経営コンサルタントへの道

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業3 アメリカ初体験 3-4 生まれて初めて外国の地に降り立つ

2024-01-26 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業3 アメリカ初体験 3-4 生まれて初めて外国の地に降り立つ

 

■ 【小説風】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。

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【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空

■■ 3 アメリカ初体験

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆3-4 生まれて初めて外国の地に降り立つ

 サンフランシスコ空港に降りたった。
 空港のターミナルビルに、飛行機から乗客がはき出され、ターンテーブルが何機も廻っているところまで流れに沿って歩いた。自分の荷物が出てきた時には、何となくホッとした。それまでは、乗客が一団となって動いていたが、周りを見ると日本からの乗客かどうかがわからない人たちばかりに見えた。どちらに行って何をしたらよいのかわからない。
 アナウンスが何かを伝えていることはわかるが、聞き取れない。英語のリスニング力に本当に自信があったわけではないが、少なくても平均的な日本人よりは遙かに自信があったはずである。反響する声は、英語なのかどうなのかもわからない。
――俺は、この国でやってゆけるのだろうか。わしはこんな所へ来とうはなかったと今更言ってもはじまらない――急に恐怖に襲われると、寒気がするほど身震いをした。
――落ち着け、落ち着け――
 深呼吸をしたが、アナウンスは一向に理解できない。
――日本人らしき人が行く方向にとりあえずついて行ってみよう――
 落ち着いてくると、数人の日本人が、一つの方向に流れていくのがわかった。周りを見回すゆとりも出てくると、『税関』という文字が見えた。
――そう言えば、『入国したら税関のチェックを受けて、荷物を調べられる』と出国前に旅行社の人からもらった資料に書いてあったな――思い出したら、歩く速度も上がってきた。

 ニューヨーク行きの飛行機に乗り換えも済んだが、今までは日本の航空会社で、スチュワーデスも日本人だった。ところが、乗り継ぎの飛行機はアメリカの航空会社で、日本人のスチュワーデスもいないし、乗客もほとんどがアメリカ人であった。少なくても、竹根には、アジア人以外は、すべてアメリカ人に見えたのである。

 サンフランシスコからのひきつづきの長旅も終わりに近くなった。ニューヨークの夕方の景色が見えると『翼よあれがニューヨークの灯だ』と、関係もないことを思った。日本から合計すると十五時間近い飛行であった。
 空港には、福田商事が利用している航空貨物会社の社員が出迎えてくれた。そのときの安堵の気持ちは、月並みではあるが、地獄に仏であった。

  <続く>

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