こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ああ、年をとったんだ・・・

2011年09月11日 | 妻の名言
北欧はノルウェー滞在2日目。
北海油田への玄関口の港町。スタヴァンゲル(Stavanger)から、リーセフィヨルド(Lysefjord)のプレイケストーレン(Preikestolen)を目指すことにした(訪問先はすべて妻の見立て)。まだ、時差ボケも取れていないのに…(ただ、今回は西に向かったので、比較的楽だ)。そもそも旅費節約のため変則的な経路で入国し、投宿したのは昨夜の11時だというのに・・・体はもつのか不安になる。

フェリーとバスを乗り継いで、近くまで行き、片道2時間の山道を歩いた。

日本でいえば、霧ケ峰あたりの湿原と同程度で、一応トレッキング用の靴を持って行っていたので出だしは、よかった。
ときどきあらわれる難所も、鎌倉のハイキングコースの難所(雨上がりの獅子舞、化粧坂)と同じようなもので、簡単、なはずだったのだが。

山歩きの要領がなくても、ちょっと歩ければ、あとは技術的に大変ということはない、ハイキングコースだ。実際、老若男女、実にさまざまの人が登っていた。

ところが、1時間くらいで疲れてしまった。

「さっき、フェリーで会った日本人のカップル、新婚旅行かな?まだ、30代前半の感じだよね。それにしても、しんどい。10年前は八島ヶ原湿原、娘(当時3歳ぐらい)を背負子におぶって歩けたのに、いまや自分ひとりでも、もうだめ」
と、先を歩く妻に嘆くと、

「よかったじゃない、こうやって自然の中で、自分が年を取っていくことを自覚できるなんて」

と、返された。

「世代交代って、わかるでしょう?ああやっておぶってあげていた子供たちが、次の時代の主役になっていくのよ」

ああ、年をとるって、こういうことなんだ。

そう自覚する。
人間も自然の一部、その存在がだんだんと年を取るものだということを自覚するのは、都市生活者であっては、なかなか難しい。
せいぜい、鎌倉駅かどこかで階段を駆け上がれなくなったときに、一瞬自覚するのが精いっぱいだろう。
そうしてみると、こうやって、自然の中で、老いを自覚することができるというのは大変にありがたいことだ。

10年前に子供をおんぶして歩いたことがなければ、そうはできず、10年前にそうしたこともよかったのかな、と思う(これまた妻に提案されて、がんばっただけだったのだが…)。

それにしても、あんな、断崖絶壁の上でよく見知らぬ人(件の日本人カップル)の写真が撮れる…そもそも、高所恐怖症のコロ健、ここに存在すること自体、自覚したがい。

もちろん年を取ってよかったことはたくさんある。
こうやって、残り少なくなった人生を、新しい気付きを味わいながら生きるのもその一つだ。
だけどやはり、ひざと足首はいつも通り痛く、断崖絶壁への2時間と同じくらい苦労して山を下り、路線パスに飛び乗って、フェリーでスタヴァンゲルにもどり、港町の飲み屋でビールを飲んだ。
そしたら、すっかり元気になった。酒の味も、若い時よりは多少わかるようになったと思う。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ人気ブログランキングへいずれかをぽちっとよろしくお願いします。