昨年の事を思い出して自分の事の様に悲しくなってしまいます。
葬儀の時はパニックに近かったので、案外何とか持ちこたえられるものですが
時間が立って、記憶も感情もある程度整理されてくると言いようも無く寂しくなります
先日も仕事で昔住んでいた鶴橋付近を電車で通った時に、家の裏にあった
工場の懐かしい佇まいを見た時に、色んな事がフラッシュバックしてきて
知らず知らず目頭が熱くなって涙が出て来ました。
子供の時の親父の姿や、忙しかったけど色んな所に連れて行ってくれたり
優しい、いつも背中で語りかけてくれていたあの声がもう聞けないと思うと
本当に寂しいという気持ちになります。
ニュースの映像でのこされた海老蔵さんが、寂しいですって言う気持ちが本当に
良く分かります、普段は離れて暮らしていてそんな頻繁に話もしてなかったのに
3年前に癌で入院して手術した時に、初めて日常の一緒に過ごす事の尊さと
貴重な時間というのを改めて実感し、それからは出来るだけ時間を作って会いに行き
一緒に過ごす時間を作ってきました。
ソクラテスの弟子であるプラトンが師匠との対話を記した「プラトンの対話編」
というのがあるが、同じ様に亡くなった親父との対話は今から始まるんだろうなと
思います、ここで自分達が忘れてしまったら存在が消えてしまいますし、いつまでも
心の中に住まわしておきたいと思います。
自分が天寿を全うしたときに、会いに行きその時に頑張ったなって言われるように
胸張って生きて行かないと、申し訳無いですし自分の子供達に自分の背中を見せて
頑張らないといけないなって言うのを、海老蔵さんのコメントからも感じます。
前に居た人が居なくなり、目の前の視野が広がった事の孤独感もあるでしょうね。