ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

絵を描くことで、孤独の寂しさを楽しさに変えてくれる

2008-05-09 09:32:03 | 犬たち

絵を描くことで、精神面でどんな効果がありますか?との質問にお答えします。
絵を描く効果はいろいろありますが、最大の効果は、「孤独を楽しめる」ことだと思います。それば孤独に耐えることではなく、紛らわすことでもなく、孤独を積極的に受け入れ、孤独も悪くはないな、楽しいなと実感できることだと思います。

私のビジネスマン時代の後半20年間は、小さな広告会社の経営の仕事をしていました。60歳の定年退職を機に画家になったのですが、会社経営から画家への転職は、魚家がバレリーナになったほどの超畑違いの転職でしたが、最大の戸惑いは業態そのものの違い以上に、集団作業から単独作業への大転換でした。
会社経営とは、組織という人間の集団を動かすことであり、たえず人のことを意識し、人を考え、人を組み替える・・・人・人・人を相手にした仕事で、喜びも辛さもそしてストレスも集団を相手にするがゆえに生じたものでした。
一方画家の仕事は、全くの一人っきりの仕事でした。誰に頼まれたり命令されたりして絵を描くのではなく、ヘタな絵を描いても誰の迷惑にもならず、他人との共同作業や協力の余地すらなく、自分ひとりだけのすべて自己責任の完全な単独作業でした。
戸惑う期間を過ぎて訪れたものは、これまで味わったことのない100%の自由が目の前にありました。私のためだけに、手つかずの未開の荒野が広がっていました。
絵を描くことは、自己の内面を描くこと。ひとえに自己の心を耕すことを知りました。それは孤独を積極的に楽しむことそのものであることも知りました。
私はその時点から絵を描くことにのめり込み、そして現在に至っています。

 定年退職以降、人は孤独に悩まされると聞きます。
濃密な付き合いだった仕事仲間から離れ、その年齢では子供たちも家を離れ、還らぬ人も出てきます。
孤独の寂しさは誰しも切実に経験することです。しかし考えてみれば、元来人はみな孤独なのです。愛する・愛される人がいようとも、孤独から逃げることは出来ません。本来人間は天涯孤独なのです。
ならいっそ、孤独を受け入れ、孤独を楽しむことが出来ないだろうか。
その答のひとつとして絵を描くことがあるように思えます。

 年を重ねるにしたがって孤独が深化していきます。それは避けられないことです。しかし、孤独の寂しさを楽しさに変えてくれる、豊かさに変えてたくれる、それが絵を描くことかもしれません。

 

 


多動性障害から、実り豊かな多動性生涯へ

2008-05-05 09:48:26 | 犬たち
私の子供時代は「多動性障害」に悩まされました。
「多動性障害」とは注意欠陥ともいう行動障害のことで、落ち着きがなく集中力が持続できない、物忘れが激しい・・・みんなが静かに机に向かって勉強しているのに、ドカドカ教室中を走り回っている子供がいますね。それが子供時代の私でした。
そのため田舎の小学校といえども落ちこぼれ寸前のひどい成績でした。しかし絵だけは上手だったと想像するでしょうが、絵もヘタというより、好きでもありませんでした。
「多動性障害」の性向は子供時代に顕著でしたが、大人になれば消えてしまったかといえばそうではなく、現在でも私はしっかりこの性格を持っていると思っています。
ただ、社会人となった当初は、仕事とはチームプレーで作業するわけですから、多動性からくるケアレスミスのため、チームに迷惑をかけることが多々あり、その反省から不注意によるミスが少なったように、年輪を経て多少は正常化してきたのは事実ですが。

非の打ち所のない性格などないように、逆に欠点だらけの性格などありません。
性格は両刃の剣そのものですから、多動性も立派な性格で、欠点もあれば、長所や魅力となる部分もあります。
たとえば多動性の長所は、好奇心旺盛でチャレンジ精神が強い、これまでの伝統や常識を覆して新しい新機軸なものを創り出すことに関心が高い、なんといってもひらめきやアイデア能力に優れている・・・。
60年以上も多動性の傾向と向き合っているうちに、自在にこの性格の短所を引っ込め、長所を引き出す術を充分コントロールできるようになり、自分で言うのも何ですがこの性格は大好きです。

