こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

どうしてもやるというのならば

2021年05月31日 | 日々思うこと、考えること
 5月も今日で終わり。早いものだ。静かに暮らしているつもりでも、いろいろなところと関係があり、それぞれのところでそれなりに波風が立って、嬉しかったり、イライラしたり、悲しかったりする。誰とも接触しないで暮らしたいと思うが、人間1人では何もできない存在であって、そんなことはできない。

 緊急事態宣言は6月20日まで延長される。政府はオリンピック開催のために新型コロナウイルスを封じ込めようと躍起になっているが、果たして間に合うだろうか。東京での新規感染者数が100人/日とでもなればいいだろうが、若者間での感染拡大はどうしようもない。大人、というか体のあちこちにガタの入り始めている中高年はそれなりに関心を持っているが、若者のうちには今、一体何が起こっているのかよくわかっていない人も少なくないんじゃないかと思う。

 駅前で顔見知りの議員さんがビラを配っていたので、頑張って欲しいと声をかけたら、政権はオリンピックしか頭にないですよ、と嘆いていた。私もワクチン接種で問診やってますよ、なんてことを話したら、実は問診する人が足りない、なぜなら問診は医者でないとできないから、と説明してくれた。考えてみたらそうだと納得した。打ち手よりも問診医。先日、院内の医療従事者への接種の時に問診を行なったが、あれはあれで緊張した。普段は病理医としてのスイッチが入っているが、ああいう時には臨床医としてのスイッチに切り替わる。お声をがかかれば行く予定です、と言って別れた。

 欧米では感染対策の緩和が進んでいるようで、昨日スポーツニュースでダルビッシュが投げているのを見たが、誰もマスクをしていない。あれ?何年か前の映像?観客数も多いし。と一瞬思ったほどで、パドレスのユニフォームであることを確認してやはり昨日だかの試合の映像だと得心した。このままオリンピックをやるとしても、こんな感じにはとてもならないだろうが、どうしてもやるというのであれば八方手を尽くして、”安全安心”な大会として欲しいものだ。
どちらとも言えない

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ウチのバラ、ローズガーデンのバラ

2021年05月29日 | ガーデニング・菜園・花・緑
 ここのところずいぶん風が強い。週末ごとにこんなで、ちょっと残念。でもまあ、雨でないだけよしとしよう。いつもの散歩道を歩くと少し汗ばむようになった。

 妻の誕生祝いに横浜まで出て食事をした。予約をしておいたが、まん延防止等重点措置のため、アルコールは出せないと言われていたが、ノンアルコールだと残念ながら食事は今ひとつ。まあ、仕方ない。他のテーブルも同じ。
 食後の散歩で近くの公園を歩いた。ローズガーデンがあって、多くのバラがある。実際のところ、あらかた終わっていたけど、まだ少し残っていた。それでも一緒に植えられているほかの花はまだまだ咲いていて、それを楽しんだ。
 わが家のバラもまだまだよく咲いている。もう少し開いたら、また活けるかな。
明日も天気だといいな

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いいね!はいいばかりでもなかった

2021年05月28日 | 日々思うこと、考えること
 遠くの方から聞こえてくるガビチョウのよく通る声で、慌てて窓を開けたら、外はもうずいぶん明るくなっていた。鳥たちの朝会には遅刻で、オブザーバーとして参加している身としては反省しなくてはならない。いつもの起床時刻よりはまだ時間があったのだけど、今日は院内のワクチン接種当番で”遅刻厳禁”だったので、そのまま起きてしばしにぎやかな会議を傍聴した。

 そのあとつけたNHKのニュースでInstagramの”いいね”機能を外すことができるようになる、というのを聴いた。facebookも早晩そのようになるそうだ。”いいね疲れ”という言葉があるそうで、”コロナ疲れ”といい、今の世の中色々疲れることがあれこれ多い。それはさておき、”いいね”、私もその数が気になってどうしたらその数が伸びるだろうかと考えたことがあった。それでも、疲れてしまったのか、facebookもInstagramもTwitterのいずれもいつの間にか更新頻度も間遠になって、いまでは友人のそれらを開くこともほとんどなくなってしまった。

