差別用語に関しては編集をしていた時に結構勉強しましたが、言葉狩りに
なってしまっているのが日本の現状みたいな所があって、こういう表記を
しなければ大丈夫という考え方がそもそも問題だと思っていたのですが、
今日、乙武 洋匡さんの下記のTwitterの発言が本当に本質だと思います。
声高に「差別用語は良くない」と叫ぶ人ほど、「私は差別してないです」
というポーズを取りたいだけだったりする。無意味だよ。
差別って言葉は丁寧でも「お気の毒に」ってやんわりと相手を毒だと
思って遠避ける気持ち、自分は普通ですって相手を遠巻きに拒絶している
そんな意識の表れじゃないかなと思います。
昔、大学を出てすぐに中学校の美術の先生をしていた時に週に何時間か
養護学級の生徒を担当していた時があった、その時に接した時間は大変
学びになったし、その後に活かされている。
でもそれを講座で話した事があったが、ある学生がそんな表現をしたら
悪いイメージを持つから言わない方が良いと言ってくる学生がいた。
その時は、何だか考え方が違うなと思ったが後で色々考えた時に
実は、その学生がボランティアとかをしていたと言っていたが、
一番自分が「私は差別してないです」って叫んでいたけど、意識の底で
最も差別しているんじゃないかと思えてきた、その時と同じ感覚を
今回の乙武 洋匡さんの発言で思い出しました。
乙武 洋匡さんみたいに笑い飛ばせる意識が本当に大事だと思うし
正直、みんなどこかにコンプレックスみたいな弱点はあるはずだけど
俺も色々あるけど、それをネタにして笑い飛ばして、ウケを狙いたいと
それが大事だと私は声を大にして言いたいです。
なってしまっているのが日本の現状みたいな所があって、こういう表記を
しなければ大丈夫という考え方がそもそも問題だと思っていたのですが、
今日、乙武 洋匡さんの下記のTwitterの発言が本当に本質だと思います。
声高に「差別用語は良くない」と叫ぶ人ほど、「私は差別してないです」
というポーズを取りたいだけだったりする。無意味だよ。
差別って言葉は丁寧でも「お気の毒に」ってやんわりと相手を毒だと
思って遠避ける気持ち、自分は普通ですって相手を遠巻きに拒絶している
そんな意識の表れじゃないかなと思います。
昔、大学を出てすぐに中学校の美術の先生をしていた時に週に何時間か
養護学級の生徒を担当していた時があった、その時に接した時間は大変
学びになったし、その後に活かされている。
でもそれを講座で話した事があったが、ある学生がそんな表現をしたら
悪いイメージを持つから言わない方が良いと言ってくる学生がいた。
その時は、何だか考え方が違うなと思ったが後で色々考えた時に
実は、その学生がボランティアとかをしていたと言っていたが、
一番自分が「私は差別してないです」って叫んでいたけど、意識の底で
最も差別しているんじゃないかと思えてきた、その時と同じ感覚を
今回の乙武 洋匡さんの発言で思い出しました。
乙武 洋匡さんみたいに笑い飛ばせる意識が本当に大事だと思うし
正直、みんなどこかにコンプレックスみたいな弱点はあるはずだけど
俺も色々あるけど、それをネタにして笑い飛ばして、ウケを狙いたいと
それが大事だと私は声を大にして言いたいです。