こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

脱亜入欧の行き着いた先

2021年05月20日 | 日本のこと、世界のこと
 霧の向こうの木々の緑がぐっと濃くなった。午前中はなんとか持ちこたえたが、午後には本降りの雨。傘を持って出てこなかったが、帰りは置き傘を持って出た。病院を出た時はちょうど小降りで傘をさすほどではなかったが、せっかく持って出たので少しの間使った。明日はこれを持って出るか、長傘を使うことになるか、どうなるだろう。

 今朝、NHKのニュースで、プラスチックゴミ削減のために、容器のリユースを進めるという話をしていた。なんてことない、日本の出前文化はそのことをずっとやってきていたのに、いまさら何を取り立てて言っているのだと少々憤慨した。注文を受け、出前して、さらには皿・丼を下げにいく。そんな当たり前の風景がどうもおかしくなっている。世界中でもてはやされている、「もったいない文化」にしても、食材の大量廃棄が当たり前になってしまったこの国にしてみたら、てんでバラバラのことをしているわけで、羊頭狗肉というか、そのことを言われること自体が恥ずかしくなってきている。多くの日本人はこれまでずっとつましく、丁寧に生きてきた。

 なぜ、日本は日本の良さを世界に発信していかないのか、発信していくことができないのか。環境問題にしても、”身を切る改革”を誰もしようとしないし、それを発信しようともしない。出前にしても、もったいないにしても、もともと日本の文化に合っていたものであり、それが失われる前に復活させたらいいのに、それをしようという目立った動きはない。ただ、元の生活に戻すというだけなのだが。強欲とさえ見えるほどに何でもかんでも作るだけ作り、送りつけてそれで終わり。生まれるのは大量のゴミばかり。デリバリーに対してだって容器の回収を義務付けたらどれほどいいだろう。結局のところ、こんなリユースの動きはまた、欧米から導入していくのだろう。明治政府が掲げて以来綿々と続く脱亜入欧思想は欧米礼賛日本卑下で、つましい生活はいつのまにかセコイ生活と同義となってしまった。

 アップルが関連企業に対して再生可能エネルギーの利用率を高めることを要求してきた。脱亜入欧していたつもりだったのが、裏切られたように見える。だが、それは欧米グローバル企業の勝手とばかりいっていられるだろうか。日本がその総体としての生産性を高めることをがむしゃらに求めてきた結果が今の姿だ。そこで考えなくてはならないのはグローバル化が声高に唱えられている今、欧米が求めているのは日本が彼らの下請けとなっての追従ではなく、日本文化の発信による世界への貢献ではないだろうか。日本文化の持つ良さ、強みといったものをいかに世界の発展に役立てることができるか、お役人さんたちにはそういったことを考えて欲しいのだが、そういったことが中央官庁からなかなか聞こえてこないのはとても残念なことだ。
役人とか政治家って一体

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