こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

英語の論文、日本語の論文

2013年02月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
「向こうの先生って、病気についての問い合わせがあると、論文をささっと読んで、返事しているんですよね。私なんか、読むのだけで何十分もかかって、さらにそれを返事にしようとすればもっとかかるのに。やっぱり、英語が母国語でないとつらいですね。」
以前、海外留学から帰ってきた先生が、私にこんなことをこぼしていた。

今、医学論文を含め、自然科学の論文はほとんどが英語で書かれている。英語圏の国の研究が極端にすぐれているわけではなく、PubMedという、アメリカ国立医学図書館の国立生物工学情報センター(NCBI)が運営する医学・生物学分野の学術文献検索サービスが、インターネットの普及とともにどんどん、拡大したことが大きいと思われる。

したがって、医学において最新の知識・知見を得るには英文論文しかないといっても過言ではない。日本語での論文もあるにはあるが、世界中の人が共通の言語として使っている英語論文に比べれば、人口的にも圧倒的に少ない日本の論文が世界に立ち向かうことはほぼ不可能だ。私が専門としている分野など、国内には研究者が少なく、情報はやはり英語論文から得ることになる。

論文を書くにあたっても、非英語圏の学者が母国語で論文を書いても全く相手にされない。すくなくとも、抄録は英語で書いておかないといけない。
英語がコミュニケーションの手段ではなく、テストで点数をつけられるもの、と刷り込まれている人間にとっては、読むのも書くのもハードルが高い。
もともと科学論文というのは書式が決まっているので、型通りに記載してあるのだが、読むのも書くのも英語を母国語としない人間にとっては難しい。
特に、英語圏の学者の書いた論文のなかには、格調高く書いているのだという強い意志が感じられるような難しい単語が多くて読みにくいものさえある。その点、非英語圏の外国人による英文論文というのは、平易で比較的読みやすいが、それでもアルファベットもしくはそれに近い文字を使っている国なので、日本人からみればお互い方言を使っている程度にしか見えず、うらやましい。
中国で漢字をみれば7割方意味が分かるのと同じようなものだろう。そして、論文を書くのもわれわれ日本人よりは簡単に違いない。

だが、論文を読むのも書くのも言語の問題だけでもない。
結局のところ、日本語の論文でも読まない人は読まないし、書かない人は書かない。
リサーチマインドという言葉があるが、常にそういった感情を持っていないと、勉強はなかなかできない。気力も体力もいることだが、これを失ったら病理医なんてつまらないと思い、なんとかつないでいるが、いつまでもつか日々心配している。

何はともあれ、コロ健もただのぼやきにしないためには、標本をたくさん見てデータを出して、論文を書かないといけない。

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