こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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よりよく生きるにはどうしたらいい?

匿名性の暴走

2018年11月02日 | 電脳化社会

立って半畳、寝て一畳の例えのとおり、人一人が物理的に締めることのできる空間などたかが知れている。電脳空間の拡大によって一人が占めることのできるスペースというのが広がっているようにみえる。みえる、というのは実際のところはどれほどツイートされても、PV数が多い記事を書いても、そのこと自体を行なっている人は結局のところ一人の人間だ。

所詮一人の人間でしかないのに、複数のアカウントを持ったりして実数以上に多くの人間がいたりするように見せかけることができる。電脳空間は広いようで狭いから、その中で過激な意見、排他的な意見が増幅してしまうことがある。今のところそれを抑止する方法はないけれど、今は過渡期、近い将来には暴力的な匿名性を排除する方法が開発されるだろう。実際、Googleアナリティクスでは、Webページを詳細に解析することができるのだから、例えば攻撃的な意見を書いている人のことをある程度特定することはすでに可能となっている。

先月末はハロウィーンの騒ぎで渋谷がずいぶんクローズアップされていた。”仮装”という匿名化が暴徒化を招くという分析をされていたけど、仮装行列は昔からある行事で、それがコントロールされているかいないかの問題だ。コントロールされないようにある程度自制しないと、そのうちハロウィーン禁止、みたいなことになるから、気をつけないといけないけど、多分それは難しいだろう。来年の渋谷はどうなっているだろうか。

鎌倉の面掛行列は古くは被差別民の人の無礼講だったという話がある(面掛行列)。仮装行列とか仮面舞踏会とか、素性を”半ば”隠して行うことは人間を大胆にする。電脳化社会も同じで、”思考の無礼講”のような状態だ。人間はしょせん同じ穴のムジナ、考えることにそれほど大きな差はない。快不快、善悪の基準もそう大きくは違わない。だから、ネット上での攻撃といった事態に至るのだ。でも、人を傷つけてはいけない。匿名であっても、それぞれの人には心がある。匿名性をいいことに”論破して”人の上に立ったなどというのは勘違いに過ぎない。互いに納得できる意見交換が行われて初めて議論は有益なものとなる。

自分自身で制限を

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