神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

字上(かみ)

2019-04-16 06:04:46 | 谷端川・小石川2

 長崎、中丸両村の境に架かる境橋の次が上ノ橋、その次が中上橋です。上(かみ)は「新編武蔵風土記稿」にも本村、原と並んで収録された池袋村の小名で、明治に入り巣鴨村大字池袋の字に引き継がれました。「明治42年測図」などには、細分された大上、中上、下上の地名も書き込まれており、これらが橋名の由来かとも思われます。うち上ノ橋は比較的新しく、区画整理時の架橋のようですが、中上橋の架かる通りは、→ 「池袋村絵図」にも、「風土記稿」で氷川社と共に村鎮守とされる三嶽社、現御嶽神社脇に描かれています。

 

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    ・ 「迅速測図 / 東京府武蔵国北豊島郡上板宿」(参謀本部測量課 明治13年測量)の一部を加工したものです。

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    ・ 中上橋  前を通る通りは池袋駅西口からの商店街が名前を変えて連続しており、この前後は坂下通り商店街、山手通りを越えると庚申通り商店街となります。

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    ・ 御嶽橋  中上橋の次の橋で、右手に行くと→ 御嶽神社に出ることからのネーミングです。前を通る道路の拡張に伴い、こちらの通りが地域の幹線道路になりました。

 <石橋供養塔>  左岸に400mほどのところに、薬王山西光院がありますが、その門前に→ 石橋供養塔が祀られています。延享2年(1745年)3月に、中丸の庚申講中が建立、「豊嶋郡中丸邑上下両橋」を供養したものです。→ 「東京近傍図」で見ると分かりやすいですが、池袋、中丸両村を連絡する橋は二つ、現在名で中上橋と中丸橋なので、これらにかかわるものなのでしょう。なお、この項の記述は「板橋の地名」(平成7年 板橋区教育委員会)によっていますが、そこには中上橋の橋名の由来について、中丸村の中と池袋村字上の合成ではないかとの指摘があります。村と字の合成は、ややバランスを欠いているようにも思えますが、中丸村は元々池袋村の枝郷であり、その意味では中丸と上は同レベルともいえます。