群馬ケンミンのひとりごと2

群馬に住むケンミンが県内の出来事やイベント・鉄道旅行などを紹介しています。

あさま山荘事件から40年

2012-02-28 16:17:00 | 警察
昭和47(1972)年2月28日(月)テレビ各局は、連合赤軍メンバー5人が人質1人をとって立てこもり、警察官ら3人を射殺した「あさま山荘事件」から40年が経過した。

あさま山荘事件は、同年2月19日(土)に長野県軽井沢町にある保養所「あさま山荘」で発生した。事件発生から10日目の2月28日に事件が集結した。

ケンミンは当時4歳。鉄球が「あさま山荘」を壊しているのテレビの生中継を見ていた記憶があります。

読売新聞群馬版では、「あさま山荘40年」という特集記事を掲載しています。

テレビ各局では、朝から生中継を約10時間放送し、NHKと民放を合わせた視聴率は、18時26分に89.7%で、ほとんどの国民がこの事件を見ていた計算になります。

事件から30年後には、映画化され東映にて「突入せよ!あさま山荘事件」(2002年5月11日公開)。この映画で登場する軽井沢警察署の中のシーンは、桐生市にある群馬大学工学部内にある同窓会館にて撮影されました。ケンミンもエキストラで出演しました。

そしてNHKでも30年後の2002年正月に「プロジェクトX」にて2回わたって特集されました。

当時の警察庁長官は後藤田正晴氏。あさま山荘人質救出作戦として6つの命令が出されたそうです。
1.人質は必ず救出せよ。これが本警備の最高目的である。

2. 犯人は全員生け捕りにせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾を引く。国が必ず公正な裁判により処罰するから殺すな。

3. 身代わり人質交換の要求には応じない。とくに警察官の身代わりはたとえ本人が志願しても認めない。殺させる恐れあり。

4. 火器、とくに高性能ライフルの使用は警察庁許可事項とする。

5. 報道関係と良好な関係を保つように努めよ。

6. 警察官に犠牲者を出さないよう慎重に。

1~5の各項目は達成されたが6項目は達成されなかった。