 ”いいね”とかそういうものは、運営サイドからしてみたらエントリーに対する反応をいい意味で単純に記録するサービスなのだろうが、ユーザーはそれを競争に使う。勝手にやっていたらいいじゃないかと思うが、”数”という一見客観性のあるもので比較できるとなると、それを利用してマウンティングしようとなって人間の虚栄心が刺激される。浅ましいといえば浅ましいのだが、他人との差別化を望む人というのはすごく多い。だが、虚栄心を満たす作業をしているとどうしても疲れてしまう。私のように離れていく人も少なくないはずだ。

 gooブログにいいねボタンがついたのはいつのことか忘れてしまったが、私のブログを読んでくださる方はほぼ固定していいるようで、その数はほぼ横ばいだ。こんなものだと思うと、数の上下に気をもむことはあまりない。テーマによって数に変動があるのはエントリーを書く上での参考になる。アクセス解析も目を通して、アピールチャンスが来たらそそくさとアップする。これはせっかくだから読んでもらおうと願うからだが最近は新規読書の開拓にはあまり役立っていないように思う。それでも、Google analysisにせっせと目を通していたようなことはもうやめた。

 私がほぼ毎日読んでいるブロ友さんにいいねボタンを外してしまった人がいる。私の何倍ものアクセス数のある方だが、何が煩わしかったのだろうか、そう達観した心境を教えていただきたい。また、別のブロ友さんは、もう、コアな読者しか相手にしていないと公言していて、うるさい読者はお断り、とまで書いている。

 いいねボタンはブロ主と読者とをを結ぶ重要な機能であって、決して悪いものではない。ただ、人間の心は表裏一体、いつおかしな虚栄心に取り憑かれてしまうかなどわかったものではない。先にあげたお二人のブロ友さんのように割り切ることはできないだろうが、私なりに穏やかな気持ちで日々ブログを書き連ねていきたい。
また明日お会いしましょう

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病院のバスターミナルで思ったこと

2021年05月27日 | 日々思うこと、考えること
 昨日の皆既月食はずいぶんな騒ぎだったようで、テレビでもいろんな番組でその模様が放送されていた。コロナ禍で楽しい話題が全くないので仕方がない。西日本は雨のため、まったく見えず。私のところからは薄曇りを通して半分欠けた月を見ることができた。東北、北海道では比較的よく見えたようで、ブロ友さんもその写真をアップしていた。次の皆既月食は2033年と、12年後だそうで、コロナ禍の時代、それまで無事に生きていられるだろうか。今日は、昨日の曇りからそのまま雨となって、午後にはずいぶん降るらしい。気温も下がって、体調がまたおかしくなりそうだ。

 地域の基幹病院というのは、駅前のバスターミナルに次いで、市役所、県庁前並みに多くの停留所がある。私の勤め先にも方々からのバス路線がきていて、これにタクシーと、患者さんの乗用車が入ってきているので、結構な混雑になる。ERの入り口と業者さんの出入り口は別のところに作られているので、そちらの方は心配ない。バスを利用するのは8割が患者さんとその家族、職員が2割ほどといったところで、そのほかの利用者はほんの少しだ。

 私が利用している最寄駅からは歩いて15分もかからないのだが、帯に短し襷に長しで、雨のこと、腰痛のことなどを考え、バスを使っている。バス利用者の中には子供を乳母車で連れてきている人もいて、そんな方の乗降は積極的に声をかけて手伝っている。だが、そんな方は少数で、圧倒的に多いのはお年寄りだ。80代以上と思しき方が多く、ゆっくりと乗降する。私も腰が痛いとき(今もまだ少々痛い)は気をつけて乗り降りするがそれよりもよほどゆっくりだ。そしておりた後もゆっくり歩く。これはお年寄りに限ったことでなく、病気・怪我の人は大抵そうだ。

 バスを降りた時に、タイムカードの打刻時刻が迫っていたりすると、少し早足でそんな患者さんたちの横をすり抜けていくが、先日、我ながら配慮に欠ける行為だと思った。様々な人がそれぞれのペースで歩いている病院前の停留所というのは世の中の縮図だ。普段の生活空間で病気の人を見ることは滅多にないが、病院前のバスターミナルにはそんな人がたくさんいる。そういうところで、先を急いで歩くというのは健康人の傲慢につながってしまうのではないだろうか。自分が医療従事者であるとかないとか、そんなこととは関係なく人に優しくありたいと思うのであれば、そんなところでも周囲に配慮した行動が必要だ。
私もほぼ初老

