神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

谷端川児童遊園

2019-04-22 06:02:38 | 谷端川・小石川2

 御嶽橋以降の谷端川緑道には、南、境井田、他領、熊野、前田上、前田、北浦上、北浦とほぼ等間隔で橋が架けられています。いずれも耕地整理時に碁盤の目状に整備された道路に架けられたもので、橋名も当時の字を元にしていますが、熊野だけは左岸に祀られた熊野神社が由来です。その熊野橋の先で谷端川は川越街道を越えます。そして、越えた先の前田上橋以降、緑道は谷端川児童遊園と名を変え、管轄も豊島区から板橋区に移ります。

 

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    ・ 谷端川緑道  左岸の熊野神社が由来の熊野橋の手前です。そのすぐ先の前田上橋で川越街道及びその上の高架の首都高5号池袋線を越えます。

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    ・ 谷端川緑道  川越街道を越えた先です。ここから500m弱先の西前橋まで、板橋区管理の谷端川児童遊園が続き、これまでと異なるデザイン、雰囲気になっています。 

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    ・ 谷端川緑道  前田上橋の次の前田橋です。前田は大字池袋当時の字で、本村の前の田圃の意なのでしょう。なお、各々の橋には田園風景を描いた→ レリーフが飾られています 

 <川越街道>  谷端川は熊野神社前で川越街道を越えます。といっても、そうなったのは川越街道の新道(国道254号線)のうち、池袋六又交差点・大山間が開通した昭和10年頃のことです。本来の川越街道は、日本橋を起点に、板橋宿平尾追分で中山道から分岐、川越城下に至る街道で、今では旧川越街道と呼ばれいます。太田道灌が川越城とその支城として江戸城を築いて以来、両城を結ぶ重要な軍事道路となり、寛永16年(1639年)、川越城主となった松平信綱が、中山道の脇往還として整備しました。昨日UPの → 「東京近傍図」で、上端にかかるのがその旧川越街道です。現大山駅の西側で千川上水と交差し、そこには大山橋が架かっていました。