日の丸や君が代を式典で掲揚、歌う事をすべきか否か。この件によって今まで何人の校長が泣いてきたことか。
そして、今回はこんな”事件”が起きた。
日の丸君が代:大学教授ら、脅迫容疑などで石原都知事告発毎日新聞
今春の卒業式や入学式で、東京都の石原慎太郎知事らが日の丸に向かって起立し君が代を斉唱することを強要したなどととして、大学教授や弁護士ら102人が1日、石原知事らについて、脅迫、強要、公務員職権乱用の容疑で東京地検に告発状を提出した。
さて、何でこの国は、国旗、国歌に対しこれほどまでに嫌悪感を募らせるのか。そして、何故その問題の矛先が、常に教育現場に向かうのか。
これについて興味深いページが見つかった。
国旗・国歌のページ
ちと古い記録になるが、国旗、国歌に関する記事をまとめたページだ。このページによると、
99年2月28日、広島県教委から出された卒業式での「日の丸掲揚」「君が代斉唱」の完全実施を求める異例の職務命令と、「強制」に反対する教職員らとの板挟みになった駅伝で全国的に有名な県立世羅高校(世羅町)の校長(58)が「何が正しいのかわからない。管理能力はないことかも知れないが、自分の選ぶ道がどこにもない」(3月5日、参院予算委員会で明らかになる)との走り書きを残して自殺、日本全土に衝撃が走った。これをきっかけに政府は、「国旗・国歌」の法制化に向けて動き出した。
つまり、99年2月の時点では日の丸も君が代も国旗・国歌ではなかった。それ故に教育委員会と教職員の対立が起き、一人の校長が犠牲になった悲しい事件だ。・・・私の個人的意見ではあるが、県立高校の職員である教師は単なる一公務員であり、サラリーマンである。今回のケースでも上部機関の決定による職務命令であり、意見できるような立場ではないはずなのだが・・・とかく、犠牲になった校長が不憫でならない。
それを受けて政府は、
1999年8月13日 国旗・国歌法公布・施行
とある。この法律は、「日の丸、君が代を国旗、国歌とする」と規定した法律だ。
つまり、この法律によって日の丸・君が代は正式に国旗・国歌と制定されたのだ。さらに、教育指導用の改訂により、国旗・国歌は式典において義務化されたのだ。そうなった以上問題は無くなるはずだった。
しかし、今回この事件は起こってしまったのである。
考えれば考えるほどおかしな話だ。
君が代はまだしも、「日の丸」に至ってはすでに国旗として定着してしまっている。すでに教育指導要項として法整備まで行われているというのに、掲揚することの一体何が不満なのか。
先のページにて経緯を追っていくと、行政側と教育委員会、弁護士会の間で、ことこの問題に関する対立が何度も起こっているようだ。どうやらそれを引きずっているように感じる。
要するに、日教組、全教祖、弁護士会がこのすでに義務化してしまった問題を、引っかき回しているように感じるのだ。
で、この問題に対しての裏付け、と言うか、私と同じような意見を持っている方のページが見つかった。
「国旗・国歌」反対強制一問一答集1
大変わかりやすくこの問題に対しての回答が書かれている。このページの意見を採用するならば、「日教組が諸悪の根源」と言うことになるだろう。ちなみに私もこの意見には賛成である。
そもそも日教組は共産党系極左翼団体であることを忘れてはならない。私たち岐阜県民にとっては、昨年の岐阜市と日教組の対立は記憶に新しい。左翼団体にとっては「日の丸・君が代」は絶対悪の象徴みたいなものだ。相容れないのも当然と言えば当然であろう。
だが、それを子供たちに押しつける権利は、いくら教師といえども無いはずだ。第一公務員である以上、「法律を破ることは許されない」のである。
今までのことをふまえ、今回の事件を振り返ってみると、すでに全国的に義務化している事を「強制した」とは何とも筋違いでは無かろうか。私には何とも「馬鹿馬鹿しい主張」に思えてならない。正当な司法判断を切に望む。
最後に国旗反対派とおぼしき参考資料として以下のリンクを張っておく。
「日本人」と「日の丸」について──脱国民化のために(魚住洋一/1998年4月)
この問題を扱っていたページにリンクされていたものだ。私には、「日本人であることを捨てよ」と言っている大変いびつな文章だと思うのだが・・・。