爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

生田緑地内の日本民家園・岡本太郎美術館を散策

2015-01-12 07:15:27 | 日記
前から一度訪ねて見たいと思っていたが、やっとの事で・・・。下車駅が小田急線の「向ヶ丘遊園」である、この駅、遊園地があるかと思っていたが平成14年に閉園したとの事、東急電鉄の「都立大学駅」「学芸大学駅」と同じで、駅名の大学が存在しないのと同じで遊園地は存在しない。南口の通りを道なりに歩くと生田緑地入口の標識がここ一帯は「生田緑地」と言われる多摩丘陵が多摩川に接する東側にある。川崎市内では一番大きい公園である、昭和2年には「向ヶ丘遊園地」が開園しているため、その頃から森林保全が進められ、昭和16年には川崎市が自然保護のための都市計画を決定した、自治体主導で環境保護を進めたことによる結果が都市化の中でも緑が残った所以である。生田緑地の中には民家園・美術館・科学館などの施設が点在しているが、今日は日本民家園へ。小金井市に「江戸東京たてもの園」があるが、それよりは年代的には古く日本民家の原風景が資料展示、移築展示されている。

展示品を見て入園すると、旧原家の建造物が、この民家は、川崎市内に明治時代に現存したもので、天井、欄間、障子がこっている。元々、肥料問屋で財を築き各方面に事業を広げてきた実業家の家である。



旧井岡家は、奈良市の商家で、17世紀末~18世紀初めの建築、油屋や線香屋として製造・販売してきた、正面に庇を設け、格子、揚見世のある商家。
※揚見世ー関西町屋の特徴で見世の間の正面外側に設けられた縁台。

旧佐地家門・供侍は、名古屋市にあった19世紀初期の建物で門は棟門(むなもん)と呼ばれる形式で両袖部分に突出している小屋根は提灯を吊すためのもの。供待(ともまち)は、お供が主人を待つための建物で、土間、門番部屋、囲炉裏からなっている、別棟があるのは珍しい、武士の見栄は相当なものか・・・

旧三澤家は、長野県の伊那宿にあった商家(薬)、石置板葺のゆるい切妻造り、式台玄関があり、板葺の屋根は、伊那の良質な木材を手で薄く裂き板葺にしたものである。

















日本民家園では、多くのボランティアの方が活躍している、5~6人であったが平日でも30分程度説明してくれる。
合掌造りは、4棟程あるが、豪雪にも耐えられるよう屋根は急傾斜であるが、実際見てこんなに急傾斜とは・・・
中は冬場も作業できるようゆったりした間取りで、外に出っ張りがあるのは仏壇を設置する所で、わざわざ造ったのは、住人が2階で仏壇の上にならないようにという事である。



【その他のPhoto】   

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日本民家園の展示物は、維持費が相当なものだろう、その他、維持するための大工や職人の方が少なくなっている、貴重な歴史的文化遺産でもあり、川崎市の今後の整備保存に期待したい。

岡本太郎美術館は、日本民家園の「奥門」を出た所にある、この美術館、岡本太郎が亡くなり2年後に開館された。生前に開館されなかったのが不思議である。美術作品については、凡人の小生には、???だが、説明文を読みうなづくばかりである。良い環境の場所に、美術館があり、川崎市の力の入れようが感じられた。



コメント
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