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月は黙して語らないけど

2021年05月26日 | 生き方について考える
 今夜、20時前後に月食が見えるということだ。ちょうど帰宅の時間帯だが、途中で空を見上げたら満ち欠けを見ることができるはずだが病院を出たときは薄曇り、あとは鎌倉に着いたときに雲が月を覆っていないことを願う。

 こういう、自然現象、というのは確実に身の回りで起こっていることだ。遠い未来に変更されてしまうーーー月、地球、太陽が消えて無くなるようなーーーことはあるかもしれないが、それとて真実といえる。これに対して、人間社会というものにどれほどの真実があるか、そんなことを最近よく考える。

 それぞれの現場で起きていることと、漏れ伝わってくることとの間には大きな隔たりがあるだろうが、たとえ自分が当事者であったとしても目の前で起こっていることがどれほどの真実であるかなど確かにはわからない。それは言葉というものを発達させてしまったが故に引き起こされたことなのかもしれない。

 言葉もはじめは人間同士が身を守るための道具の一つであったのかもしれないが、やがてはそれが一人歩きしてコントロールできないものとなってしまった。誰が何を言おうとそれが果たして真実なのかは誰にもわからない。今夜月の欠けている姿を見て、それをいかなる言葉で表現しても、誰かの言葉である限りその人によるバイアスが介在する。今夜、月は地球の影に入り、やがて何事もなかったかのようにやがて出てくる。それを見て、解釈して、言葉にする人がいなければ、何もなかったことと同じことなのかもしれない。
言葉を尽くす?

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朝のピーチクパーチク

2021年05月25日 | 日々思うこと、考えること
 冬の間、朝の4時過ぎなんかに目が覚めたら外はもちろん真っ暗で、2度寝できるかどうか焦りながら、ゴロゴロしているうちにいつの間にか寝てしまったり、スマホをいじって早起きのブロ友さんのエントリーを読んで寝そびれて後悔したりとか、あまり面白くない。ところが夜明けが早くなった最近は、カーテンの隙間から漏れてくる朝日が嬉しく、すぐに窓をあけてしまう。そうすると驚くほど多くの鳥たちのさえずりが四方八方から聞こえてくる。

 シジュウカラ、ホトトギス、ガビチョウ、メジロ、スズメあたりだと思うが、実ににぎやかで、聞いているこちらの方が楽しくなってしまう。小鳥たちの声に混じって、カラスやトンビの声もしてくる。みんなで朝の挨拶やら、朝食の話だのをしているのだろう。冬の間行なっていた餌付けも、餌の小虫や花の果実が豊富な今となっては何もやっていない。その分、家庭菜園の芋虫を獲って欲しいのだが、そちらの方はあまり役に立たず、葉っぱには穴が目立つようになった。

 以前、妻がカラスとしゃべっていること(なにをカァカァ? 2020年03月01日 )を書いたが、鳥と話す、というか鳥が何をしゃべっているか理解できる人は案外多いらしい。先週末、NHKの動物番組で、鳥語の研究をしている学者がいるのを視てちょっと驚いた。鳥が、2語以上を組み合わせて話しているとのことで、こちらから返してあげたら会話ができるのかもしれないと考えた。

 朝食の時間が終わると、というか日が高くなると鳥たちのおしゃべりはパタリと止んでしまう。もうすっかり日の高い7時前後などは、トンビが空の高いところでピーヒョロ啼いているか、いよいよ朝飯が並びはじめたと騒いでいるカラスぐらいだ。時計のアラームに鳥のさえずりを使っていたことがあるが、私の場合、今やあまり役に立たない。というのも、鳥たちの朝のおしゃべりを聞くのは楽しく、むしろそのまますんなり2度寝して、小一時間眠り直すことになるからだ。毎朝、このタイミングで目が覚めたらいと思うが、そうやすやすとはいきそうにない。まずは、夜明けの時間が少しずつ変わること、それに、その時間に目覚ましをかけてしまったら、それはもう”起床”であって、頭も体もすっかり目が覚めてしまうので、そうするわけにもいかない。
早寝早起き

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コロちゃんの足の怪我、その後(2)

