群馬ケンミンのひとりごと2

群馬に住むケンミンが県内の出来事やイベント・鉄道旅行などを紹介しています。

スバル360の発祥地・伊勢崎

2016-07-31 22:42:00 | 群馬の話題
群馬県内初の機械遺産に選定された富士重工業(株)の「スバル360」。

「スバル360の発祥地」である伊勢崎市平和町にあった、富士重工業(株)伊勢崎第二工場跡地(現:伊勢崎ショッピングモール)へ久しぶりに寄って見ました。

↑工場跡地には、現在、「伊勢崎ショッピングモール」になっており、東端に 赤いレンガのノコギリ屋根がモニュメントとして残されています。

そして、今年の「いせさきまつり」では、平成28年8月6日(土)午後2時からのオープニング・パレード(午後2時30分~午後4時00分)の4番目として、全国から集まったスバル360・20台が約1km走ります



↑説明パネルが見やすくなっていました。

↑工場跡地は「伊勢崎ショッピングモール」になっています。東武伊勢崎線・新伊勢崎駅~伊勢崎駅の高架橋を走る電車内からもショッピングモールが見えます(赤レンガのモニュメントは電車内からは見られません)。

では。


第36回境ふるさと祭り

2016-07-30 22:32:00 | 群馬の話題
伊勢崎市境地区(旧佐波郡境町)では、毎年8月第一土曜日・日曜日に、境ふるさとまつりが開催されています。今年は日程の関係で、7月30日(土)・31日(日)に行われました。


今年で36回目を迎えました。この祭りは境地区にある瑳珂比(さかい)神社境内に祭られている天王宮の祇園祭が始まりで、以前は「境祇園祭」と呼ばれていました。

境バイパス(現在の国道354号線:東毛広域幹線道の一部)が開通したことから、昭和56年から「境ふるさとまつり」の名前で、境町駅通りほかで開催されています。


↑初日の7月30日が祭りのメインで、各地区から屋台や山車、みこしなどが出され、また地元の各種団体によるパレードが旧国道354号線で催されました。


↑3台の大型屋台(三ツ木・女塚・栄街)は、旧境町(現伊勢崎市境)に編入合併される昭和32年以前、旧新田郡世良田村に属していたので、世良田祇園まつり(今年は1週間前の7月23日に行われました)に参加していました。


↑そして、午後7時過ぎから、9台の屋台・山車が境町駅入口交差点にて集合し、祭ばやしのたたき合いなどで、クライマックスを迎えました。


では。


慶長伏見地震

2016-07-29 09:22:00 | 大河ドラマ
NHK大河ドラマ「真田丸」は、前回7月24日(日)の放送は、第29回「異変」でした。

ドラマ最後の方で、慶長伏見地震(1596年)が発生しました。地震の規模はマグニチュード8だったそうです。秀吉が59歳の時でした。

この地震で、秀吉が最初に作った京都の伏見城「指月(しづき)城」は、完成からわずか2年で崩壊してしまい、すぐに埋められてしまいました。

幻の城と言われた指月城は、昨年(2015年)、マンション造成地の発掘調査で、金箔瓦などが出て、専門家を驚かせました。確かに指月城はあった!

↑幻の城「指月城」の最寄駅のJR奈良線・桃山駅。


また4月10日放送の14話「大阪」では天正地震(1586年)が発生(マグニチュード8)しました。

この時、家康軍(4万)を討とうとしていた秀吉軍(10万)は、戦いの前に天正地震が発生し、大垣城が倒壊して食糧が燃え、さらに長浜城も壊れて家老を失い、かなりの被害を受けました。一方、家康の地域では、地震の被害はほとんどなく、秀吉は、家康を討つことを断念しました。秀吉が49歳の時でした。

そして天正地震の10年後に、慶長伏見地震が発生してしまい、秀吉は、2度の大地震に翻弄されてしまいました。

慶長伏見地震から2年後(1598年)に、秀吉は病死(61歳)し、さらに2年後に「関ヶ原の戦い」が起こります。

もし、2度の大地震がなかったら秀吉は家康を討てたかもしれません。

こんなサイトを見つけました。

静岡文化芸術大学教授の磯田道史さんが、NHK「視点・論点」でも、地震について話していました。

では。


前橋育英が優勝!

2016-07-28 09:16:00 | 高校野球
夏の高校野球・群馬大会は、今日、決勝が行われ、前橋育英と健大高崎の試合です。

どちらも甲子園へ出場経験があります。

3年ぶりに前橋育英が勝つか、3連覇なるか健大高崎。

試合は10年ぶりの決勝でも延長戦となり、12回で試合が終了。

8対4で前橋育英が3年ぶり2回目の甲子園出場を決めました。

詳しくは、上毛新聞サイトへ。

では。