気分が滅入った時、疲れた時に案外、禅とか仏教の本には良い事が書かれてます
信じる信じないと言うよりも、迷っている人に対しての教えが過去何百年何千年と
蓄積されているのは素晴らしい経験だと思いますし、そんな古の昔から案外
人の悩みというのは変わっていないと言うのも切ないものですが。
そこで、目に留まったのがこの言葉、「無功徳(むくどく)」というのですが
これだけやった、これだけ頑張ったから見返りを意識・無意識は別にして
求めてしまう事をかの有名な達磨大師が戒めて言ったことばでありますが。
見返りを求めているからこそ、自分の行いにも手心が加わったり、もう良いかという
慢心が現れたりするのだろうなと思う、決して悪い事をしている訳では無いですが
よい事をする、その成長の機会にも邪な心によってその向上心を阻害する、自分の
中の障壁を取り除くという意味では、たまに文字を目の当たりにして心新たにしないと
最近ついついという気持ちがわき出ている気がします・・・
少し出来たり、慣れて来るとこういう「無心で取り組む」という初心を忘れてしまう
人って甘い生き物だなって思います、自分だけかも知れませんが。
信じる信じないと言うよりも、迷っている人に対しての教えが過去何百年何千年と
蓄積されているのは素晴らしい経験だと思いますし、そんな古の昔から案外
人の悩みというのは変わっていないと言うのも切ないものですが。
そこで、目に留まったのがこの言葉、「無功徳(むくどく)」というのですが
これだけやった、これだけ頑張ったから見返りを意識・無意識は別にして
求めてしまう事をかの有名な達磨大師が戒めて言ったことばでありますが。
見返りを求めているからこそ、自分の行いにも手心が加わったり、もう良いかという
慢心が現れたりするのだろうなと思う、決して悪い事をしている訳では無いですが
よい事をする、その成長の機会にも邪な心によってその向上心を阻害する、自分の
中の障壁を取り除くという意味では、たまに文字を目の当たりにして心新たにしないと
最近ついついという気持ちがわき出ている気がします・・・
少し出来たり、慣れて来るとこういう「無心で取り組む」という初心を忘れてしまう
人って甘い生き物だなって思います、自分だけかも知れませんが。