造」が告発した事でも有名である。渡良瀬川を渡り、JR両毛線の踏切を通ると市街地に入る。

中央通り足利学校の入口に「足利まちなか遊学館」がある、群馬県の桐生市とともに織物の町としての歩んできた足利の歴史、織物の機械が展示している、足利市の観光発信の役割も兼ねている。


 遊学館を出て「足利学校」に入る、「日本最古の学校」で創建は奈良、平安、鎌倉と諸説があり、天文年間18(1549)年には、ザビエルにより日本最大で有名な大学と世界に紹介された。当時、3000人の学徒が学んだと言われ、学生の大半は僧侶で、おのおの地方に帰り活躍した。敷地は土塁に囲まれているが、足利氏に関係あるのか、学徒・建物等を守るためか、学問する所で不思議な土塁である。



足利学校を出ると12時近い、足利学校の入口で紙コップで味噌汁を配っていた「銀丸本店」で食事をする。珍しい事に、このお店は、お味噌屋さんの経営らしい、メニューは、味噌と関係あるのは少ないが美味しくいただいた。

食事も終わり鑁阿寺(ばんなじ)へ、室町文化をつくった足利家の氏寺で、敷地は、二代目足利義兼の館を寺とし、回りを土塁と堀で囲まれており、国の史跡に指定されている。大きな災禍にも遭わないため、重要文化財や貴重な文献が残っているとの事である。


鑁阿寺を出て、足利市役所の前の通りから「足利織姫神社」に向かう、途中、法玄寺に立ち寄る、墓石が山に並んでいる、通りからも見られるのは珍しい。
この辺が平野と山の境目なのだろう。法玄寺は、足利義兼の正室である北条時子姫のために菩提寺として建立されたと言われている。境内には北条時子姫の五輪塔があった。また、足利市出身の書家・詩人の「あいだみつお」の墓石があり、作品がこのお寺に数点飾られているようです。

足利織姫神社につくと、いきなり大鳥居から階段があり229段とある、元気に階段を上がる者もいたが、脇にシニア向け?の道があり、無理をせず利用。境内に民謡「八木節」発祥の碑が立っており、音頭が流れてくる。足利市八木宿を中心として生まれ、「八木節」には元唄があるようだが独特のリズム感で全国的に有名になった。
階段を上がると、朱塗りの社殿見える、社殿から見える足利市内の眺望はすばらしい、神社ののぼり旗が青空に美しく映えている。この神社、元々は機織の神様を祀っており、産業振興の祈願所であったが、神社名からか縁結びの神様としてカップルの祈願が多いようです。

 文化都市を感じさせる足利市であるが、人口減が続いている。観光として整備している所もあるが、地方都市特有のシャッター商店も見受けられる、一日過ごせる見所のある足利市である、「日本遺産」に認定され更なる整備、PRにより、足利市の魅力を発信してもらいたい。

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