神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

谷端南緑道

2019-04-04 06:48:21 | 谷端川・小石川1

 谷端川は昭和37年(1962年)に河川としては廃止され、同39年までには全線が暗渠の下水道となりました。その後、暗渠上部の一定区間の遊歩道化が図られ、現在の谷端川緑道が完成したのは平成2年(1990年)です。起点から川越街道まで1.7kmが豊島区管理の南緑道、そこから東武東上線下板橋駅前まで、管轄や愛称を変えながら緑道は続いています。神田川の支流の中では、桃園川緑道と似たような経緯ですが、桃園川は昭和42年暗渠化、平成6年緑道完成ということで、こちらのほうが数年テンポが速くなっています。

 

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    ・ 谷端川緑道  宮下橋の次の次が→ 羽黒神社に隣接する羽黒橋です。最近大幅に拡張された通りを右手に行くと、池袋駅南のビックリガードに出ます。

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    ・ 谷端川緑道  羽黒橋と霜田橋の中程のこのあたりから、谷端川は左手長崎、右手池袋の村境でしたが、現在は両岸共に豊島区西池袋に属しています。 

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    ・ 谷端川緑道  霜田橋に差し掛かるところです。前の通りを右手に上ると立教大学、逆に左手に行くと、山手通りを越えた先で上り坂となり、その中腹に地蔵堂が祀られています。  

 <霜田橋>  立教通りの名前は右岸台上にある大学が由来の、比較的新しいものですが、通り自体は古く、→ 「池袋村絵図」→ 「東京近傍図」にも描かれており、橋も当時から架かっていたものと思われます。「東京府志料」には小石川(谷端川)の橋梁リストが収録されていますが、その中の「石橋三 池袋村ニアリ 一ハ下田橋長一間一尺幅五尺、一ハ中丸橋長一間幅五尺 一ハ中居橋長一間幅五尺」のうち、下田橋がおそらくそれで、この表記なら名前の由来も容易に推測できます。なお、「池袋村絵図」には、この橋付近と思われる個所に「芝地」とありますが、同図に添付された解説は、これを「低湿地状の採草場(秣場)」としています。