某学会のとあるセッションの座長の依頼が来た。そのセッションのテーマはマニアックで、参加者の顔ぶれもだいたい想像がつくし、人数も少ないこじんまりしたものだ。 一応、その道のスペシャリストということで私に白羽の矢を立ててもらったわけで、それは名誉なことでありもちろんお引き受けした。スペシャリストといっても、人があまりやらないことを十年もやっていたら、日本では知らない人はいない程度にはなる。
それはさておき、この“座長”という言い方、なんだか偉そうで、私は好きではない。最近は、“司会”という言い方が多くなって来て、私が去年開催した研究会ではセッションの進行者は”司会”者にした。まあ、司会者でも座長でもいいのだが、これがあまり上手でない人に困らされることがある。どんな人が困るかというと、時間通りにセッションを終わらせることのできない人。そういう人は、そこにいる人の時間を奪っているということに気がついていない。
演説時間が7分のところを10分ぐらい話しているのを止められないでいるとか、フロアからの質問を延々と受け付けるとかで、時間を超過してしまうのだ。時間の超過は熱心さの表れではなくて、進行の不手際以外のなにものでもない。こんな人がいる 一方、質問が無いのに、自分でも質問を用意していなくて、会場がしばし沈黙の場となってしまうこともある。進行が上手にできる人は、少々つまらない人の演題を時間より 5%ぐらい短く切り上げ(10分なら9分半)、興味深い話は10%ぐらい時間を延ばす(10分を11分)。そして、全体を時間内に収める。もちろん、聴衆にも、発表者にも気付かれてはいけない。私もそんな進行ができればいいと思っている。
座長の仕事というのは、話す人(演者)も話を聴く人(聴衆)も、リラックスして、その場にいて互いにためになるディスカッションをして、「ああ、この話、聞いてよかった」と思えるようなセッションにすることだ。
とはいえ途中で止めるのはなかなか難しい