神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

谷端南緑道2

2019-04-06 06:30:22 | 谷端川・小石川1

 立教通りの次の大通りは要町通りです。こちらは比較的新しく、大正末から昭和の初めの区画整理期に、元となる道路が開通しました。その後、池袋駅前から順次拡幅され、昭和10年代には山手通りまで完成、第二次大戦の中断を挟んで、要町三丁目交差点まで開通したのは戦後のことです。なお、要町は昭和14年(1939年)、隣接する千早町(現千早)とともに、豊島区の改編に伴い成立した創作地名で、周辺の長崎東町、長崎仲町、千川町の各一部を併合、扇の要のような位置にあることから、そう名付けられたといわれています。

 

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    ・ 谷端川緑道  要町通りを越えます。緑道の随所に「谷端川緑道散歩マップ」が掲示されていますが、その橋梁リストによるとここに長崎橋が架かっていました。

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    ・ 要町通り  谷端川緑道越しに山手通りとの要町1丁目交差点を望んでいます。ここから1.5kmほどで長崎村分水口のある要町3丁目交差点です。 

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    ・ 谷端川緑道  要町通りを越えた先です。右手は谷端川親水公園となっていますが、かっては野菜の洗い場が設けられていたそうです。

 <立教大学>  立教通りを挟んで羽黒橋から長崎橋までの右岸台上には、立教大学関係の施設が立ち並んでいます。同大学は明治7年(1874年)、アメリカの宣教師、ウィリアムズ主教が築地に開いた私塾(立教学校)が前身で、同40年、専門学校令に基づき立教大学と改称、その後大学令での認可を得ました。池袋に移転したのは大正7年(1918年)ですが、当時は築地に残った中学も関東大震災で校舎を失い、当地に移転してきました。(→ 写真の正面はセント・ポールズ会館、その奥は立教小学校です。立教学校は聖パウロを守護聖人に、英名をセント・ポールズ・スクールとしていました。今でもセント・ポールを冠する施設、行事などが多いのはそのためです。)