My Song My Foolish Heart

4月に12年の単身赴任が終わりました!、山が好き、キースジャレットが好き、街道歩きが好き、2012年中山道を完歩しました

豊臣家の人々  日本人はラテン系

2015-01-09 01:30:46 | 2015年本


司馬遼太郎 豊臣家の人々

この時代の本はくさるほど読んだ、何回関ヶ原の戦いの場面を読んだか・・・

でも読んでしまう。

この本面白いのが一人ずつ順番に書いてるところが面白い、流れでなくて一人一人

1章 殺生関白(豊臣秀次)2章 金吾中納言 (小早川秀秋) 3章 宇喜多秀家  4章 北の政所 5章 大和大納言(豊臣秀長)

6章 駿河御前(秀吉妹朝日) 6章 結城秀康 7勝八条宮 8章 淀殿・その子

とりあえずおもしろい個性ぞろい

豊臣家人物とまとめてみるというのはこの本ぐらいなんでは

やはり淀殿が一番、おもしろくて、滑稽な感じがする。

最後の夏の陣に結局秀頼を一度も表に出さずに母子とも隠れていたというのもなさけない話だが

それにしても母の子離れしてないのとマザコンの究極の姿ですね。

そうして思うと真田幸村が不憫でならん・・

豊臣秀吉に男の子が3人とかいたらしっかりとした跡継ぎがいたら

時代は変わってたのではないかと思います。

たぶん、もっとラテン系な国になっていて開国も早々として優秀な人間は外国に行き

もっと違った日本になったのではないかと思いますね。

秀吉に子がなく、晩年くるったようになったのも跡継ぎの為・・・

そして淀君にうつつを抜かしたせいか

儒学なんてくそくらえ!ておまつり騒ぎの国になったのではないかと思うのです。

日本人の勤勉でまじめな性格は江戸時代に作られ明治により強固になったのでしょう。

今の日本人の姿てもともと日本人のDNAではなかったはず。

性も自由奔放だった、いけいけどんどん

お祭りは暗闇で男と女がやるのが目的みたいなもんだった

奈良時代の歌垣の習慣なんぞすばらしい、今でいう暗闇でやりたい放題の乱行パーティ

みたいなのを公然とやってたのですからね。

本来日本人はラテン系なんだなと思います。

窮屈ですよね日本人、ほんとにそう思う。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
« 新年会 肉の万世!肉食いま... | トップ | 18きっぷ 水戸線ぶらり »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (おちゃ)
2015-01-09 14:44:00
私もたぶんこれ読んだなあ。「たぶん」というのは
なんともいいかげんですが、司馬遼太郎については
関ヶ原や竜馬や国盗りはともかく、読んでいても
タイトルを明確に覚えていないものが多いのです。
誰でも、歴史を知らなくても、いきなり読んで楽しい
司馬遼太郎。

ラテン系ではないけれど、関ヶ原の石田三成に
昔、しびれました。新幹線で佐和山城址よこを
通るとあの小説をいつも思い出します。

掲題の小説、親がエライと、育て方を間違えると、
子は大変なことになりますね。
返信する
Unknown (ken)
2015-01-11 00:24:50
おちゃさん
たぶん自分も二回目?かと思います。
若いころ司馬遼太郎はよく読みました、読みやすく
面白かったです、
石田三成ですか、優秀な人間ですね、いわゆるエリート
ですね。
自分はやはり真田幸村が好きですね、最後の大阪夏の陣はしびれますね。
あと上杉謙信も好きな戦国大名です。
たぶん自分の先祖は毛利一族なはずなのですが・・
返信する
Unknown (おちゃ)
2015-01-11 07:09:05
石田三成は優秀なんでしょうけど、一方で私はかなり
彼が不器用な人間だと感じました。「関ヶ原」では、
急速に変化する時代の中で、他人の顔色伺いながら
行動する武将が多い中、石田三成は違って、
転向することもなく最後まで行ってしまう。

話は違いますが、真田幸村の子孫にあたる方と
以前一緒に働いていたことがあります。
穏やかな方でした。

そういえば最近スケーターで織田信長の子孫が
よくテレビに出ていますね。


返信する
Unknown (ken)
2015-01-11 19:28:06
おちゃさん
石田三成は不器用というか一本すぎるところが
あるようですね、もう少し黒田如水のようなところが
あれば違ったでしょうね、彼をここまで動かしたのは
淀君の影響が大きいでしょうね。
関ヶ原で顔色うかがった大名も結局のところつぶれて
しまったのや減封されてしまいますよね。
自分の名字は毛利の本名なので勝ってに毛利の子孫
と思ってます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

2015年本」カテゴリの最新記事