人に何かアドバイスや苦言を呈するっていうのは
非常にパワーを使いますし、決断も伴います。
その人の為に良かれと思っての愛情的なパワーと
その事によって嫌われてしまうかも知れないという決断。
だからこそ愛情の裏返しは「無関心」なのだと思うのです
自分に対して、良くも悪くも意識が向けられたら、自分に対して
何らかの愛情っぽい。自分に対しては受け入れがたくとも
理解出来なくても、無関心ではない気持ちが突き動かしているんだと
自分が人に指導する立場の辛さを分かって居る人ならば
この事にご理解頂けるのですが。
案外、学生さんにはその気持ちが伝わらない方がいますが
致し方ないなと思いながら、寂しくなること多いです。
非常にパワーを使いますし、決断も伴います。
その人の為に良かれと思っての愛情的なパワーと
その事によって嫌われてしまうかも知れないという決断。
だからこそ愛情の裏返しは「無関心」なのだと思うのです
自分に対して、良くも悪くも意識が向けられたら、自分に対して
何らかの愛情っぽい。自分に対しては受け入れがたくとも
理解出来なくても、無関心ではない気持ちが突き動かしているんだと
自分が人に指導する立場の辛さを分かって居る人ならば
この事にご理解頂けるのですが。
案外、学生さんにはその気持ちが伝わらない方がいますが
致し方ないなと思いながら、寂しくなること多いです。
自分の意見に対して文句を言われたとき、「良かれと思って」って言いますよね。
ちょっと見下した言い方だなと思いました。
アドバイスが相手に伝わるかどうかは、受け手の問題もありますが、発信する方の問題もあると思います。
発信するプロに言うのも何ですが、少し身勝手になっていませんか?
正しくても、正確に伝わらない限りは、正ではないと思います。