長所の最大のひとつが(短所と眉をひそめる人もいますが)「せっかち」なところです。せっかちとは時間を有効に使おうとするための現象であり、それは誇るべき性格だと思っていますが、残念ながら「せっかち」は世間では正当に評価されていないようです。
元来人間は不平等ですが、唯ひとつ絶対的な平等があります。それは時間です。
大富豪もホームレスの方でも1日は24時間。1時間は60分です。ならば神から平等に与えられた時間をだらだらと無為に過ごすことと、密度濃くせっかちに過ごすこととはどちらが豊かな人生と言えるでしょうか。
せっかちな人はのんびり気分を味わうことがないんでは、と危惧する人もいますが、それは間違いです。充分のんびりした時間を楽しんでいます。
ただし常人はのんびりするには3時間ほど必要なのに対し、せっかちな人は3分で充分のんびり気分を満喫できるのです。

多動性障害の私は、実り豊かな多動性生涯を送りたいと思っています。



トレース水彩画ではスケッチ画でこそ、その真価を発揮します

2008-05-02 08:12:37 | 犬たち


これまでのスケッチ画の描き方は、スケッチブックと画材一式を持って、描きたいところを探し当て、その場でスケッチブックを広げて絵を描くこととなっています。
だから場所にも制約があり、季節や気候に影響され、道行く人に見られるストレスもあり、対象の風景もドンドン変わり、たとえば人や犬など動くものは苦手・・・と、とても厳しい条件の中で絵を描かなければなりませんでした。

 上の絵「スケッチ画偏1.最新カメラ機能をフル活用したスケッチ画です」の素となった写真は、イタリア・トスカーナの旅ツアー企画でのポルトフィーノという小さな港街の情景を描いたものです。
この街には船でしか入ることが出来ず、船から身を乗り出して写した写真から描きました。
古い城や教会の見学や街での買い物、食事等で約5時間ほど滞在しました。その間ごく普通の観光客としてフルにエンジョイしながら約200枚の写真を写し、帰国後この写真の中から数枚のスケッチ画を描きましたが、この絵もその一枚です。
もしこの旅の中で従来の方法でのスケッチ画を描くとすれば、旅の楽しきを大幅に犠牲にしなければならず、他のツアー客に多大な迷惑をかける恐れも生じます。ツアーという団体旅行でこの街を描くには、トレース水彩画以外には無理かもしれません。

 トレース水彩画のスケッチ画と、これまでのスケッチ画との違いは

          ・ 持って行くものはボケットに入る小さなカメラだけ
          ・ 自由なアングルから、風景などの対象物を捉えられ.る
     ・ 動くものでも、その一瞬を捉えられる
          ・ 撮った写真から描きたい1枚を選ぶことが、重要な絵への第一歩
          ・ 絵は描きたい時、自室などの描くための最適な環境で描くことができる

そもそもスケッチ画のスタイルを確立したのは20世紀の初頭、印象派の画家たちは南フランスの圧倒的な光を捉えようと、このようなスタイルを作ったのです。
直接風景をスケッチブックに写し、その絵と印象を、自分のアトリエの巨大なキャンバスに投影したのです。つまりスケッチは作品ではなく、アトリエで描く絵のための手段としての役割でしかなく、その当時今のような高性能のカメラがあれば、スケッチなどしなかったかもしれません。
しかし、その当時はカメラはあったものとても使える状態ではなく、次善の策としてスケッチしたのです。
事実、プロの画家の多くは、写真を多用しているのはそのためなのです。

トレース水彩画は私が開発した画法ですが、(後で気づいたのですが)別に目新しい画法ではなかったのです。
絵のプロたちが写真をコピーする方法は以前から取り入れていた画法なのです。プロといってもイラストレーター・漫画家・建築家そして画家(絵の先生)などでrが、彼らはどういうわけか頑なに“写真をなぞって描く”ことを秘密にしていたのです。

森羅万象すべてのものが時代とともに進化しています。
誰もがカメラを持つ時代になった今、絵を描くための道具としてカメラを使うことにより、より多くの人がより深く絵を描く楽しさを堪能する、それは当然のことではないでしょうか。