2021年05月24日 | 犬との暮らし
 昨晩、ホタル狩りに行った小川はマルチーズのコロの散歩範囲外だったので、往復の半分以上は抱いていった。コロが若い頃は、海はもとより、今は台風(おととしの台風19号)被害のため通行止めとなっているハイキングコースとか、長谷の大仏あたりまで平気で歩いていたが、寄る年波には勝てないようだ。ちなみに、今の家、マンション住まいだったころ、同じ部屋で寝起きさせていた息子と娘がいい年になったので、戸建てにいい土地はないかと探しているとき見つけたところにある。妻がコロの散歩の時に偶然通りかかり、いい空き地があると言われ、週末、私も見に行ったらなるほどいいところで、そこでブルドーザーを動かしている人に扱っている不動産屋さんを聞き、なんとか手に入れた。そんなわけでこの家はコロのおかげで手に入ったと、夫婦で感謝している。

 さて、そんなコロ、3月に足を怪我をさせてしまい、一時は飲まず食わずとなってしまってこのまま死んでしまうのではないかと心配したが、今ではずいぶん元気になった。そんなに遠くまでは行けなくなったが知っているところであれば元気に歩く、というかこちらが小走りになるぐらいの速さ。せいぜい5、60メートルだが、14歳とは思えない元気な姿を見るとこちらの方がほっとする。
 おととい、かかりつけの犬猫病院にトリミングに連れて行った時、トリマーさんに

 コロちゃん、お父さんとはもう仲直りしましたか?

 と尋ねられた。

 ええ、大丈夫です。

 と返答したが、どうやら私がコロを怪我をさせて、そのことをコロが怒っていて、私と不仲になっていると思われているようだ。獣医さんもそんなことを心配していたが、決してそんなことはなくて、コロはおそらく、自分の足がなんだか急に自由がきかなくなったと思っているだけで、私のことはなんとも思っていないはずだ。怪我の前後で私との関係性は何も変わっていないと私は感じている。

 何はともあれ、年齢のため、手術は無理なので経過観察でと言われ、痛み止めを飲ませたり、腫れどめを飲ませたりすることもあったが、なんとか食欲は戻り、元気に散歩もできるようになった。先生には、回復まで6週間程度かかると言われていたが、少し足を引きずってはいるが、ほぼ完治したといえる。あの日以来、抱いたままリードを外すようなことはせず、下ろしたまま、ゆっくり外すようにしている。
元気でいてね

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いい天気でした

2021年05月23日 | ガーデニング・菜園・花・緑
 静かな1日。

 いつもの日よりは少し遅く目が覚めた。Eテレで趣味の園芸をみていたら、今週もバラが話題となっていた。近所の園芸店からの宣伝のラインでも”お悩みに答えます”みたいなことが入っていた。バラの病気に関する相談が多いようで、皆さんずいぶん困っているのは皆さん同じようだ。
 せっかくいい天気となったので、ちょこちょこ剪定した。上手な人だとバッサリ切ってしまうのかもしれないし、そもそもこんな時期に切ったりはしないかもしれない。ただ、バラなんかはどんどん切った方が次の花が咲くのでいいというから、あまり気にしないで、紫陽花なんかも芽が出るポイントだけ注意して切っている。
 この冬に植えたバラ、あまりに美しかったので、切って活けた。
 あれこれやった後、照ノ富士の優勝をみて、コロを連れて散歩に出かけたら、近所の川にはホタルが出ていて、近所の人が三々五々集まっていた。
明日からまたガンバ

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同窓会、マスク会食で大盛り上がり

2021年05月22日 | 日々思うこと、考えること
 昨晩、六本木だか渋谷のような繁華街にある中華料理店で開催された高校の同窓会に参加した。モノレールの湘南江の島駅のような階段から出て、店に着いたら友人が2、3人前に立っていて声をかけてくれた。

 健ちゃん、久しぶり。もう、始まっているから、早く入って入って。

 店に入ったらいつも通り、というか、みんながけっこうぎゅうぎゅうに座って、ワイワイガヤガヤ飲みながらしゃべっていた。ほとんどはマスクをつけていたが、中には

 俺は今日は飲まないから、マスクはつけない

 なんていっている奴もいた。しょうがないなと思いながら、席について、とりあえず私はビールとグラスを出してもらった。グラスがすぐに見つからなくて、友達の誰かが

 俺のを使えよ

 といって自分の使っていたのをよこしてくれたが、

 それはないだろう

 と断った。その後グラスも手に入り飲み始めたが、なるほどいちいちマスクをずらして飲むのは面倒だった。気がつくとマスクを元の位置に戻し忘れていたなんてこともしばしば起こった。さすがにそれではまずいと思って、私は布団のようなものをかぶって飲んで喋った。たまに布団から顔を出して飲んでまた潜る。なんでそうまでして飲んでるのだろうと思っていたらだんだんと眠くなって、目が覚めた。ずいぶんリアルな、そして楽しい夢だった。

