「日々、キャリア」降矢一朋の気付きメモ日記!

日常の自分が感じた「?」や「!」な事を書き留めたサイトです。

今の仕事をするに至ったルーツを思い出しています。<大学編>

2011年06月18日 | Weblog
大学に入ってから絵を始めたみたいなものなので何をやっても非常に
新鮮で刺激的な大学生活を堪能させて頂きました、ただ、基礎の事で
二年間、興味のない事もやったり、もっと美術に関する専門的な
知識が学べるのかなと言うのはあまり無かったというか、授業では
実技中心だったので、もっと貪欲に大学の先生に関わって行けば良かったと
今では思います、後半はゼミに入って二科会の「松井正」先生に教えて
もらいましたが、この2年間が人生で一番絵を描いた時期だと思います。

そこで学んだのは案外人は認めてくれるものなんだと言う事です。
自分なりですが一生懸命取り組んで居たら、卒業の時にゼミ賞を貰いました
絵で賞を貰ったのはこれが初めてでしたし、やれば何とかなるという事を
学んだ、そしてもう一つこの世界で食べて行ける様になるなんて俺には
無理だなって、この経験を活かして何かするべきだとも思いました。

やっぱり先生だなって言う事で進路は中学校で常勤の講師として一年間教える事に
なったのです、そこでも良い先生との出会いがありました、バスケット部の顧問を
されていて、私も高校の時にバスケットをしていたのでお手伝いをさせて貰う
事が出来て、一年間部員の指導をそばで見る機会を得られた事、これは本当に
人生の財産とも言うべき経験を頂きました。

教えるって言う事の奥深さに圧倒された部分もありました。

だから自分の技術や、美的な部分をもう一度見直したいという気持ちで
その後、デザイン事務所に入ったと言うのがあるかも知れません、ここで
仕事の基礎を色々と教えて頂いたりしましたが、途中からこの事務所が
カラオケボックスまで作る様な事まで手を広げて、方向性が違ってきた事も
あり、今の会社の編集制作の部署に転がり込んだ訳です。

暫くはそこで編集の仕事に勤しんでいた訳ですが、ジョブローテーションで
営業部署、代理店の管理、そして今の大学担当の部署に来た時に巡って来たのが
学生相手に就活の話をするという教える仕事、また巡って来たんですね。

それから、試行錯誤しながらですが学生との相談で聞いたある言葉がきっかけで
本格的に勉強し始めました「やりたい事が分からないんです」って声。

今まで自分の中に嫌な事をするという感覚も無かった、ましてややりたい事しか
してきてないのに、やりたい事が無いという人がいる・・・これは困りました。

そしてこれにも答え方があるんだろうと思って、カウンセリングをはじめとして
いろんな事を勉強して試行錯誤し、創意工夫を重ねてきて今のスタイルに落ち着いた
今も試行錯誤していますが、結局は小さい時に思っていた、先生のイメージ。

熱血の先生が生徒に語る! あの時のあれだなって思う時があります。
思いってそんなものなんですね。

今の仕事をするに至ったルーツを思い出しています。<高校編>

2011年06月18日 | Weblog
昔、漠然と先生という仕事に憧れて、それは最初お医者さんだったと思うのですが
単にそれは自分が幼少の時に病弱なのでお医者さんにかかる事が多かったのが
原因で、親父の仕事も知らなかったからだと思います、現実にそれを実現できる
頭も持ち合わせてはいなかったというか、小学校の間に現実に引き戻されました。

次に良いなと思ったのが学校の先生ですね、これは理由はハッキリしています
学園ドラマの影響が大です、「とびだせ青春」とかは何回も見てました、
そして漠然とあんな風に学生と関わりながら一生懸命何かやるみたいな事を
イメージしてたと思います、だから高校を卒業する時に進路選択をするのに
「教員免許」が取れる事が重要だった、でも高校時代勉強をサボっていて
部活しかしてなかったので、選択肢が限られて体育大学か美術大学しか
無かったんですね、それで選んだのが今も仕事でお世話になっている、
大阪芸術大学なのですが、高校の総体が終わったのが8月のお盆過ぎ。

それから高校2年の時の担任が美術の先生だったので、相談に行くと
知り合いが芸大受験のアトリエで教えているからと8月の末から通い始め
デッサンなんてした事も無かったのに、無謀にも試験を目指したんですね
廻りでは一生懸命準備していた人もいるのに失礼な話ですが、12月に
推薦試験でラッキーな事に受かったんですね、本当に色々な人にお世話に
なりましたし、迷惑をかけました。

推薦と言う事で内申書が多分良かったと思うんですね、成績的には誇れないので
でも、生徒会活動や部活もやってたりしてたので学内では真面目に見られて
いたと思います、何か変な事をすると部活の先生にボコボコにされますから
本当に目に付く所は真面目だったと思います、高校自体はやんちゃな学校
でしたが、流されずに面倒を見て頂いて躾けて貰った事には感謝しています。
卒業式の時には生徒会の関係で代表で前に何か記念樹の目録かなんかを渡しに
出て行った記憶があります、他に人材がいなかったという悲しい高校ですよね。

ここでも良い先生との出会いが多々あった訳です、人生に関わる仕事です。


~まで高校編です。

2年前の思いを新たに!

2011年06月18日 | Weblog
奈良の薬師寺に玄奘三蔵[げんじょうさんぞう]をお祀りした玄奘三蔵員伽藍
というのがありまして、そこに大好きな平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵
求法の旅をたどる「大唐西域壁画」を見に行った際に、目にした言葉に感動した

「貧道爲求大法。發趣西方。若不至婆羅門國。終不東歸。縱死中途。非所悔也。」
(私は大法を求めんが為に西方に発とうとしているのです。もしバラモン国に
 至らなければ、けっして東に帰って来ません。中途で死んでも悔いはありません)

覚悟のある「不東」の言葉がストラップになっていて買って来たのがこれです。



最近、覚悟を決める為に改めて携帯につけて毎日この言葉を眺めてますが、
改めて、今頑張らないといけないよなと心新たな気持ちで頑張りたいと
思う様になっていますが、意識は大事ですしそこから変えないといけません。

今、この言葉が必要な方はこの国の国会に多数いる様な気がしますが・・・


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