 どうしてそんな夢を見たかというと心当たりがある。昨日ニュースでマスク会食を話題にしたものがあったからだろう。そこでは、取材した店で10組中マスク会食をしていたのは1組だったとのことだった。それにしてもなんで高校の同窓会と思っていたら、夕方になって高校の同級生からズーム飲み会のリマインドメールがきた。

 そうだった。今日はズーム同窓会の日だった。

 すっかり忘れていたが、そのメールが来たのはトリミングに預けていたコロを迎えに行っていたところだった。そんなわけで、飲み会は遠慮することにした。

 まあ、あんなに楽しい飲み会をやったら新型コロナは絶対に感染っちゃうだろうとしみじみ感じた。
どんちゃん騒ぎ

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水の国だからこそ水に関心を持つ

2021年05月21日 | 日本のこと、世界のこと
 少し離れたところから運ばれてきているのか、細かい雨粒がパラパラという感じでほほにあたるが、とにかく風が強い。東南からの暴風が山全体に吹き付けて木々がそろって大きく揺れている。この後雨量も増えるらしい。これが7月初旬でのことなら納得できるが、今日はまだ5月21日。季節は一体どうなっているのだろう。昨日のニュースでは熊本での豪雨の様子が流れていた。たくさんの農作物が被害を受けていて、お気の毒としか言葉が見つからない。

 東京で育った私にとって水は蛇口から出てくるものだ。遠足で山間のダムを見たところで、そこに湛えられている水と自分が今口にしている水は容易につながらない。鎌倉という、郊外というよりは、自然が残されているという意味でのちょっと田舎に住むようになって、ハザードマップなどに目を通したり、海に行くようになったりして、水というものがいろいろな顔を持っているということを知るようになった。東北西の三方を山に囲まれ、南に海。そんな自然の要害を持っていたから鎌倉には様々な歴史が生まれたが、その中でも海は最も険しい障壁だった。水を超えることができたからこそ、新田義貞の稲村ヶ崎突破はいまだに語り継がれている。

 この国は、周りを水に囲まれ陸に続いているところはない。考えてみるとすごいことだ。四方を取り巻く水は、大量の雨、雪をもたらす。日本のことを水の国というのもうなづける。水の恩恵なくしてこの国の発展はなかったといっても過言ではない。その一方で、水害もまた豊富な水によってもたらされる。そのことを実感しなくては水への対応、さらには地球温暖化対策、SDGsについて考えることはできない。

 水道栓のハンドルをひねるどころか、蛇口の前に手をかざすだけで水が出てくるような時代にあって、都市部に住む人間に水はどんな存在なのだろう。あって当たり前という幸せをどうやって理解し、資源としての水の利活用を真剣に考えなくてはならない。世界では昔から水争いが絶えない。日本国内だって地域地域では水利争いはある。ここのところ日本の危機意識の欠如のツケがあれこれ目立ってきているが、水対策(水利、水害対策、水資源利用、教育など)に国家プロジェクトとして取り組む必要があるのではないか。これも、もっとこの国に目を向ける大切な作業だと思う。
あって当たり前ではない

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脱亜入欧の行き着いた先

2021年05月20日 | 日本のこと、世界のこと
 霧の向こうの木々の緑がぐっと濃くなった。午前中はなんとか持ちこたえたが、午後には本降りの雨。傘を持って出てこなかったが、帰りは置き傘を持って出た。病院を出た時はちょうど小降りで傘をさすほどではなかったが、せっかく持って出たので少しの間使った。明日はこれを持って出るか、長傘を使うことになるか、どうなるだろう。

 今朝、NHKのニュースで、プラスチックゴミ削減のために、容器のリユースを進めるという話をしていた。なんてことない、日本の出前文化はそのことをずっとやってきていたのに、いまさら何を取り立てて言っているのだと少々憤慨した。注文を受け、出前して、さらには皿・丼を下げにいく。そんな当たり前の風景がどうもおかしくなっている。世界中でもてはやされている、「もったいない文化」にしても、食材の大量廃棄が当たり前になってしまったこの国にしてみたら、てんでバラバラのことをしているわけで、羊頭狗肉というか、そのことを言われること自体が恥ずかしくなってきている。多くの日本人はこれまでずっとつましく、丁寧に生きてきた。

 なぜ、日本は日本の良さを世界に発信していかないのか、発信していくことができないのか。環境問題にしても、”身を切る改革”を誰もしようとしないし、それを発信しようともしない。出前にしても、もったいないにしても、もともと日本の文化に合っていたものであり、それが失われる前に復活させたらいいのに、それをしようという目立った動きはない。ただ、元の生活に戻すというだけなのだが。強欲とさえ見えるほどに何でもかんでも作るだけ作り、送りつけてそれで終わり。生まれるのは大量のゴミばかり。デリバリーに対してだって容器の回収を義務付けたらどれほどいいだろう。結局のところ、こんなリユースの動きはまた、欧米から導入していくのだろう。明治政府が掲げて以来綿々と続く脱亜入欧思想は欧米礼賛日本卑下で、つましい生活はいつのまにかセコイ生活と同義となってしまった。

 アップルが関連企業に対して再生可能エネルギーの利用率を高めることを要求してきた。脱亜入欧していたつもりだったのが、裏切られたように見える。だが、それは欧米グローバル企業の勝手とばかりいっていられるだろうか。日本がその総体としての生産性を高めることをがむしゃらに求めてきた結果が今の姿だ。そこで考えなくてはならないのはグローバル化が声高に唱えられている今、欧米が求めているのは日本が彼らの下請けとなっての追従ではなく、日本文化の発信による世界への貢献ではないだろうか。日本文化の持つ良さ、強みといったものをいかに世界の発展に役立てることができるか、お役人さんたちにはそういったことを考えて欲しいのだが、そういったことが中央官庁からなかなか聞こえてこないのはとても残念なことだ。
役人とか政治家って一体

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日本が好き、という言葉の虚構

2021年05月19日 | 日本のこと、世界のこと
 関東地方、どう見ても梅雨入りしていそうなのに、気象庁はなかなかその宣言を出さないでいる。偏西風が勢いを盛り返して太平洋高気圧がもう一度押し下げられるかもしれないからと慎重になっているのだろうか。あとになって、あの頃梅雨入りしていたと思われる、という様なこともできるので、あまり深く考えるのはよそう。それに入梅がいつであっても雨季は雨季で雨は降る。梅雨入り宣言は水害に対する用心を促すためのものだということを聞いたこともあるが、九州ではもう梅雨明け間近のような豪雨だそうで、この先が思いやられる。
 四季の移り変わりのはっきりした自然豊かな日本に育ち、さらにはこの国に住む人の国民性、文化水準の高さ、などを含め私はこの国が好きだと思いこんできた。だが、どうやらどれももはや失われつつあるようだ。春と秋は極端に短くなり、大量の雨の降る雨季と、やたらと蒸し暑い夏が主となってきた。冬の寒さは中途半端だ。こんなことが続けば日本の四季の景色はやがて変わっていくに違いない。

 やっぱり、というか案の定、防衛省による新型コロナウイルスワクチン接種への申し込みにはトラブルが生じているようだ。そしてまた出た、断罪に処すべき高級官僚による不正蓄財。総務省による地方自治体へのワクチン接種促進の恫喝。日本人の国民性が新型コロナウイルスによって暴露されたが、まさかここまでとは。もちろん、国産ワクチンなどなくて、外国製のものに頼るしかないし、認可システムの融通はきかない。

 私は日本が好き

 多くの人がこの言葉を口にするようになったのは、平成をだいぶ過ぎてからの気がする。その前はそんなこと当たり前でわざわざ口に出して言う必要はなかったのかもしれない。こんなことをわざわざ言うようになったのはこの国がそれまで持っていた当たり前のものを失い始めた時期なのかもしれない。そして、”日本はすごい”、とか”日本が好き”という言葉の背景にあったのは、日本が失ってしまったものを、今あたかもあるかの様に考える虚構であったのではないか。

 今、日本にまだ何か残っているとすれば、それは良くも悪しくも人的資源しかない。良心は人間に残されたリカバリーのきく最後の財産といえる。そして、この国にもそんな良心を残している人がまだまだ残っていると思うし、自分もその一人でありたい。政治家や高級官僚にそういうものを期待できなくなった今、良心を残す人に今一度この国を好きな国に戻してほしい、そう一縷の望みを持つ、今日この頃だ。
悪人に流されるな

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新型コロナウイルス感染症は日本にとって最後の審判か

2021年05月18日 | 日々思うこと、考えること
 関東地方の梅雨入りはまだなので、正しい表現ではないが、今朝の空は梅雨の晴れ間のようで清々しい。それも夕方以降は雨となってしまうそうだから、出勤時間帯に晴れたというのは幸運だ。昨日仕事を終えて外に出たら東の空にうっすらと、虹がまっすぐ上に立つ様に出ているのが見えた。よく見たいと思って、空のひらけたところに行って、写真を撮ってみた。残念ながら夕闇で光量が足りなかった様でそれほどはっきりとは写らなかった。それでも、何かいいことがありそうと、少し元気になった。

 最後の審判、という話がある。その考え方を初めて知ったのは、星新一のショートショート「時の渦」を読んでからで、キリスト教やイスラム教でその原典を読んだことはない(歴史観 2007年12月01日 )。最後の審判という考え方は、人類にとって最後の希望の様な気もする。この7年後にはインターネットがその役割を担うのではないかと考えたこともあった(インターネットが最後の審判?2014年03月28日 )。しかしながら今、インターネットは人間社会をコントロールする手段として様々な利用のされ方をして、その行き着く先はよくわからなくなっている。所詮、人間の作り出したものは人間の知恵の範囲内でしか用いられないのかもしれない。

 この国がどうもおかしなことになっているんじゃないかと感じ始め、なんだか元気が出ない。その原因が新型コロナウイルス感染症のせいではなく、ただ単に、この国の政治家と役人によるものだということがわかってきてウンザリしている。新型コロナウイルス感染症は、今の日本の問題を次々と暴露している。その最たるものが、さほどの能力もないのに声ばかり大きく威張っている(謙虚さに欠ける)政治家(与党も野党も)と忖度と目先のことだけで大局観のないまま天下りと金のことしか頭にない(一般庶民のことなど理解できない)高級官僚(技能実習生受け入れ公益法人 金額にかかわらず前会長が決裁か NHK NEWS WEB )だ。

 がっかりするにもほどがあり、もう何も考えたくなくなってきた。というか、これまでいろいろなことを考えることができたということがいかに幸せなことであったのかということがよくわかる。こうしてみると、社会の様々な矛盾、無能な政治家、役人の存在、社会における要不要、ITを利用した新しい経済活動の可能性などを明らかにしてくれたという意味で、新型コロナウイルス感染症は最後の審判になるかもしれない。
 諸外国では、厳しいロックダウンを即座に行ったり、ワクチン接種を何とか進めたりと、冷静に対応していることを考えると、”日本にとって”の最後の審判になるような気がするのは、ちょっと残念な話ではある。
良心を求めて

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心配な大規模接種

2021年05月17日 | 自然災害・事故・感染症
 すでに梅雨入りしてそうな空模様。おまけにものすごい風。例年よりも三週間も早い入梅で、今年の梅雨は長くなりそうで、少々憂鬱になる。私は頭痛持ちではないが、そんな人はお気の毒だ。

 今日から高齢者向けの新型コロナウイルス ワクチン(モデルナ製)の受付が始まるそうだ。自衛隊が頑張る様で、ワクチン接種が一気に進むことが期待されるが、心配なのは重複申し込み。市区町村で予約している人は接種しない様に言っているが、一部の

 念のため(こっちでも受けておこう)

 なんてことを考えている人がどのぐらいいるか、それによってどれほどのワクチンが無駄になってしまうか。さらには、あっちからもこっちからも申し込んで1人で何回分も受ける人がどれほどいるか、心配になる。不正をする人が100人以下なら上出来だと思うがどうなることやら。そういう人がどれほどいようと、とにかく接種は進めるだろうし、無駄が出そうになったら”申し込み外れた人”に接種してあげられるシステムをしっかり実行してほしい。

 NHKのニュースで聞く限り、申し込みシステムは接種希望者の”良心”というか”マナー”に負うところが多い様で、このところの劣化している様に感じられるこの国の”民度”が改めて問われることになる。
期待を裏切らないで

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